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2018/6/24-25 横林大々:「第2回縁劇フェス」レビュー

去る6月24日(水)と25日(木)、應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2018オープニングアクトとして、ショートプレイのショーケース型フェスイベント「縁劇フェス」を開催いたしました。「笑い」をテーマに6つの短編演劇作品や、演劇作家・俳優による大喜利・落語などが一挙に楽しめる二日間となりました。作家・『即興小説バトル』主催の横林大々さんにレビューを執筆していただきました。


『おもしろい』という縁

 

おもしろい、とは。

おもしろいとは、である。

笑顔があれば、おもしろいなのか。

おもしろいがあるから、笑顔なのか。

 

私は高校時代に友達がおらず、それと比例するように松本人志さんのような芸人さんの存在にとりつかれていた。

おもしろいが世界の価値基準。おもしろいがこの世界のすべてのものさしで、そうでないものは間違えていると考えていた、お笑い原理主義のあの頃。

 

今回の第2回縁劇フェスはテーマが「笑い」。

高校時分の私ならば「さて、どんなものかお手並み拝見やでー(と、独り言を呟き、ゆっくりとあぐらをかく)(客席であぐらをかいてはいけない)」と言っていただろうが、もちろん今思えば、お笑いがすべてのものさしなどということはないのであって、間違っている。間違っているのだ、文化祭を二日ずる休みした横林青年よ。

 

面白いだけでどうにもならない局面が、たくさんある事を社会人になって学んだ。おもしろいが武力を止められるのか。おもしろいが不治の病を治すのか。かつての青年は、結局おもしろいだけで大学受験は成功せず一浪し、おもしろいではモテず飲み会で背中を丸め、そもそもおもしろいのレベルが達していなかったため憧れていた演劇のフェスでも最優秀賞は獲れなかった。

 

では縁劇フェスを楽しめなかったのかと言えば、決してそんなことはなく、むしろ最高であった。

今回の縁劇フェスは六団体による、それぞれ異なる『笑い』へのアプローチがあり、それぞれに「おもしろい」部分が違っていて本当に楽しかったからだ。

 

オパンポン創造社さんは、三人による設定の巧みさやドラマの描写が大人の笑いだったし(その癖、特に男性陣が、あの露出度なのが良い意味で卑怯。いい身体。井出らっきょスタイルで真面目にお芝居するんだもんな)(あのオチからのエンディングも良かった。あれは六作品の中で一番好きな終わり。そりゃあドラマのようにはいかないという)(野村さんが男前)

 

努力クラブさんは、丁寧な中に展開の視界が広がる様とそれと反比例する二人の関係性の描写が、にやつく笑いだったし(合田さんの創造なのに匂い経つ関係性の筆力はなんなんだ)(嫉妬してしまう)(二人芝居なのに、あそこに二人が『いた』もんなあ)(一番『小説的』というか『文学っぽさ』みたいなのを感じたのはこの作品)(あんなん書きたい)

 

芝居屋さんプロデュースさんは、田口さんの人間の〈力〉だけでのねじ伏せ方がすさまじく、まさに見入ってしまう笑いだったし(震えましたね)(あの境地へなるまでに何年を要するのか)(舞台に一人で立って30分持たせるってだけでも私にはちょっと信じられないというか)(あれは他の劇団さんでは単純に出せない部分だったな)

 

かのうとおっさんさんは、大人の全力の悪ふざけが、ただただ面白おかしく。(これを若手の人がへらへらしてやっても全然面白くない)(きちんと色々できるお二人が、あえて、しかも決してポイントを外さずに行うから凄いし、そもそもあれを成立させるのってどんだけ努力して肩強いねんと思ってみてました)(セクシー先生ですよ、生徒会ですよ、すげえよなあ)

 

のぞみちゃんさんの笑いは、「これで30分行くのは本当に凄いなあ」と思って見て。(30分ステイしてステイしての、最後のギュっていうのが凄くキュートでドラマチックでしたね)(ラストまでの、あの「え、これどうなるの感」も普段ではなかなか体感できないものでした)(隣に小学生のお客さんが座っていて、このポップな暗い作品をどう思いながら見ているのだろうとか思ったり)

 

三等フランソワーズさんは、宇宙人も出てくるようなSFの設定なのに、戸惑いやキャラ描写による笑いも多く良き喜劇という印象。(全身青塗のインパクト)(でも話している姿は、人間的。特に人間に怯える様は面白かったな)(宇宙人夫婦の娘のインパクト)(だけど一番印象に残るのは連れ去られた人間の夫婦だから不思議だ)(最後の挨拶も毒たっぷりで楽しかったなあ)

 

幕間のイベントであるセクシー先生も大喜利も最高だったなあ。

 

私が「おもしろい」に負かされたにも関わらず、未だ縁劇フェスのようなイベントが好きで「おもしろい」と思えるのは、おそらく、このような考え方が身についてきたからだろうと思う。

 

【おもしろいの基準が人によってことなる】ということ。

もしタイムマシーンで過去にさかのぼり、横林青年へアドバイスを送るとするなら「面白いは多面的なんやで」と諭すくらいはするかもしれない。

 

おもしろいが紀伊国屋書店で参考書のように取り扱っていればいいが、その「おもしろい」の基準も人それぞれである。うんこちんちんで爆笑する層もあれば、人間国宝級の噺家の落語に「うーむ」と頷くような層もあり、そしてどちらも「おもしろい」で因数分解することが出来る。

 

それこそ、今回の縁劇フェスでは全く被らない六通りの笑いを体感すれば、その想いはより強くなるというものだ。

 

私が「おもしろい」というものが未だに好きであり続けるのは、その「おもしろい」が誰の基準にも左右されず自由であり、誰でも発信でき、そして同じ考えの人間とは共有できるところである。

観劇後のロビーやツイッターでのエゴサーチに溢れるおもしろいを眺めながら、これは多幸感にあふれるイベントだなと感じたものだ。

 

さて、私はこのフェスが終わったあと、とぼとぼと堺筋本線を目指しながら考えていた。

あー、面白かったなあ。

帰る時のお客さんの表情、良かったな。

笑いの渦が巻き起こっていたな。

演目の変更などがあっても、それでも誠意をもってスタッフさんが対応してたし、お客さんもそれをくみ取って、変更後も楽しんでいたなあ、と。

 

そうして色々と想いをめぐらせるうちに自分自身が「くやしい」と感じていたことが分かった。

私も「おもしろい」ものを作りたい、と。

 

ここからは少し「おもしろい」が好きな自分が「おもしろい」ものを創作したい感情を抱く理由に関して自己分析してみたい。

 

昔、とある芸人さんが深夜ラジオでこんな話をしていた。

「漫才をやるのは、笑ってもらうという正解を探しているからだ」と。

 

人の考えていた心の中というのは分からない。何もない表情に見えても本当は悲しんでいるかもしれないし、本当は怒っているかもしれない、と。

けれど、お笑いという枠組みの中で誰かが笑っているその時だけは、「面白い」という感情を共有することができる。

だから案外人間を信じていない人ほど笑いに惹かれていくのかもしれない、と。

 

この文章は大意で、少し乱暴なものではあるのだが、私はその話を聞いて自分が「おもしろいと思われるような作品」作りを続ける理由に納得した。

私は人間を信じていないわけではないが、「どう思っているのか」「どう考えているのか」を読み取るのがあまり上手ではない。

けれど、漫才やコント、そして大喜利で相手が笑っているときに「面白いという感情を相手が思っている」「おんなじ気持ちだ」と少し人間の本道から離れてしまった感じ(彼女が出来るとか、まともに就職するとかの無い世界線の人生)のある私からすれば他人の心の正解に触れられて安心するのだと思う。

 

その共有したいという感情は寂しさからくるものなのか、足りなさからくるものなのか、苦しさからくるものなのか。或いはそのすべてなのか。わからない。わからないが、昔も今も、私はそんな大喜利よりも難しい「おもしろい」の正解を探し続けているのは、そんな自分が心の中にいるからであろう。

 

勿論、「おもしろい」創作の正解は未だ自分の中で出ていない。

 

という訳で、應典院さんには、答えの出ない私のためにも、これからも様々な「おもしろい」の交流場のような存在であり続けて欲しい。

匿名劇壇さんの公演をおもしろいと思ったのも、夜にお墓で読む詩をおもしろいと感じたのも、全て應典院さんとの出会いがあったからこそ。また、このようなレビューを書くたびに自分が「おもしろい」と思うものに対して向き合う機会が出来たのは他でもなく、應典院さんでレビューを書かせて頂いたおかげである。

 

私自身が(「原理主義」ではなくなってしまったが)「おもしろい」を追いかけ続けているのは、應典院さんとの『縁』があったからだ。だから、一観客として、また場合によっては参加者として應典院さんには、これからもさまざまな「おもしろい」に関わらせて貰いたい。

 

そこに笑顔があるから、おもしろいのであり。

そこにおもしろい何かがあるから笑顔が生まれる。

 

應典院は、そういう場所なのだ。

 

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そんな横林が、自身の「おもしろい」を見つける一環として文章で読む小説版ギャルゲーを作成しています。

タイトルは『ハーレムとブックマーク』

今夏、はてなブログ内で発表予定。

詳細は、こちらのツイッターアカウント(@GalgameYokoba )をチェック。

『幽霊』と『死神』と『宇宙人』と『吸血鬼』と『人造人間』と『超能力者』と『透明人間』と『魔法少女』を幸せにするお話です。