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2021/9/22【住職ブログ】弔い直し。納得できるお葬式とは

 「弔い直し」というのだそうだ。コロナ下にあって、十分な葬送ができなかったと悔やむ人が、改めて葬式や法要を行うことをいう。16日のNHKで放送されたので(クローズアップ現代)、見た方も多いと思う。

 番組ホームページにはこうある。
「コロナ禍で葬儀の簡素化や小規模化が進む今、家族の『弔い』について多くの人が心残りを抱えている実態が浮かび上がった調査があります。どうすれば“悔いのない別れ”が実現できるのでしょうか。葬儀にまつわる様々なデータから読み解きます」。
退潮していく弔いに光が当たっているのであれば、結構なことだと思う。しかし「悔いのない別れ」とはどんな別れをいうのだろう。
コロナで犠牲になった方の供養だけでなく、番組は「コロナ禍の生活が(長く)続き「死」や「葬儀」というものへの意識が高まっている」という。葬儀の小規模化は今に始まったことではないが、この20年以上、いかに簡素に効率よくを求めてきた弔いが急に転換をするとは思いがたい。本当なんだろうか。

 番組の中で紹介されるデータはコロナ以前のものだ。「弔い不足を感じた」という調査も2017年のものだし、「後悔しない見送りのために」関連したデータも2018年のもの。いずれも大手葬儀社の調査による。事前に知識を得ていたり、家族で話し合ったりすることが「悔いを残さない」という結論らしいのだが、それもエンディングノートで「解決」するという筋書きなのだろうか(19日の日経新聞では同様の趣旨の記事で、エンバーミングを紹介していた)。

 「後悔しない葬儀」「納得できる葬儀」に、共通の解はない。それぞれの事情と嗜好と「予算」があるわけで、何が丁寧なお別れなのか人それぞれだ。事前の相談とか話し合いは、ずっと言い古されており、日本人にはなかなか定着しがたい文化なのかもしれない。こと葬式については、「予算」以外、分厚い経験もなければ確たる信念もないというのが実情ではないか。その薄い膜をコロナが突き破ったのか。
 「弔い直し」はあっていい。番組で紹介されていたように、骨葬の受け入れをしているお寺もある。しかし、弔いの主体は遺族である。「突然のことだったので」「何も知らず」「葬儀社の言いなりになった」後悔があるというが、まず遺族がサービスを選ぶのではなく、故人を弔う関係の基本に立ち返るべきではないか。これだけはネットで検索はできない。お寺が役に立てることがないものか、と思う。

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秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)