2019/5/14~15 影舞の会(一)~演じるのでもなく、型もなく、人と人が向かい合うことから、生まれ、聞こえ、見えるもの~
<應典院寺町倶楽部協力事業>
應典院で影舞をする。
この人たちと影舞をしたいと思った。
「その影舞というものを見たい。」と言われた。
ご縁いただき、この企画を立てました。
そのことについて考えます。
應典院という場所であること、影舞と呼ばれるもの、このご案内の届く方々、私という人間。
経緯や要素や思ったことをここで簡潔に語ることはできません。
ですので、これをお読みになる方が今きっと最も疑問を持っているだろう影舞について、少し思うところをお伝えしようと思います。
影舞と呼ばれるそれは、様々な文脈に位置付けることができます。
真剣な遊び、人との関わりについての学び、一つの民衆芸能。
ですが、そのものを説明することは困難なものです。
それは、私がある時言われた「影舞というものがあるわけじゃないんだよ」ということと関係しているように思います。
影舞は動きであると言えるかもしれません。
ここにあらわれる動きは、組になった二人が向かい合い、二人の指先と指先がその間にモンシロチョウを挟むように、潰さぬよう飛んでいかぬような加減で触れて、始まります。
そこからどのような動きになるかはその二人にもわかりません。
その時それぞれに起きているのはどんなことでしょうか。二人の間には何が生まれているのでしょうか。
あなたとわたしとあいだ、なくなる区別。それは本当だろうか。
そこに「表現」はないようです。
それを見る人には、何がどのように見え、聞こえてえているでしょうか。
聞いたことのない音楽を合わせた時、場所が古い民家であった時、舞い手が知っている人だった時、桜の舞う下での時。
このようなもので、見ることはもちろん、踊りや舞台などの経験がなくても身体に不自由があっても誰もができるものです。
よろしければこの場をご一緒しましょう。
ご縁ありましたら、お会いできることを楽しみにしています。
私にとって、円坐、影舞、未二観は、
人と一緒にいる、どんな人とでも一緒にいることの実践であり、
自由であること、人がその人として居られるための試みであり、
聴く人、聴こうとする人が世の中に増えるといいという思いからの学びと遊びと時間の分かち合いです。
そうあれば、世界は面白いから。
内山丈寛/おとい
日時
2019年
5月14日(火) 18:30~21:30
5月15日(水) 18:30~21:30
※二日間の会です。二日目のみの参加は不可。
会場
浄土宗應典院 二階 気づきの広場
定員
15名程度
料金
お金のご寄付(0~∞)、物、事、何れでも時間の間隔があっても構いません。
お申込先
お問い合わせ先
詳細HP
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