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2020/5/29 住職コラム :ジャパンミラクルと無自覚の宗教性

新型コロナウィルス感染症の猛威からようやく脱しつつあります。まだまだ安心は禁物ですが、世界中が日常生活へ回帰を目指す中、改めて日本に対する再評価が高まっています。「ジャパンミラクル」とは、「じつに中途半端な対策でありながら、感染死亡率が世界最低水準」に対する賛辞だそうです。

日本はイタリア同様、世界トップクラスの高齢者人口を抱えています。にも関わらず都市封鎖もせず、検査数も最低水準で、医療も崩壊寸前と言われながら、百万人にあたり死者数わずか5人(米国258人)に止まったとは「ほとんど奇跡」だというのです。

なぜでしょうか。ここで政策の是非は論じませんが、よく指摘されるのは「衛生意識が高い」「握手、ハグしない文化」などがあり、海外メディアは「他者を思いやる気持ちが強い」(米国フォーリンポリシー)国民性を評価します。しかし、そのような民族性とは誰もが生まれながら備わっているものなのでしょうか。

ケースは違いますが、東日本大震災の被災地の様子も海外メディアにしばしば賞賛されました。
「これほどの被害に遭いながらも、なお日本人はパニックには陥らず、秩序を保ち、礼儀さえ保って、お互いを助け合っている」(米国ウォール・ストリートジャーナル)
この秩序感覚というようなエートスは、日本人の暗黙の文化的合意であり、感染症と震災の違いはあっても、非常事態においても常に働くある種の集合的意識だとは考えられます。私たちは個人の利益よりも、まず相手を思いやり、社会の調和を優先するのです。

それはなぜか。私は、教育、それも広い意味で学校や地域、家庭それぞれが育んできた日本人の共同性や規範意識といったものが底流にあるではないかと考えます。それも国民教育というような大仰なものでなく、もっと日常の生活や共同体に根ざした伝統、慣習の中でしつけられてきたある種の「型」のようなものがどっしりと根を張ってきたからです。宗教の教えや祭礼、文化もその大きな要素でしょう。

アフターコロナにおいて、人々の行動様式や価値観は激変していくことでしょう。オンライン普及の加速は抑止できないが、便利だから、非接触だからといってこれまでの「型」を壊してしまっては、ならうべき基準も手本も失われてしまいます。今は、変化の行方を見据えつつ、逆にだからこそ日本人の心情を支えてきた大きな土台をしっかりと保っていくべきかと思います。

大阪大学の稲場圭信教授は、日本人の互いを思いやる心情を、「無自覚の宗教性」としてこう書いています。

自分は生かされている、おかげ様で今がある、という感謝の念から苦難にある人へ思いを寄せるのである。神仏のご加護と皆様のおかげで生かされているという感謝の念が人を謙虚にし、自分の命と同様、他者の命も尊重させる。「無自覚の宗教性」における「つながりの感覚」「おかげ様の念」が、他者を思いやる行為の源泉ともなる』

神仏を拝む、先祖を祀る、伝統に連なる等々、宗教によって連綿とは育まれてきた情意や態度は、このたびのジャパンミラクルを生んだ一つの源泉であると言えないでしょうか。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)