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1/17 コモンズフェスタ2015「ナマズさま供養~ナマズさまのいのちを頂いて生きる~」を開催いたしました。

去る1月17日(土)、「ナマズさま供養~ナマズさまのいのちを頂いて生きる~」を開催いたしました。地震の象徴であるナマズさまを供養し、ナマズ料理をいただくというこの企画は、應典院コモンズフェスタではお馴染み、死生観光家の陸奥賢さんによるものです。16日夜から17日朝にかけて開催された、阪神淡路大震災20年「あの街へともに~映画『その街のこども 劇場版』上映とウォーク~」の関連企画でもありました。

正午に梵鐘前で阪神淡路大震災犠牲者の追善供養を行った後、陸奥さんから「鯰(ナマズ)絵」についてお話いただきました。鯰絵とは、安政の大地震(1855年)を素材に、その象徴としてナマズを描いた錦絵の総称。はじめのうち「地震=ナマズさま」は「懲らしめるべき巨大な悪者」として描かれていましたが、次第にナマズさまは人間と共に暮らす身近な存在になっていき、遂には出家して仏教徒となるナマズさまも登場するなど、その描き方の変遷を分かりやすく説明してくださいました。災害によってもたらされた悲痛な叫びを、あえてユーモラスなナマズの姿に代えて昇華するところに、昔の日本人がたしかに持っていた死生観の奥深さを見たように思います。

秋田光軌導師による供養会では、「ナマズさまがお浄土に行かれ、仏さまのもとで悟りをひらかれますように」と供養いたしました。出来立てのナマズのお膳を仏前にお供えし、参加者の皆さんとお念仏をお唱えするという、大変シュールな光景となりました。
最後はナマズ料理を皆でいただき、予想以上の美味しさに舌鼓を打ちながら、阪神淡路大震災の記憶について語り合います。ある参加者の方が「実際にお念仏を唱えて、ナマズさまを身体の中に取り入れたことで、自分の震災との向き合い方も変化するように感じた」とおっしゃっていたのが印象的でした。
あれから20年を経た今だからこそできる、「ユーモラスな」震災との向き合い方。決してユーモアを失うことなく、真摯に震災を見つめなおすことの重要さをひしひしと感じました。

最後に、陸奥さんが今回のために書いてくださった趣旨文を掲載いたします。

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アウシュビッツ強制収容所から生還した哲学者のV・E・フランクルの著書『夜と霧』には、こんな言葉があります。

「ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。苦しみの大小は問題でないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。」
V・E・フランクル『夜と霧』「収容所のユーモア」より

2015年1月17日。阪神淡路大震災から20年。いろんな追悼のイベントや企画が行われることでしょう。おそらくその中でもちょっと風変りでユーモラスな企画が、この「なまずさま生活&なまずさま供養会」ではないか?と思います。

「なまず」と聞けば、大部分の日本人は「地震」を思い起こす。なんとも不思議なことです。これだけ科学的な思考が発達、蔓延、浸透した世の中でも民間伝承、迷信、都市伝説というのは、なくならないんですな。ぼくが「いま、じつは家で、なまず飼ってるねん」といえば、スマホ片手の若者でも「へぇ。地震がくるときは暴れますか?」なんてことを無邪気な顔で聞いてくる。

震災追悼の儀式。そこでは「地震の恐ろしさや怖さ」「愛する人を失う哀しさや悲劇」「人間の愚かさや無力」といったことが語られる。それはとても大事なことです。その必要性や価値を、ぼくは決して蔑ろにするわけではない。しかし、地震に畏れ慄きながらも、その心の闇を笑いに転じて、吹き飛ばす力というのも、じつは人間には備わっていると思う。

Humour(ユーモア、笑い)とは、Human(ヒューマン、人間)が変化して出来た言葉とか。人生は辛く、一寸先は闇。本当になにが起こるかわからない。理不尽で、不確定で、地獄以上に地獄的だといった文豪もいる。しかし、そんな環境の中でも、人間は笑うから、人間になる。闇に捉われ、苦しみ、戸惑い、なぜ?と絶叫し、しかし最後には、笑う。ぼくは笑いながら死んでいきたい。人間として死ぬというのは、そういうことだから。

なまずさまは、そんな人間さまのことなんか、知らんと、今日も、ゆらゆら泳いでます。

陸奥賢(社会実験者/コモンズ・デザイナー/観光家)