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【開催報告】沖田都光:「尼さんに聴く 第4回 ゲスト:笹子真由子さん」を開催しました。

去る2023年4月18日に「尼さんに聴く」第4回を開催しました。ゲストには、長く看護師を務められ、その後御影神愛キリスト教会で洗礼を受け、メディカルカフェ・こころのともしびを開催されておられる笹子真由子さんにさんにお越しいただきました。当日の様子を、この企画の担当である應典院職員・沖田都光より報告いたします。

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笹子さんのお生まれは福岡県北九州で、じつは聴き手の沖田と同じ故郷ということで和気あいあいとスタートしました。そして笹子さんは、生まれてほどなくして福岡市内へ転居され、幼少期と学生時代を過ごされました。看護師であったお母様は日々お忙しく夜勤もあり、幼い頃はしばしば寂しい思いをしたということも語ってくださいました。お母様のお仕事が落ち着いてからは、笹子さんはバレーボールに勤しみ、社会人チームに入られるほど熱心に続けてこられたそうです。そんな活発だった笹子さんですが、いざ職業を考えたときに選んだのは看護師という道。そばでずっとお母様の背中を見てこられて、やはりどこかで憧れの気持ちがあったかなと振り返っておられました。

看護師としての学びを進め、がんへの先進医療に興味をもたれた笹子さんは、東京の国立がんセンター(現:国立がん研究センター)中央病院を希望し、そこで10年間勤務、副師長まで務められました。全国から集まるがん患者を、まさに秒刻みで診察する毎日。一人ひとりの患者さんとどこまで向き合えているのか、そんな問いを頭のどこかに抱えながらも、とにかく速く、一人でも多く診察するために目まぐるしい日々を過ごされました。その病院でいまのお連れ合いである医師の方と出会われたそうですが、勤務の合間に「いつか患者さんと、白衣を脱いでゆっくり飲みながら話せるバーをやりたいなぁ」と話されていたそうです。

ここからは笹子さんの信仰についてお尋ねしたのですが、笹子さんは元々キリスト教の家庭だったのではなく、大人になってからの出逢いによって洗礼を受けたと話されました。看護師として激務にがんばってこられた笹子さんですが、いろいろな出来事が重なり、心身共に大変つらい時期があったそうです。笑うこともできず、人を寄せ付けず、時にはお酒やタバコにも頼り、しんどい時期を過ごされていた笹子さん。そんなときに周囲の勧めで足を踏み入れたのが、御影神愛キリスト教会でした。どんな啓発本を読んでも、著名な人の話を聞いても、自分を立て直すことができなかったのに、初めて教会で知った聖書の言葉は、それまでの自分が洗われるような、心の奥まで響いてくるような不思議な感覚を持たれたそうです。本当に「出逢い」の瞬間だったのだなと、私は感じました。それから2015年に御影神愛キリスト教会にて洗礼を受け、2016年から教会で、がん患者と家族・遺族の集いの場(メディカルカフェ・こころのともしび)を毎月開催されています。

ここで少し休憩をはさみ、後半はメディカルカフェ・こころのともしび(以降カフェ)の活動について、資料をもとにご紹介いただきました。

カフェのはじまりは、がんセンターで勤務していたときからの「白衣を脱いで患者さんたちと腹を割って話したい」という想いからでした。御影神愛キリスト教会の牧師さんに相談したところ「今一度祈ってみて、本当にそれが自分のなすべき道であるのかを確認してみてください」と言われ、その通りお祈りしてからスタートを決意されたそうです。
2週間に1回、午後の2時間で開催を続けておられ、コロナによって少し減った時期はあったものの、毎回20~30名の方が参加されています。どのような立場の方なのかを名札で色分けするなど工夫しているそうです。参加されている方の目的は、具体的に相談したい人から、ただただおしゃべりしたい人など様々。参加も相談も無料で、個別で治療の相談も受けることもあります。また、3つのお約束をもっており「愛をもって相手の話をゆったりと聴きましょう」「ここで聞いたことは胸のうちにそっとしまってください」「特定の営業販売や勧誘をしないでください」ということをテーブルの上の、目に入るところに設置しているそうです。

実際に活動をはじめてみて、看護師として働いていたときには気づかなかったことに、多く気づかされたそうです。まず家族・夫婦の問題は、じつは病気よりも厄介なことになるケースもあることがわかってきました。(例えば、パートナーに優しくできない。自分が弱音を吐いちゃいけない。あのときこうしてたらという自責。はじめに頑張りすぎて息切れしてしまう。過去の家族関係や内縁関係のもつれなど。)
また、ご遺族の気持ちにも改めて向き合うことになり、笹子さんは深い悲しみを抱えたご遺族に寄り添うため、上智大学グリーフケア研究所でも学びを進めておられます。ご遺族は大切な方を亡くされた悲しみはもちろん、周囲の幸せそうな人を見ると残酷な気持ちになったり、テレビの温かい家族の様子もつい消してしまったり、そう思ってしまう自分が嫌でさらに落ち込むなど、大変複雑な想いを抱えておられます。また特にパートナーを亡くされた高齢の男性の場合、生活が急に立ち行かなくなったり、泣くこともできず感情を押し殺して仕事に打ち込む方も少なくありません。参加してくださる男性のなかには、会場に入る途端に涙される方もいらっしゃるそうで、正直な心の内を吐露し涙できる場の有難さを感じました。回を重ねるうちに、だんだんと生活面の相談や、周囲との助け合いの姿が見えてくることもあるそうです。また、長く参加されている方であれば、故人を知っている仲間もいるので、思い出話をすることのできるかけがえのない場所にもなります。若い患者さんにとっては、家族や周囲にどのように打ち明けていけばいいかなど、とてもデリケートな相談ができる場ともなっています。

現代は、がんになったことを早いうちに告知され、また人生会議(ACP)も普及し、いかに死を迎えるかを予測し、決めていける時代になってきました。しかし一方で、死について語れる場は少ないのが現状です。笹子さんはカフェで、死について熱心に話される方々を目にしてきました。またそれを正直に話せるのは「教会」であることも影響しているのではないかと感じることも多かったそうです。実際、笹子さんも「クリスチャンはどう思っているんですか」とよく聞かれるそうです。笹子さんは、スピリチュアルペインを抱えている方が、宗教や霊的なものに関心をもたれるのは当然のことだと考えておられ、その問いには正直に自分の想いをしっかりと伝えるようにしていると語られました。教会でともに過ごしてきた仲間の病気が進行し、亡くなられる方もいらっしゃいました。中には、大変辛い状況にあっても、最後まで祈りながら穏やかに命を終えられる方もおられました。人の魂を救うのは、神様や霊的なものなのではないかと、笹子さんは感じていらっしゃいます。

そして「祈りの力」について語られました。目の前にいる方の状況や症状が変わるわけではないけれど、その人のために、神様に向かって祈ることで、大きな安心感と深い慰めを与えることができると感じてこられました。祈りそのものがスピリチュアルケアなのではないかとも感じておられます。そして、祈りは信仰をもっているものの特権であり使命であると言われました。最後には、いつもカフェのおわりにみんなで歌っているという「君は愛されるために生まれた」を聴きながら活動の様子を写真でご紹介いただき終了となりました。

笹子さんのお話をお伺いして、信仰をもつということの意味と力強さを感じました。そして、それはすぐに分かるものではなく、人との関わりの中で育まれ、日常的に自分の習慣となって、初めて発揮されるものなのではないかと思いました。笹子さんのお話から、大いなる存在に支えられ生きる姿を感じることができました。