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2024/12/12【住職ブログ】ダンゴムシの供養会。子どもとアーティストの協働

先日、大蓮寺墓地の角にある楠の巨木の元に、ダンゴムシを埋葬した。一緒にあそんだ子どもたちとアーティストたちがお参りした。幼児にとって、生まれて初めて当事者として供養をしたのではないか。もとをいえば今年春に、幼稚園の教室で子どもの声が上がって以来である。アートと教育をどうつなぐか、貴重な経験ができた、と思う。

パドマ幼稚園の年長では5年来、探究活動として「こども会議」に取り組んでいるのだが、この春に子どもからでたアイデアが「ダンゴムシの家をつくろう」。毎日、土中を這い回るダンゴムシのための家を手作りすることになった。調べてみると(子どもが主体的に)、彼らの家には、朽木や枯れ葉、石など日陰が必要で、適切な水分も不可欠であることなどがわかった。試行錯誤が始まったのだが、その最中に幼稚園にやってきたのがアーティストの水田雅也さんだった。意気投合して(?)子どもたちと共同で家を作ることになったのである。

いわゆる型通りの美術教育を打ち破り、アーティストの学校参加、子どもとの共同制作というテーマは、アートNPOにとって「悲願」でもあったと思う。日本の学校は忙しい、それ以上に保守的で、アーティストなどという「変な人」を受け入れる余地がない。成果や目的が見えない行為(およびそれにかける時間コスト)を極端に恐れるのである。

ダンゴムシは、私が企画したのだからそういう障壁は少なかったが、それ以上に保育の現場(教員)が、外部に対し興味や関心を払い、他者と協働して生み出す成果(それはお絵描きの世界とは全く違う次元の)に対するリテラシーの必要性を強く感じた。外に向けて物理的にも言語的にも情緒的にもまだまだひらかれていないと感じる(もちろん、常時ひらかれっぱなしがいいといっているのではない)。

幼稚園のアート祭に應典院で併催する「極楽あそび芸術祭」の水田さんの作品づくりが始まった。何度か幼稚園を訪れ、ワークショップを開き、水田さんと園児の交流が始まり、そして開催日前夜深夜までかかって、写真のような作品が完成したのである。天吊りの巨大なスクリーンは、家の屋根越しに子どもによって覗き込まれているダンゴムシの視界を表している。

芸術祭の期間中、たくさんのダンゴムシが死んだ。水田さんが住まいの京都からも「移住」させてきたのだが、子どもは優しさ以上に残酷である。圧倒的弱者であるダンゴムシを時にゲームのようにもてあそぶ。動かなくなったダンゴムシに関心は示さない。家をつくろうといいながら、これは強制収容所ではないか、という疑問も湧く。この作品はその保護と放棄、慈愛と冷淡、生育と収奪、という真反対な概念を提示しようとしたのだろうか。それはそのまま子どもという人の不可解さにつながっていく。もっといえば、その訳のわからなさを敢えて枠に収めようとする、私たち幼児教育の役割をも揺さぶるのでる。

芸術祭が終わって一月以上が経ったが、念願だった、亡くなったダンゴムシの供養会ができた。園児代表がお焼香をして、同称十念を唱えた。いのちとはなんだろう。どこへいくのだろう。小さなお墓に彼らは何を見たのか、多くは語らない。別れ際、水田さんと親しげに再会を誓う様子が、供養会の後にふさわしい光景だった。ダンゴムシよ、ありがとう。