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2026/11/02【住職ブログ】「住職は飛び職」。神宮寺・高橋卓志さんを悼む

神宮寺の高橋卓志さんが亡くなった。覚悟はしていたが、痛恨の極みである。

高橋さんは私より6歳年上の「全共闘世代」である。神宮寺を拠点に、チェルノブイリ支援、平和運動、終末期ケア、寺院改革など、次々と活動を展開してきた。「住職は飛び職」を公言していた。闘わないではいられない人であった。

記憶は定かではないが、最初に出会ったのは阪神・淡路大震災直後の、あるシンポジウムだったと思う。すでに先駆者として尊敬していた高橋さんが、壇上で気後れする私を励ましてくれた。

1999年7月、應典院の寺子屋トーク「ノストラダムスをぶっ飛ばせ!」では、あの本堂を200名以上の参加者が埋め尽くした。高橋さんを中心に、気鋭の青年僧4人による「バトルトーク」であった。翌2000年の第3回コモンズフェスタには、タイのエイズホスピスの写真展を提供してくれた。また、2005年に神宮寺が招聘したモンゴル僧による声明コンサートin應典院の衝撃も忘れられない。

應典院の再建前、何度か神宮寺に通った。寺院運営の仕組みやノウハウを学びたかったのだが、いつも高橋さん個人の強烈なオーラに圧倒されて帰ってきた。寺をひらくこと、NPOとの協働、仏教とケア、お葬式の見本市、永代供養墓まで。今、應典院が手がけていることのほとんどは、神宮寺がその「原典」である。

應典院10周年(2007年)の記念誌に、高橋さんが寄稿してくれている。当時まだ還暦前だったが、自らを「神宮寺はすでに遊行期にある」と評した上で、「應典院は今まさに家住期。旺盛な働きをすべき時期と見る(中略)」と記している。さらに、「現行の寺や坊さんの世界が滅びていく」ことを、当時のヒット映画をなぞって「 仏教アルマゲドン」と呼び、「それを回避するためには應典院的な核弾頭を搭載した宇宙船が必要だ」と言ってのけた。

仏教界を痛烈に諧謔しながら、その文章をこう結んでいる。
「遊行期に入り体力も気力も萎えたぼくは遠い地球から(應典院を)応援するしかない。がんばってね」

高橋さんは、死ぬまで豪放闊達な人だった。病床にあってもなお語り続けた。最初から最後まで、ずっと私たちの前を走り続けた人だった。

もう追いつけない。それがさびしくてならない。

南無阿弥陀仏。

出典:神宮寺の前住職 高橋卓志さんが死去 「いのち」テーマに社会活動に広く携わる 長野・松本市
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e86c0aff766d0bb80163c6c4a75bcb9650d9de0?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20261102&ctg=loc&bt=tw_uphttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD022DV0S6A800C2000000/