
【開催報告】佐脇亜依 あそび精舎フォーラム『ライフコモンズの遠近法 -生老病死を支え合うコンパッション・コミュニティを考える-』
去る6月20日にあそびの精舎フォーラム第2弾『ライフコモンズの遠近法~生老病死を支え合うコンパッション・コミュニティを考える』を開催、30名の方にお集まりいただきました。まちづくりやアート、ケアに関わるさまざまな取り組みをされているゲスト、そして参加者の方にもそのような関心を持たれて活動されておられる方が多くお越しくださり、熱気ある時間となりました。当日の様子について、應典院で長くグリーフタイムを開催されている佐脇亜依さんにレビューをご執筆いただきました。
懐の広い言葉、「ライフコモンズ」
大きな“いのち”に気づき、“生き方”を見つめ直し、“暮らし”を支え合うことをあらわす「ライフコモンズ」という言葉。あそびの精舎のキーコンセプトであるこの言葉を軸に、フォーラムは進行した。山納さんや川中さんがどういった場をつくってきたか、そこに川地さんからの問いかけが加わって、それぞれの考えや想いが交わされた。フォーラム終盤、会場が参加者の声で満ち溢れ、一気に雰囲気が変わる瞬間があった。参加者同士で感想などをシェアする場面である。同じ空間で、同じ話を聞いていたのに、その受け取り方はそれぞれに違い、その自由さが、なんともおもしろい。それまではただ隣や後ろに座っているだけだった人の輪郭がはっきりし、“場”が立ち上がってくる感覚があった。「ライフコモンズ」は、いつもと違う眼差しで“ライフ”に目を向けさせてくれる、そして、それぞれの人の文脈で捉え、考えを深めることができる、懐の広い言葉だと思った。しかし、ただその言葉があるだけでも、人が集まる空間があるだけでも、うまれないものがある。“場”って、コミュニティって、一体何なのだろうか。
「あそび」のある“場”
山納さんはTalk’in Aboutなど多彩な“しゃべり場”をひらいており、その“場”には出会いの可能性を広げる、「創発の打率をあげる」ための工夫があるという。川中さんは、若者と社会とのかかわりをつなぐ活動を展開している。そして、その中でうまれた「私はどう生きるか?」といった問いから、生と死の共育ワークショップを開催することになったという。“場“には、それがうまれるに至る想いや歴史があり、それを大切にするための工夫がある。目的やテーマが決められ過ぎると、自由のない窮屈な“場”になってしまい、思いもよらない展開は生じにくい。とはいえ、何もなさ過ぎても、それはそれで不安で、戸惑う人もいる。塩梅が大切なのだろうか。そんなことを考えていると、「あそび」という言葉がより際立って響いてくる。「あそび」は、無目的な営みで、人を自由にしてくれるという。「あそび」には偶然の出会いやつながり、思いもよらない表現がうまれる余白があるように思う。
ケアを目的としない場だからこそ、うまれるケアがある
フォーラムでは、大切な人との死別など、どうしようもない苦しみやつらさ、ケアについての話題も多くあがった。―ケアを目的としない場だからこそ、うまれるケアがある―話を聞きながら、そのことが胸に刺さった。意図的に提供する/されるケアとは違い、自然にうまれるケアって、なんて素敵なんだろう、と。普段、専門職として「あそび」のない対人支援の現場で働いているから、より強くそう思ったのかもしれない。安心して自分を表現できる“場”、また、つらい時に駆け込むことができる“場”、そんな“場”があることは、それ自体が大きな支えになる。その“場”が、普段避けられがちな重い話題、生と死にまつわる話題を引き受けてくれるお寺なら、なおさらだ。その“場”で過ごす時間や人との関わりの中にうまれるケアがある。それぞれが自分の気持ちを大切に、無理なく過ごすことができる“場”には、幅広いあり方を受け止める余白が必要だ。「あそび」は、その人の無理のないあり方を守ってくれるものでもあるのだろうか。
答えのない問いだからこそ、おもしろい
フォーラム当日、私はその日の仕事や日常のアレコレを引きずりながら、應典院を訪れた。会場に行くと、目の前にお墓の景色が広がり、フッと肩の力が抜けるような感覚があった。“場”の力を借りて、専門職や母親としての役割から少し距離を取ることができた気がする。話を聞きながら、時間の捉え方も含めて、視野が広がっていく感覚があり、終わって1人になった時には、誰かと話したい気持ちが強くなっている自分に気づいた(そして、話をした)。いずれも「ライフコモンズ」や「あそび」を、自分事として体験した時間だった。その後も、このレビューを書く機会があり、言葉を通じて考えることが続いた。体験することと考えることを行き来しながら辿り着いたのは、―答えのない問いだからこそ、おもしろい―であった。“場”とは何か、ケアとは、人と人が支え合うとは何か、生きるって何か。たくさんの人や機会と出会いながら体験を重ね、問い続けることを大切にしたいと思った。そして、それは難しい営みだからこそ、立ち戻り、揺らぐことができる“場”と言葉が必要だ、とも。あそびの精舎は、「ライフコモンズ」をキーコンセプトにかかげ、そこに集う人たちと共に“場”を重ね、共に言葉をつくりながら、歩んでいこうとしている。その姿勢が、なんとも、かっこいい、そう思える時間だった。