イメージ画像

2021/5/21【住職ブログ】「闇に向かって叫ぶ声。『沙林(さりん)―偽りの王国』を読んで」

人気作家帚木蓬生の新作「沙林(さりん)―偽りの王国」は、オウム真理教の全体史を描いた600頁にも及ぶ大著である。

この作家、ペンネームも難読だが、経歴も変わっている。東大仏文と九大医学部を出て、現在も九州の地方都市で精神科のクリニックを開業する現役の精神科医である。医療人の書く小説も珍しくなくなったが、この人の場合、少しスタンスが違うように思う。ネガティブ・ケイパビリティを知ったのも同じ作家の著書からだった。ㅤ

應典院再建は、オウムの暗黒が背景にあると述べてきた。ここでは繰り返さないが、狂気の事件から四半世紀以上が経っても、教祖が私と同年齢であり、同時代の宗教者であったという認識は消えない。おのずとオウムの報道や関連書には惹きつけられるのだが、私の知る限り、医療の観点からこの暗黒史を描いた人はいない。
しかも、筆はサリンから中毒、毒薬、毒ガス、化学生物兵器全般へ及び、第一次世界大戦での毒ガス戦、ナチスの生物兵器研究、日本軍・731部隊など近代における人類の宿痾が微細にあぶり出される。731部隊関係者が米軍と取引して戦犯を逃れ、戦後、国立有名大学の学長や教授に収まる人生の顛末には慄然とさせられる。
フィクションと断りがあるが、ほぼ事実で構成されており、これだけ時間を経た今では一種の記録文学といってもいいだろう。医療者であるから当然なのかもしれないが、圧倒的な知識と専門性と、そして基底を成すのは作家としての執念であろう。なんと丸々書き下ろしである。
作家自身の警句は、インタビューや紹介記事でも汲みとれるが、私が共感したのは、以下の発言である(4/10Yahoo!ニュース)

https://news.yahoo.co.jp/…/c8f2d7691e96198b120162be7f40…

「毎日、病院で診療にあたっていますから取材はしていませんし、裁判も一切見ていません。すべて集めた資料や裁判の傍聴記録などをもとにしています。ただ、どれだけ傍聴記録を読んでも、個々の事件について語られるだけで全体像が見えてこない。入手できた資料は膨大にありましたが、いずれもオウム真理教が起こした一つの大きな犯罪を相対的に見る目が欠けていた。それで全体像を記録しておく必要があると考えたんです」

当事者であるから近視眼的になる。報道者であるから断罪的になる。同時代人であるから、情動的になる。それならば、25年という時間をあえて置いて、医療者という(本来防衛的な存在である)科学者の視点から、この事件の闇を冷徹に照らし出そうという試みなのだろう。成功していると思う。

ㅤオウム20年たった2015年、應典院で「應典院1995-2015日本宗教の死と再生」を開催した。登壇したのは、釈徹宗、稲場圭信、今岡達雄3先生と私。オウムから20年、應典院を媒介して変容する日本の宗教を取らなおす試みだった。その後は、「ビヨンド・サイレンス〜ポストオウムの20年を語る」というトークイベントを白波瀬達也先生と一緒に隔月で実施している。当時を記録した専用のフェイスブックページがまだ残っている(写真は当時の主幹山口洋典が会場で行った驚異的な「板書」)。振り返ればたった6年前のことなのだ。
私には作家のような知識も専門性もない。だが、その足元にも及ばないが、作家に連なる執念に似たようなものはある。それはオウムを断罪するというより、現代の宗教者とは何者なのか、我々と社会はどう折り合いをつけるのか、という闇に叫ぶような声に近い。

https://www.facebook.com/outenin20/posts/275438309246665

ㅤ20日、「1995−2015 ニッポン宗教の死と再生」終わりました。平日午後という時間帯にもかかわらず、80人という参加も驚き。静岡、新潟、福岡からの参加もありました。メディアの取材も多かった。中身の方は、進行の私がなかなかさばききれず、遠大なテーマに気圧された感じも。1部では、ゲストがそれぞれのキーワードから20年と問いかけ、2部では釈徹宗、稲場圭信、今岡達雄各氏と私で議論を展開しました。写真のパネルは、その際の出された言葉を抽出して貼り出したもの。あなたの20年を紡ぐ言葉を、見つけ出していけたら。ありがとうございました。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)