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2024/6/17【住職ブログ】「祖先」の原郷に向き合う時間

 私にとって27年間、見慣れてきたお墓の光景なのだが、いつになく深遠に見えたのは何故だろう。黄昏ていく夕闇の中、時間の流れとともに横長ワイドの画面が荘重さを増していく。かつて見た巨匠の映画のワンシーンを思い出した。
 應典院2階の気づきの広場で、初めての墓Barを開催したのだが、動機はこの光景を共時体験したかったから。酒は口実に過ぎないのだが、酒があるから大真面目に参加できたとも言える。20数人が、30分間、無言で暮れなずむ墓地を見入るのである。外から見れば、よほどの酔狂に映ったかもしれない。
 サイレントタイムの間では、自分の視野と聴覚が拡張されてく。映画もまた無言の鑑賞なのだが、お墓の光景は静止したままで、生活音だけが遠くから伝わってくる。普段見えないものや聞こえないものが感知されていく。日常、受動的に映像や音声を消費している私たちにとって、30分間とはいえ、自律的な感覚を総動員する経験は異次元の境地でさえあった。(一羽のカラスが叫びながら、瞬間、光景を横切った時、覚醒するものがあった)。
 日没すればあとただの闇である。初代マスターの長井俊行さんが上手に場所を仕切ってくれて、和やかな交流となった。参加動機を聞くと、皆さん、「お墓を見ながらお酒飲むのに惹かれた」とおっしゃる。不謹慎に映るかもしれないが、墓地を前に飲む適度な酒は、人の構えや建前を溶かしてしまう。誰もがゆく道なのだ。すべてを許しあおう。
 個別の血脈をいう「先祖」ではなく、この霊地が醸し出す無数の死者の群れは、「祖先」の原郷である。金曜の夜、お酒の力も借りながら(笑)、大人たちはいのちの起源地に向き合ったのである。
 應典院あそびの精舎グランドフロア企画です。