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2021/1/22 【後編】年頭にあたって「2021年、コミュニティケア寺院宣言!〜withコロナをお寺はどう生きるか」

年頭にあたり應典院・秋田光彦住職より、2020年の振り返りと2021年における應典院のこれからについて記していただきました。應典院は「コミュニティケア寺院」として新たな一歩を踏み出して参ります。前編に続き、今回は後編を掲載いたします。


お寺はコミュニティに貢献できるか

多くの寺院は地域に根ざしながら、意識/無意識に関わらずコミュニティケアに貢献をしてきた。人々の心の不安を取り除き、健康維持に力を注ぎ、また人生の節々で儀礼を通して生きる意味を伝えてきた歴史がある。

すでに前兆はあったのだが、コロナ禍が決定打となって寺院の役割も減退したといわれる。仏教界では葬儀や法事の縮小や、オンライン法要の是非をいろいろと論じているが、旧来の役割だけ(その重要性は十分認識しつつ)に拘束されていても今後の展望は見えてこない。Afterコロナにおける、お寺の再生を構想する転機を迎えている。

コロナ禍において、誰もが当事者として「生死」についての判断を自問したことだろう。あるいは葬儀ができなかったことから起こるグリーフや、タブレット越しの最期のお別れなど、メディアが報じるニュースから、自分の死生観に思いを致した人は少なくないはずだ。葬儀も法事も老病死の気づきないし安心に最適の機会であって、さらに検討が必要だが、伝統の宗教的ケアも取り組み方次第でコミュニティケアの技法として活かせる可能性はあるだろう。

いや、患者やその家族だけが対象なのではない。

お寺を中間組織としてポジショニングしながら、非医療的ニーズにも目を向け、様々なファクターをつなぎながら、コミュニティにおける人々の生き方を支える役割が見えてくる。

ケアとは、まなざしであり関係性である。慈悲力といいかえてもいい。制度でもなく、サービスでもなく、「いのち」そのものに寄り添ってきたお寺の存在感が意味を持つ。それは結果、持続可能なコミュニティケアに貢献することができるだろう。

 

コミュニティケア寺院

應典院では、昨年大阪府看護協会と協力して健康相談「まちの保健室」、また株式会社ナースケアと協力して「訪問看護師テーション・さっとさんが應典院」を開設した。既存のおてら終活カフェ、グリーフタイムなど併せれば、社会的実装は一定備えたが、機能が揃ったからコミュニティケアが完成したわけではない。それぞれの地域ニーズにあった異なる機能もあるだろうし、これからはオンラインを使ったケアのあり方もあるだろう。

應典院はまず3月から、オンラインセミナー「お寺と、コミュニティケアの可能性を考える」をシリーズ4本の配信を始める。ここでは、訪問看護に加えまちづくり、アートにかかわるお寺のコミュニティケアを考える。それ以後も、教育や哲学、エコノミーなど多様なテーマからコミュニティケアの可能性を照射する。「福祉のお寺」を目指すのではない。

もちろんコミュニティケアに正解はない。やっている当人たちも実は不明なのだが、何をやっているかが問題ではなく、それをコミュニティにおいて必要とする個人とどのようにつないでいくのか、またその関係の総体によってどうコミュニティの質を上げていくのか、そこが重要ではないだろうか。その試行錯誤の行方に、afterコロナのお寺の役割が見えてくるのかもしれない。

まだまだ学ばなくてはならないことがある。交渉すること、協働することがたくさんあるが、最後はお寺における地域固有の伝統と歴史がモノを言う、と思っている。

法事が減った、だけでは前に進めない。まずはコミュニティケア寺院と名乗りながら、出発してみよう。

前編記事はこちらから ↓

2021/1/19 【前編】年頭にあたって「2021年、コミュニティケア寺院宣言!〜withコロナをお寺はどう生きるか」

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)