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2019/10/23-28 坂本涼平:大舩真言展「中空」(ちゅうくう) レビュー

去る10月23~28日に、大舩真言展「中空」(ちゅうくう) が開催されました。今でも思い返すと、深い青色が目前に現れてくるような、静寂の彼方に運ばれていくような奥深い空間でした。今回は、劇作家・演出家の坂本涼平さんにレビューをご執筆いただきました。


 

私は欺かれた。あると思っていたものがなかったからである。別の側面から言えば、ないはずのものをそこに見出したからである。それがそのまま、色即是空、空即是色ということなのかはわからない。ただ、万物はそれを認識する個の中に建てられる、そんなことを思った。

本堂に入ると、大きな球体が浮遊していた。限りなく幽い空間に、あおい球が一つ。鑑賞のための座が二つ。それだけの空間。明るさが絶妙で、お堂の輪郭が溶けて、無限の空間にいるように感じられる。

私は腰を下ろし、しばらくその空間に居所を探した。しかし、居所などなかった。落ち着かないわけではない。立ち歩きたいわけでもない。いま目にしている球が遠いのか近いのか、ここはどこなのか、現実とどれくらい近くて遠いのか、そういったものが曖昧になるような感覚があった。それは実に楽しい感覚だった。ジェットコースターの類を蛇蝎の如く嫌う私は、むしろこういうものこそを「アトラクション」としたい、とさえ思った。身体はいらない、心が上下すればそれでいいのだ。

さて、そうして、居所のなさに居所を見つけると、欲が出てくる。座る場所があるということは、この座が鑑賞にオススメされた場所なのだろうが、もっと別の角度、別の距離から、この宙なる球を見たいと思ったのである。なんなら、その下に入りたいとすら思ったのである。

こういうとき、私を応援するひとつの言葉がある。大学の恩師の言葉だ。「彫刻は、直に触れて、特に腰を撫でてみなければ真価はわからない。」彫刻は専門ではないのでこの言葉の妥当性は判断しかねるが、恩師は、係員の目を盗み、実際に、大理石にすべらかに手をそえてきた人間だったのである。鑑賞者たるもの、あくまで鑑賞せよ、との警句である。

別に触れるわけではない。立ち入り禁止の領域に入るわけでもない。舞台に生きるものとして、吊りものの真下に入ることも遠慮しておこう。必然、ただ、別の角度から眺めるだけである。それだけのことに、これほどの理論武装をせねばならないあたり、私に研究者としてやっていくだけの偏執性はなかったのだなあ、などと思いながら、気兼ねしいしい球の左に回り込んでみた。

愕然とした。

球が消えたのである。今までそこに「在る」と疑わなかったものが、突然「空」になったのである。もちろん作品そのものが消え失せたわけではない。依然として「それ」はそこにあるのだが、「それ」は球ではなかった。平面的な円だったのである。

ようするに、正面から見た時に立体的に見える塗装をされた円盤が吊られていた。そういうことである。しかし、もう完全に私は手玉に取られていた。用意された座を離れて、こうして回り込んでみることさえ予想されていたに違いない。なぜなら、そうでなければ、こんなに心は動かないし、そうあることで、実に宗教施設での展示にふさわしいものになると感じられたからだ。

さっきまで感じていた球としての体積、質量、そういったものは、なかった。私の中にしかなかった。そのために、この展示は存在しているかのように見えた。万物はすべからくそうなのだと囁くために、この展示は存在しているかのように見えた。

 

〇レビュアープロフィール

坂本 涼平(サカモト リョウヘイ)

劇作家・演出家。1985年大阪生まれ。芸術学修士。研究テーマは「悲劇論」。
2009年に劇団「坂本企画」を立上げ。「ほんの少し、ボタンを掛け違った人間の悲劇に寄り添う」ことをテーマに掲げ、非日常的な世界での静かなセリフのやりとりに、社会に対する寓意をしのばせる演劇を作り続ける。
ロクソドンタブラック(現Oval Theater)主催「ロクソアワード2012」スタッフワーク部門最優秀賞、演出部門三位、総合三位受賞。

2019年12月27日〜29日
應典院本堂ホールにて、記録と人の生をテーマとした演劇を上演。
坂本企画 16 『セ ニ ハ ラ ヲ』
詳細は「坂本企画の舞台裏ブログ」にて。(http://blog.livedoor.jp/tottengeri/

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坂本涼平
(劇作家・演出家)