イメージ画像

【開催報告】柴田精一(切り絵アーティスト・パドマ幼稚園アトリエスタ)/誰もが「わたし」を見つけられる場所へ

去る11月30日、あそびの精舎のプロジェクトを主に率いてくださったDeep Care Lab(WebページURL/https://deepcarelab.org/)の代表の川地真史さん、副代表の田島瑞希さんと、これまでの應典院を支えてきてくださった皆さまをお招きして、あそびの精舎プロジェクトのお披露目を兼ねた「ダイアログセッション」を開催しました。
Deep Care Labの應典院の哲学を固め、未来構想を描いてくださったお二人からの構想への想いや過程を伺い、住職からのそれに至る動機のプレゼンテーションもありました。
最後には、應典院寺町倶楽部元会長の西島宏様より、寺町倶楽部の残金272,017円をこのプロジェクトへと寄付いただく贈呈式も開かれ多くの方々が新しい應典院の船出を見守ってくださいました。


今回はダイアログセッション出席者の方たちの中から、教育者(美術)、経済団体職員、まちづくりNPO代表者、僧侶の4名の方から、その感想等をご寄稿いただきました。

第一回目は柴田精一さんのご寄稿文です。柴田さんは切り絵アーティストでもあり、大阪城南女子短期大学では保育職や教育職希望の学生を育てる教員でもあります。また、今年度からパドマ幼稚園アトリエスタ(アート保育の専門員)としてもご活躍です。

奇特な場所

あの應典院がリニューアルするということで2023年11月30日に開催されたプレオープンイベント「應典院あそびの精舎ダイアログセッション」に参加しました。新しい應典院を一目見たかったですが、工事はまだ途中で、應典院に隣接する大蓮寺に通されました。お楽しみはお預けです。しかし、その見た目以上に興味深い新しいコンセプトを聞くべく、大蓮寺客殿には多くの識者の方々やプレス関係者が集まっていました。

やはり多くの方が次の展開に注目しているのです。なぜか?それは應典院が奇特な場所だからでしょう。寺院であるから仏像がある、窓からは外にあるお墓が一望できる、そういう空間でこれまで演劇や美術展などのあらゆるイベントが開催され、ARTを求めて人が集まってきたのです。その姿は普通とはちょっといいがたいでしょう。しかし、住職に話を伺えばその訳がわかります。應典院は、かつてのお寺の役割「学び=教育」「癒し=福祉」「楽しみ=芸術文化」を担っているということなのです。我々が考えがちな寺院とまるで違うのです。

そのような應典院がどう変わるのか?そして「あそびの精舎」とは?どんな話が聞けるのか期待が高まる中、トークが始まりました。住職も登壇されていましたが、Deep Care Labの代表理事の川地真史さんが主に話され、同じくDeep Care Lab理事の田島瑞希さんがモデレーターをされていました。Deep Care Labは「あそびの精舎構想」のコンセプトを應典院と協働して設計されたということです。川地さんから新しいコンセプトの設計に関わることが、住職から應典院のこれまでとこれからの展望が、應典院主査の齋藤佳津子さんからは改装された新しいヴィジュアルが語られ、そのあとゲストの教育哲学者弘田陽介さんが中心となり参加者からの意見や感想が述べられました。

このイベントに参加して、私なりに新しい應典院をイメージできた訳ですが、この短い文章の中で要約すると、論旨が歪みそうなので差し控えたいと思います。特設サイトが應典院HPにリンクされている應典院2024 「あそびの精舎」構想(OUTENIN 2024 NEW Vision)のでそちらをご覧になると良いかと思います。その代わりにはなりませんが、ここでは私感を少しばかり述べたいと思います。

あそびを通して、わたしを見つける

まず「あそびの精舎」というネーミングに、私は興味を惹かれていました。「精舎」とは仏教の修道施設のことですから、いかにも應典院らしいのですが、問題は「あそび」の方です。なんとも軽やかな響きですね。これまでの應典院の文化・芸術振興への積極的な関わり方からすれば、「学び」の方がしっくりきそうなところです。しかし、住職や川地さんの話で腑に落ちました。「人は、あそびの中で初めて自由になれる」というのです。住職はパドマ幼稚園の園長でもあるので、幼児があそび込むことで自然の性質、人の気持ちなど、神羅万象に気づき成長していく姿を引き合いに出し、子どものみならずあらゆる世代もまた、ある種の「あそび」を通して「わたし」を見つけていくのだと説明されました。それは自分の生き方を見つめ直すことでもあるし、自然や祖先とのつながりに気づくことでもあるのだと。なるほど。そういった、人々が共にあそぶ活動や機会(アート・まなび・ケア)を2階のスペースを使ってつくり出し、アクセスしやすい1階スペースはカフェやブック・エクスチェンジができる図書室となり、誰もがただ居られる、居て良い場所になるのだということです。そこには、1階と2階をつなぐ自然な流れが予感されます。

役割から一旦降りる

私はこの流れが素晴らしいなと思いました。というのも、普段私は短期大学で教師をしていますから、どうしても教えることばかりしています。ですが、学生たちはそれぞれに私が到底できないような特技を持っているもので、何かの拍子にそれを知り驚かされます。ですが、その特技を私が学生から教わる機会は、よほどの工夫をしない限り生まれません。それは学校だからでしょう。我々は幼いころから学校に適応していく過程で、学校の中にある教師や生徒という役を降りられなくなっているのです。しかし、新しい應典院であれば、集まった誰もが、あそびの中で社会の中で演じている役割から一旦降りて、学び合い、気づきを得ることが可能なのではないでしょうか。

この度話を伺って、應典院がこれまでのようにかつてのお寺の役割を担いながら、さらに奇特な場所へと進化し、これまで以上に社会に対して問いを発していくのだということがイメージできました。2024年の春からの具体的な展開が、今から楽しみです。