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サリュ 第108号2017年3・4月号

目次

巻頭言
レポート アートと社会活動のための総合芸術文化祭「コモンズフェスタ2017」
コラム 陸奥賢さん(観光家)
インタビュー 小出遥子さん(文筆家・「Temple」主宰)
編集後記

冒頭文

人に生まるるは難く、いま生命あるは有難く、世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有難し。『ダンマパダ』より

report「異」

〈いのち〉を演じる舞台で
それぞれの宝物を分かち合う

「気づき・学び・遊び」の実践

今年度も、アートと社会活動のための総合芸術文化祭「コモンズフェスタ2017」を開催、トークイベント、ワークショップ、演劇、映画上映会など、多彩な取り組みが連日行われました。本事業は1998年度にスタート、2000年頃からアートの傾向が強まり、今や当会を代表する文化事業のひとつとして定着しています。「共有の財産(commons)」という名が示す通り、それぞれの人が持っている経験や知恵を分かち合うため、事務局主導から実行委員会形式への回帰を図って5年目を迎えるお祭りの実施となりました。
今回の統一テーマは「〈いのち〉のエチュード~生と死をめぐる15の舞台で」としました。仏教、特に浄土宗のおしえが、浄土の物語を真摯に演じることを通して〈いのち〉に気づく実践であるように、日常生活の約束事とは異なる秩序のなかで、いかに主体的に気づき、学び、遊ぶことができるのか。参加される方々にとって、そのような実践の機会がもたらされることを目指しました。実行委員の皆さんには、應典院でどのような場がひらかれるべきか、それぞれの細やかな理解と共感の中から、たくさんの宝物を惜しげなく披露していただきました。
12月24日に、劇作家の岸井大輔さんと観光家の陸奥賢さんによる恒例の24時間トーク「如是我聞」で幕を開け、年が明けてからは陸奥さんによる3つの企画を開催、自作の戯曲と重ね合わせたまち歩き、演劇フライヤーとの出会い直し、「鯨について語り、遊ぶ会」まで、極めて多彩な、しかし一貫した主題を扱うものでした。さらに、昨年・一昨年度のコモンズフェスタでも実施した新書朗読では、山口洋典前主幹の参加のもと、満月動物園の皆さんと『加害者家族』(幻冬舎)を再び取り上げた他、今年もNPOそーねと「仏教×てつがくBar」など複数の企画でタッグを組み、参加者自らが主役となる「当事者研究」のスタンスを取り入れた場づくりにあたりました。

應典院における活動が集結

今回の特徴として、当会における他事業との緊密な絡み合いも印象的でした。約2年半ぶりの開催となった「寺子屋トーク」は、第68・69回と続けて、ゲストとともに「母娘の関係性」「仏教との新しい関わり方」を紐解きました。「レッスルする世界」では、「キッズ・ミート・アート」の立ち上げ人・弘田陽介さんに身体を探究する時間を担っていただき、最終日の「寺で演劇祭」では、2003年から続けてきた演劇祭「space×drama」の取り組みに、秋田光彦住職と元職員のアサダワタルさんがことばを重ねました。加えて、定例の「詩の学校」は本堂に場を移した特別編で、「グリーフタイム」は10ヶ月ぶりに内容を一部変更して開催。「大阪吃音教室」の皆さんによる映画上映会とトークも、当会の「コミュニティシネマ」を彷彿とさせるものでした。
また、組織化しない劇団・森林浴による「思考採集イベント 指紋は象のはたけ~バーチャル社会in應典院」では、應典院全体が「指紋町」というまちに変容を遂げ、同時多発的に行われた演劇公演や、1月17日の千秋楽で浮き彫りになった震災という主題を通じて、大人から子どもまでの参加者が、まちのなかで自ら選択し、行動する姿が見られました。
社会の常識にとらわれず、異日常の世界で主体的に生きること。そのように〈いのち〉を演じることの可能性が、バラエティに富んだ活動を通して、多角的に試みられるお祭りとなりました。

小レポート

会員が主体となる
自発的な組織へ

過去号でもお伝えしている通り、当会の来年度以降の組織運営体制を議論する「新運営検討会議」を、2016年7月より有志の会員と事務局がともに進めてまいりましたが、5度にわたる開催をもって今後の方向性がまとまりました。2017年度からは、会員による「執行部(仮称)」を立ち上げ、事業の提案・承認・実行に至るまでを、会員が主体となって行うことのできる組織づくりを目指してまいります。早速、3月21日に予定している臨時「会員のつどい(総会)」にて、会則変更案を提案させていただく所存です(写真:新運営検討会議・打ち上げにて)。
なお、應典院再建当初より発行をつづけてきた本会報「サリュ」については、会議における会員の合議により、本号をもって休刊することとなりました。4月中にリニューアルを予定している應典院ホームページなど、ネット上の媒体を中心に、これからも当会の活動を積極的に発信していく所存です。引き続き、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。

小レポート

なぜ、お寺で演劇をしているのか

コモンズフェスタ2017の最終日である1月29日(日)、気づきの広場にて「寺で演劇祭~space×drama15年」が開催されました。ゲストに秋田光彦住職と、元職員で築港ARCチーフディレクターを務めたアサダワタルさんを迎え、space×drama〇実行委員会メンバーとともに、お寺で演劇をする意義を4時間かけてゆっくりと紐解きました。
寺院や劇場における「日常/非日常の関係」を糸口に、地域・ジャンルの越境、次世代への継承など、様々なテーマについて話し合われました。應典院再建から20年、秋田住職と演劇人が公的な場で意見を交わす初の機会となりました。

小レポート

母と娘の関係性を問う

第68回寺子屋トーク「それでも母が大好きです〜細川貂々さんと語るハハムスメ〜」を、1月22日に本堂ホールで行いました。漫画家の細川貂々さんをお招きし、「母の支配」とどう向き合うかを語った今回、前半のトークでは「<その時>が来たら、苦しさを自らの身体から離してやる作業ができるようになる」という貂々さんの言葉に一同が頷きました。
後半の参加者同士で車座になった対話の時間では、それぞれのもがき苦しんでいる体験や諦観の体験を聴き合う場を持ちました。ご本尊を前にして、匿名性が担保された中で、安心して語れる場があることの重要性を感じるひと時となりました。

コラム「受」

「山口洋典前主幹の10年を辿る」第6回
コモンズというバトン

山口さんとの出会いは…、すいません、あまり記憶にないんですが、「コモンズフェスタ2013の企画委員に入ってくれませんか?」とお誘いをうけて、そこから應典院に出入りすることになり、いろいろと交流させていただく機会が増えました。
それまで、ぼくは「大阪あそ歩」というコミュニティ・ツーリズムのプロデューサーをやっていて、日夜「コミュニティ」(まち)について考えていた人間で、そんなぼくが「コモンズ」という言葉を真剣に考え、取り組み、いまでは立派(?)に「コモンズ・デザイナー」を自称するほどになったのは、山口さん、應典院、コモンズフェスタとの出逢いがキッカケです。
コモンズは「共有地」と訳されます。要するに「シェア」(わかちあうこと)です。しかし「顔が見える仲間にシェアする」のがコミュニティなら、「会ったこともない無縁の他者に対してもシェアをしよう」というのがコモンズだとぼくは解釈しています。だからコモンズフェスタは、應典院が無縁の他者(そこには死者や異類も含まれる)に対して開かれ、有形無形のシェアをすることであり、それこそが仏教用語でいう「無縁大慈悲」の実践なんだろうと思っています。
2016年3月の「山口主幹を送る会」のときに、山口さんは、ぼくに「現代社会にコモンズは成立するか?」と問われました。ぼくは「成立してません」と答えました。超資本主義は人間存在をなんでもかんでも資本化し、「自己責任」という呪縛で「失敗できない社会」を作り上げ、過酷な生存競争からコミュニティ志向はますます強化されて、「自分たちだけがよければよい」という社会状況になっています。
自称「コモンズ・デザイナー」としては忸怩たる思いですが、ぼくは山口さんから「コモンズ」というバトンを受けとりましたから…。いろいろと試行錯誤して、のらりくらりと、小さな実践を繰り返そうと思ってます。山口さん、見守っていてください(笑)。

陸奥賢(観光家)

(プロフィール)
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。ライター、放送作家、リサーチャー等を経験後、2008年10月に大阪あそ歩プロデューサーに就任。大阪あそ歩は2012年9月に観光庁長官表彰を受賞。2013年1月に大阪あそ歩プロデューサーを辞任し、現在は観光、メディア、まちづくりの分野で活動中。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」「劇札」などを手掛ける。應典院寺町倶楽部執行部メンバー。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。最近、演劇ユニット「茶坊主」だったことを思い出した。

interview「行」

小出遥子さん(文筆家・「Temple」主宰)

仏教との新しい関わり方を探して。
文筆とお寺での対話を重ねながら、
何者でもない〈いのち〉に気づく。

コモンズフェスタ2017の一環として、第69回寺子屋トーク「〈いのち〉に触れる道~信じる仏教から生きる仏教へ」を1月28日(土)に開催しました。ご登壇いただいた小出遥子さんは、在俗の仏教ファンとして〈いのち〉を直に生きる知恵を広く発信されています。今回は、小出さんに仏教やお寺をめぐってお話を伺いました。
―――そもそも、仏教との出会いはどのようなものだったのでしょう。
小出 出身は新潟の一番北の街で、仏壇も無いような家でしたが、なんとなく子どもの頃から「お寺は気持ちいい場所だ」と感じていたのを覚えています。成長するにつれて仏教美術に魅せられていき、観光寺院を中心とした色々な所に足を運ぶようになりました。ある時、仏像と向き合っている自分が普段とは違った感覚を味わっていることに気づき、「そもそも仏ってなんだろう?」と。幸せに生きるためのヒントがここにあるかもしれないと、直観で閃いたんだと思います。
―――仏教を知って、変わったことはありますか。
小出 お釈迦様の教えは、すべて「苦」からはじまっています。社会人になってからは眠れない日々もありましたが、仏教に関した本を読むことで心を落ち着かせてきました。仏教には、自分の苦しみと向き合うヒントがたくさんあるんです。曹洞宗の藤田一照さんも「日常の外に仏法があるわけではなくて、仏法の中に日常がある」とおっしゃっていますが、そこには安心感の中で生きていく道が示されているように直観しました。そこで実践者であるお坊さんにお話を伺いはじめたんです。
―――その聞き取りをまとめられたのが、昨年出版された著作『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』ですね。
小出 はい。お話を伺いはじめたきっかけは、第一に自分自身が「さとり」について納得したかったから。應典院にもよく登壇されている釈徹宗さんなど、6人の素晴らしいお坊さんにお話を伺いました。結局、「さとりとは○○である」と私が語れるようなものではないと自覚して終わったんですけど…(笑)。でも、必ず何かのヒントになるような内容になっていると思うので、ご一読いただけたらうれしいです。
―――現在活動の中心にされている「Temple」について教えてください。
小出 「Temple」のホームページでは、「いのちからはじまる話をしよう。」をテーマに、お坊さんだけでなく様々な分野の方にお話を伺って記事にしています。イベントの「Temple」はその記事をベースとした参加者同士の対話の場です。何の技術も持ち合わせない私ですが、仏縁にお任せした対話の場を設けることで、〈いのち〉のはたらきを参加者に直に感じていただけるのではないかと。文筆と対話を繰り返していくことが、私にとっての仏道修行でありライフワークなんです。
―――ありがとうございます。最後に、應典院をはじめ、お寺に対しての想いや希望があればお聞かせください。
小出 実は、秋田光彦住職の『葬式をしない寺』が私の教典のひとつです(笑)。應典院の活動から多くのことを学びました。お寺は、私たちが生きていく上での休憩場所だと思うんです。「Temple」をお寺で開催するのも、社会の役割から解き放たれて、何者でもない自分にくつろげる場だと感じるから。私たちが集い、息継ぎができるように、もっと多くのお寺に場をひらいていただけたらいいなと思います。

▲第69回寺子屋トーク
〈いのち〉に触れる道~信じる仏教から生きる仏教へ
(2017年1月28日=本堂ホールにて)

〈編集後記〉

浄土宗應典院再建時の1997年4月、應典院寺町倶楽部の「サリュ」はA4版のニューズレターとして創刊しました。当時は高性能の編集ソフトも整っておらず、試行錯誤と進化の足跡がうかがえる内容となっています。2004年の第43号からは、「できごとの報告ではなく、その内側から届く声を届けたい」という想いから、A5版のニューズマガジンとなり、30ページ以上にわたって小論が掲載される「雑誌」に。そして2008年の第56号から、発行頻度の向上と発行部数の増加を通じて「お寺を拠点に活動するNPOの取り組みへの関心と、社会における存在感を高めていくこと」を意図し、現状のニューズペーパーにリニューアルしました。以後、約9年間にわたって発行を続け、会員をはじめ、たくさんの方々にご愛読いただきました。
このように幾度も行ってきたリニューアルは、それぞれの時代状況において当会の価値をいかに発信するか、その適切な表現として積み重ねられてきました。このたび、ICT時代の社会変化や、若い世代に向けた媒体として情報を届ける意味を検討した結果、本号をもって「サリュ」は休刊することとなりました。しかし、それはお寺とNPOの協働による創造性、その価値の発信を放棄することを意味しません。お寺における多彩な取り組みを、そして活動の内側から届く声をいかに届けるのか。そのための時機相応の表現と発信を、今後も精一杯つづけてまいります。
(秋田光軌)

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