
2024/7/23【住職ブログ】「劇場(型)寺院」から「あそびの精舎」に受け継ぐ精神
たまたま應典院に立ち寄ったU氏と、まちと劇場の関係の話に及んだ。氏は権威ある演劇賞を受賞した著名な演出家であり、フランス留学の経験を持つ。フランスには、日本でいう小劇場と商業劇場の中間的な劇場があって、ごく普通の市民がワイン片手にシェクスピアを論じ合う。劇場と市民の距離が近い。生活圏に劇場がある、というような話だった。
コロナ前に訪れたドイツでも、同じことを感じた経験がある。
バイエルン州のエアランゲンという人口10万少しの都市には、バロック式の市立劇場のほか劇場が4つあり(映画館も独立系が4つあった!)実験演劇のスタジオやさらに国際演劇祭もあった。大阪でいえば池田市規模の地方都市であるが、ただ文化行政がうまく機能しているというより、豊かな「地域文化」が基盤にあった。公立でも私立でもない、中間的なコミュニティが分厚く存在していて、その広場のような役割を劇場が果たしていると感じたのである。
芝居を観に行ったわけではないのだが、市民が夜の上演の前後に過ごすビアホールやカフェは、おそらく文化交流の場であると同時に、個人と個人がつながるコミュニティ結節の地点であるのだろう。演劇論、というより、自分たちの仕事や暮らしに根ざす文化について語らうのだと思う。夜の私的な時間をテレビに向けるのではなく、コミュニティ(共)において過ごすのだ。
人間は職業人であり家庭人であるが同時に、地域人である。公でも私でもない、共の中間領域に劇場は機能している。別の言い方をすれば、政治にも経済(政府や企業)にコントロールされない地域(市民)自立の文化拠点が、劇場のアイデンティティなのだろう。日本でも2013年制定された劇場法には、「(劇場は)も社会参加の機会を開く社会包摂の機能を有する基盤として,常に活力ある社会を構築」し、「新しい広場として,地域コミュニティの創造と再生を通じて地域の発展を支える機能」を持つとされるが、自治体が競って築くなんとか劇場にはその理念が反映されているのだろうか。エンタテイメントと集客だけが、劇場の本分ではない。
應典院を「劇場(型)寺院」と名乗ったのは、その理念に共振したからである。演劇の興行が目的ではなく、演劇を通して実演者や観客などともう一つのコミュニティ創造を目指したからだ。働く(公)、暮らす(私)の間に、表現するというコモンズ(共)の広場を志したからだ。20数年振り返って、決して成功したとはいえないが、コモンズと文化という精神は次の「あそびの精舎」に受け継がれようとしている。
最後に蛇足を一つ。U氏にも伝えたのだが、役者の語源は猿楽法師の長や主だったもの,能の大夫が出世して、寺院の諸役を務めたことに始まるという説がある(なので、法要の役職を今でも我々は「役者」という)。つまり仏教儀礼の世界は、物語や虚構によって描かれてきた、そのわけは、コモンズの領域をさらに先祖や死者へ及ぼして、いのちの全体と交信しようとした、それ故の演劇性ではないのか。U氏に刺激されて、そんなことを感じてしまいました。ありがとうございました。
(写真は2015年開催の「セッション!仏教の語り芸」撮影/山口洋典)