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2023/12/11【住職ブログ】あそびの精舎オープンダイアログを開催して

 あそびの精舎のオープンダイアログがあった。予想を上回る大勢の方々に集まっていただいた。みんな應典院にかかわりのあった人ばかりだ。宗教者は1/4くらい。なつかしい顔もあった。
 今回の趣旨は、應典院のリ・モデル構想である「あそびの精舎」コンセプトを発表することだったが、同様にディープケアラボ(以下DCL)のふたりを紹介したいという思いがあった。最初の川地さんのプレゼンを聞いている間、実感したのだが、「場所の可能性は、担い手の語りで全く変わって見える」ということだった。コンセプトは私も一緒に作ったものだが、31歳の川地さんが自分の言葉で語るところに、新しい希望が窺えた。
 その内容はいずれ動画でも視聴できるようにしたいのだが、「なんであそびなの」「なんでDCLなの」とこれまでも尋ねられることがあった。当日もそのことに言及したので、まとめておきたいと思う。
 3つの観点がある。
 1つは「宗教の本質に対する揺り戻し」である。應典院の再建には95年のオウム地下鉄サリン事件が背景にあるが、去年から続く旧統一教会の事件には、あの時と同様に社会全体の宗教不信・忌避の気分がつきまとう。昔からある宗教バッシングだ。
もちろん反社会的な行為は許されるべきでないが、そもそも宗教には非社会的な部分があり、それによって(私も)救われた人も多い。効率とか評価とか成果だけで人は割り切れない。宗教はわからなさとか危うさを内包しており、それが既存の常識や通念を揺さぶるのではないか。アートと似ている。
しかし現実の宗教、とくに我々のような伝統宗教は良くも悪くもあまりにも生活や風土に根付いているので、そうした特性が見えにくい。根深い慣習性はあるが、早い話、毒がないのだ。
 ホームとアウエーの対比も似ているが、だから、これまでとは違う地点から宗教を解き直す。これが「あそびの精舎」発想の第一だ。言い換えれば教義と職業的宗教者と宗教施設で構成されてきたものから脱構築する。その延長線上に、松本紹圭さんのいう、「宗教の民主化」がある。
 2つ目は、「宗教的利他主義の可能性」について。
 宗教には4つのフェイズがあって、いずれも現世とかかわりあう。現世逃避的で来世志向の伝統宗教、現世の成功や勝利を願う新宗教、現世を否定し超越しようとするのが新々宗教で、4つめが現代、現世に対し能動的に関わる宗教的利他主義である。
「宗教的」というところが、日本の場合は特殊だ。欧米のような自覚的な信仰はないのだが、大きなものとのつながりやご縁、おかげさまといった、稲場圭信さんのいう「無自覚な宗教性」が豊富にある。これが利他主義を行動化する源泉にもなろう。それをもっと積極的に評価して、社会に運用できないか。宗教の社会的機能を、ソーシャルキャピタル(「つながり」「信頼」「互酬性」)に見いだしていく。そのためには、仏教者と市民が一緒に仏教の理念を実現していく対話や協働が不可欠だ。
 3つ目が、これまでも應典院で経験してきた「スピリチュアルな市民との出会いと協働」である。
 DCLのビジョンは「あらゆるいのちへの、ケアする想像力を」だ。こうしたいのちから社会を変革しようとするスピリチュアルな市民活動と協働してきた。環境や教育、ホスピスケアにも多彩な動きがある。宗教ではないが宗教性がゆたかにある。世界的にいわれる、Spiritual but not Religionだ。
 今回の「あそびの精舎」のキーコンセプトは、「ライフココモンズ」だ。自然や先人も含み込む、多様なわたしたちが関わりあう中で、「おおきな”いのち”に気づき」「個々人の”生き方”を見つめなおし」「生まれ死ぬまでの”暮らし”を支えあう」3つのライフ/Life”の営み、関係性、文化をともに育む場だ。大胆に翻訳すれば、ライフを「宗教」と考えてもいい。
 今度の万博でも「いのち」という言葉が多用されているが、その定義は一面的だ。未来や健康、若さだけが「いのち」ではない。生活や暮らし、生老病死に当てはめた時に、いのちという言葉の射程が開く。
 同様に、ソーシャルイノベーションとは、起業家やベンチャーだけが占有しているわけではない。ライフコモンズのような生き方の変革によって、たちまち社会が変わるわけではない。が、社会が変わる前に、「私」が変わる。私の内発的な想いや衝動から生じる変化とかクリエーションに着目し、それが(應典院だけでなく)無数に生まれていく都市こそ魅力的なのだと思う。應典院の目指すものは、「わたしから始まるソーシャルイノベーション」だ。
 ともあれシン應典院のスタート態勢は整った。息子・娘世代の川地さん田島さんに付き合ってもらっている感覚もないわけではないのだが、應典院は住職の占有物ではない。26年前から唱えてきた「お寺とNPOの協働」の一つの着地点となるだろう。
「お寺らしくない」といわれながら、ここまでやってきた。コロナ禍の間の借り?を返したい思いもある。彼らの才能を借りて一丁突き抜けてみよう。
 應典院は現在内装工事中。来年3月には内覧会、4月には、新たなスタートができるはず。また何かやりましょう!