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2025/9/4【住職ブログ】「世論」に抗う。メディアとお葬式。

 季節ネタなのかもしれないが、8月朝日新聞のトップを3度、葬式が飾った。今日は「葬儀高額請求トラブル」も大見出しが躍る。記事は別に譲るが、「騙された」「ぼったくり」「つけこまれた」といった不満や苦情の羅列である。消費者庁の行政処分の話まで至っている。
 ドライにいえば、誇大広告や水増し請求などどの業界にもある話で、消費者が賢くなるしかない。問題にしたいのは、葬儀を語るメディアはこうしたネガティブ・キャンペーンになりがちだという事実である。無縁墓然り、死後事務然り、こと弔いに関する主題は、まともでないという「世論」が造られていく。
 コンビニじゃあるまいし、全国均質の葬儀などない。弔いはそれぞれ多様なローカルに根ざしている。無縁墓の増大は、人々の死生観や供養意識の衰弱と関係してはいまいか。しかし、そういう未整備で、混沌としたものをメディアは、まるで合理的解があるかのように断罪するのだ。

 これに対して抗弁する道はない。悪徳葬儀社は存在するし、無縁墓に対し行政は無策だからだ。現場の僧侶にできることは限られる。あるとすれば、制度や商品としての弔いを云々するのではなく、関係や文化としての弔いを主張していくしかない(應典院のあそびの精舎リサーチプロジェクトもそれを目指している)。自前のメディア(S N S)で発言していくのもそうだが、根本は、目の前の一人ひとりの檀信徒・生活者と誠実に関わることからだろう。われわれの存在理由はそこにある。

 

 弔いの文化は、マスコミが造るのではない。濁世を生きる人々とわれわれ宗教者らが試行錯誤しながら掘り進む地べたから生まれるものなのだ。そう信じたい。

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秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)