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2018/8/24 住職コラム:お寺が出展したエンディング産業展

会場中央に、巨大な仏殿が黒々とそびえていた。エンディング産業展における真宗大谷派(首都圏教化推進本部)のブースである。

「<いのち>を今、どう生きて往くのか 今の私を生きる<終活>」

コピーが屹立し、黒衣の若い僧侶たちがあちこちに起立する。去年同様、接待所のようだった浄土真宗本願寺(綜合研究所)に比べその存在感は周囲を圧倒していた。内部では異論もあったことだろう。「産業展」という見本市に、教団が何を主張するのか。「終活」という言葉の使用にも本山であればそれなりの検討があったに違いない。しかし、それは「検討中」として留保するとしても、周りの産業界を睥睨する漆黒のオーラは人々の目を引いたに違いない。

だが、である。なぜか物足りなさを感じる。それは主役を喰ってしまった強烈な脇役のようなもので、一旦舞台から下りれば、どんな素顔になるのか、何が始まるのか、イメージできるものが乏しいからだ。来月、真宗会館で終活サポート講座があるそうだが、それが「今を生きる終活」ではないだろう。平生の教化活動こそ原点といいたいのだろうが、産業展のビジネス感覚はそういう元への回帰を許さない。ここに乗り込む限り、戦略と進化が不可欠なのだ。

その意味で、證大寺さんが単独で出展した「手紙寺」、去年に続いて超宗派の〈まいてら〉のブースは、戦略が明確だった。ビジネス的手法を使って、明確な目的と成果目標を打ち出していた。そういう態度がないと、少なくとも対等な関係の「商談」は成り立たない。単なるアピールだけなら、やがて飽きられてしまうだろう。

個人的には、小さなブースで出展していたデザイナーたちの供養商品に関心を持った。ガラスの仏壇、ポータブル型仏壇、ペットのための供養アイテム等々、仏壇という概念さえ超える洗練さと野心を感じた。伝統産業と言われるこの世界に、若いクリエイターが活躍するには、ネット頼みではなく、価値を中継するマネジメント(例えば僧侶)が必要と感じた。やってみようかな。

さて、次回の産業展はどうなるのか。このままでは次第に終息する。いっそ「寺院・教団ゾーン」をつくって、各宗派で競ってはどうだろう。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)