
2025/6/10【住職ブログ】お葬式と、社会貢献。「あさイチ」から思うこと。
6月3日のNHK「あさイチ」はお葬式特集だった。去年のお墓に比べて、抑制の効いた内容であったように思う。葬儀は、宗教者のコミットがより濃厚だからだろうか。
意外な場面があった。派遣僧侶(サービス)紹介のコーナーになって、司会者が全日本仏教会のコメントを字幕付きで読み上げたことだ。お寺が地域社会と結びつき、福祉増進のために活動し、また震災の折の避難所など社会貢献が活発であるとし、こう続けている。「お布施を支払うことは、現在苦難の中にある人への支援にさらに災害で困った自分や誰かの支援につながるでしょう。そのようにお布施を施した人と人とのつながりというものを、大きく長い目線で見ていただけたら大変嬉しく思います」そしてその負託を受けた私たちは(僧侶は)葬儀や仏事に精励していかねばならない、と結んでいた。
両論併記がジャーナリズムの基本だし、この声明に対しスタジオのコメントはなかったが、(これまでの声明の発表があったのかは知らないが)率直に好印象を受けた。「抗議声明」ではなく「理解のお願い」となっていたからである。 NHKからお伺いをたてなのか、全仏から要請があったのか知らないが、いずれにしてもどちらも「フェア」な妥協点を見出したのだと思う。
しかし、この文脈をよく読めば、布施は「社会貢献」とセットで論じられているが、それだけではない。菩提を弔う、先祖を祀る、行事ごとの供養を勤めるといった日常の宗教活動も、また「社会貢献」と認知されていかなくてはならない。社会貢献は、お布施批判のエクスキューズではなく、「平生の宗教活動の連続性上になくてはならないとも思った。
数日前、老親を失った喪家から電話があった。正月とお盆のお参だけだが、何十年もつきあいのある檀信徒である。言いにくそうに、「お葬式には必ず住職さんに来てもらわなくてはいけないのか」と聞いてくる。問い返すと、ネットで見つけた葬儀社が「僧侶が来るなら祭壇の金額が上がる」と吊り上げてくるらしい。噴飯物だが、この手の話は枚挙にいとまがない。
私が介入して、近隣の良心的な地元葬儀社にリレーしてことなきを得たのだが、これもまた「平生の宗教活動(おつきあい)の延長線上の結果と言えないだろうか。「来なくていい」と断るはずのお寺に相談してくるのは、判断も含めお寺に頼っているからだろう。
困った時に、菩提寺に相談できるか、檀信徒がSOSをかけてくるか、これが寺檀の信頼関係のバロメーターであると思う。
NHKプラス:今「お葬式は小さく」が主流に!?知っておきたい令和の別れ方
https://www.nhk.jp/p/asaichi/ts/KV93JMQRY8/episode/te/PG2PG23YN8/