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1/22 コモンズフェスタ2017「仏教×てつがくBar~ブッダ『ダンマパダ』を読む~」を開催いたしました。

1月22日、「仏教×てつがくBar~ブッダ『ダンマパダ』を読む~」を研修室Aにて開催しました。当事者研究に取り組む「NPOそーね」の皆さんのサポートのもと、應典院がこの日限りのBarに大変身。薄暗い照明のなか、お好みのお酒を片手に、ブッダのことばに触れ、語り合いました。

ちなみに、本企画は「哲学カフェ」の方法を取り入れて進行がなされました。現在日本全国で拡がりを見せている哲学カフェは、あるテーマについて「じぶんのことばで話し、考える」ことを主旨とする対話の場です。(※参考 哲学カフェを実践する団体のネットワークは「カフェフィロ」のサイトに詳しい)大阪大学臨床哲学研究室のメンバーによって、日本で初めて開かれた哲学カフェは、2000年の應典院コモンズフェスタでのものでした。

應典院主幹の秋田光軌を中心に、NPOそーね代表で浄土真宗僧侶の日高明さん、浄土真宗如来寺副住職の釈大智さんが進行を務め、前半は参加者にそれぞれ引っかかりを覚えたことばを選んでもらい、感じた疑問を一人ひとり話していただきました。なかでも特に皆の注目を集めた疑問は、「そもそも自己が自分のものではないのに、どうして子や財産が自分のものであろうか」ということばがある一方で、その直後に「自己こそ自分の主である」ということばがあり、この一見矛盾して見える二つのことばをどう捉えるか、という点でした。

そこで後半では、上記のテーマに論点を絞り、参加者の方から意見をいただきながら、自由に議論を進めました。ブッダのことばで使われている「自己」「自分」の定義を推測するなかで、自分のなかに軸として存在する自我意識を主張される方や、自我意識も他者を通してしか生まれないのではないかという方など、さまざまな立場のちがいが見出されました。途中いくつかの仮説も立てながら、その場かぎりの解答を見つける段階に来たところで時間切れとなりました。

アンケートでは、「ゆっくり自分のことばで考えることができて、大変楽しかった」という声がある一方で、「自分のしたかった議論ができなかった」「ことばで仏教を語ることの限界を感じた」といった声もありました。反省点を活かしながら、哲学的に語る場を今後も丁寧につくっていきたいと思います。