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2018/12/27 高橋佳恵:年納め念仏と持ち寄り忘年会「寺・year-end」に参加して

昨年12月27日(木)、應典院の新しい年末企画として、年納め念仏と持ち寄り忘年会「寺(じ)・year-end」を実施しました。この一年を振り返って、1時間のあいだ絶えずお念仏の声が本堂に響き、終了後は研修室Aに場所を移して楽しい忘年会のひとときを過ごしました。一般の方が1時間ものお念仏を行じるのは稀なことです。参加者のお一人である高橋佳恵さんに、そんな当日の感想をご寄稿いただきました。


應典院の年末恒例「⾃分感謝祭」が、昨年20 回開催を節⽬に終了。2018 年の年末には秋⽥光軌主幹による新たな企画、「寺・year-end」が開催されました。

前年度までと同様に、場所は本堂で「法要」というスタイルは継承しつつ、新たに「⽊⿂を叩き、南無阿弥陀仏のお念仏を1時間不断でお唱えする」スタイルが取り⼊れられました。「⽊⿂とお念仏」。⾄ってシンプルなスタイルではあるものの、これを1時間続けるとなると「法要」と⾔うよりも、「⾏」。もしかすると、坐禅や瞑想のように⼼を無にするべきだったのかもしれませんが、私にとっては1年を丁寧に振り返る貴重なひと時となりました。

2018年6⽉。⼤阪を中⼼に、⼤きな被害を残した⼤阪北部地震。あの瞬間、⾃宅台所にいた私の⼝からとっさに出たのが「南無阿弥陀仏」のお念仏でした。まるで落語のネタのようですが、⾃分の中で「お念仏=⽇常」であることを強く実感させられました。続いて9⽉の台⾵21号では、⾃宅が停電。⽇が暮れてからは、おろうそく1本と「南無阿弥陀仏」のお念仏で、⼼細さを乗り越えました(應典院周辺も、多くの樹⽊がなぎ倒され、たくさんの被害が出ました)。

「年を渡る⾈」は決して静かに、当たり前のように私達を越年させてくれず、⾃然のチカラによって嵐や地鳴りを起こし、また歳を重ねるごとに「⽼いや病い」という現実によって、困難になっていくということ。仏教の学びや⽇常の中で、それを強く知ることが出来た1年でした。

浄⼟宗開祖法然上⼈は、往⽣される2⽇前に⼀枚起請⽂で「ただ⼀向に念仏すべし」と書き残されました。これは、「⽇常の私たちが、⾟いことや苦しいことで⾮⽇常へ振り切られるようなことがあろうとも、お念仏をお唱えすることで⽇常へ戻してくれるかもしれないよ(知らんけど?)」。そんな法然上⼈のメッセージも込められているのではないかなぁ?など。⽊⿂のリズムの中で、そんな思いも巡らせました。

秋⽥主幹より、冒頭に「正座で⾜が痛くなったり、声が出にくくなったら、離脱しても構いません」とお話がありました。しかし、途中からは出張より戻られた秋田光彦ご住職も加わってくださり、⾃分も含めて全員がお念仏の輪から離脱することなく、1時間の不断念仏が無事に執り⾏われました。第1回ということもあり参加者はやや少なかったものの、「⽊⿂とお念仏で1年を振り返る」という應典院らしい年納め法要のプロトタイプは完成したように感じました。

第2回となる2019年の年末は、新元号元年。⼀⼈でも多くの⽅と、お念仏で1年を振り返るひと時を共有できればと願ってやみません。皆さんもぜひご⼀緒に。南無阿弥陀仏。

人物(五十音順)

高橋佳恵
(パドマ幼稚園OG)