12月5日、寺子屋トーク60回にて、無縁社会と言われた年に「利他」を考えるシンポ。
12月5日、寺子屋トーク第60回特別編「利他の取扱説明書」を開催いたしました。当日は二部構成でした。第1部では稲場圭信・大阪大学准教授と、早瀬昇・大阪ボランティア協会常務理事の対談が行われました。「社会学の観点では利他には自己犠牲が伴うとされるが、宗教社会学の視点から迫ると違和感がある」とする稲場先生に「ほっとかれへんという思いから始まるボランティアも、責任感を伴わないと活動の成熟は導かれない」と早瀬さん。そうして、利他は利己の単純な対義語ではない、といった対話が重ねられました。
稲場先生によると「利他」という仏教語はフランスの社会学者、オギュースト・コントによって「altruism(アルトリズム/アルトルイズム)」と呼ばれることになったとのこと。このことばは、エゴイズム(利己主義)の対義語として位置づけられているのですが、「かといって利他主義は、自己犠牲を求めるものではないはず」と、稲場先生は指摘します。この投げかけを、長らく地域に根ざしたボランティア活動を牽引してきた早瀬さんが引き受けました。そこでは、ボランティアに見る利他的な行動は「ほっとかれへん」という思いが責任感を伴ったとき、他者に受け入れられる行為となり、互いに豊かな関係が生まれる、と説き、「ボランティアを受け入れる方も、ボランティアを受け入れるというボランタリーな行為を見ることができるんです」とことばを添えました。
臨床の知からの気づきと学び
第2部は、ビハーラ21の大河内大博さん、支縁のまちサンガ大阪の川浪剛さん、京都自死・自殺相談センターの竹本了悟さんの3名の討論が行われました。それぞれ浄土宗、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派の僧侶として、スピリチュアルケア、貧困問題、自殺対策と、各々のテーマに基づいて利他的行為を行う実践家です。コメンテーターの渡邉大さん(大阪大学)からも「他者の痛み」という点を切り口に、刺激的なコメントをいただきました。
今回招いた3名の僧侶は、スピリチュアルケア、貧困問題、自殺対策と、各々のテーマに基づいて利他的行為を行っています。なぜ、そうして活動するのかの質問に、大河内さんは「主観世界で起こっていることに寄り添う」、川浪さん「貧しさの中にある体験の豊かさを学びたい」、竹本さんは「どんなときにも絶対に味方になると、そばにいたい」ためだと応えました。いずれも市民の言語で語られていますが、それぞれに近代的な「使命感」よりも、僧侶たちにとっての「教え」が後支えになっていると言えます。とはいえ、教義を絶対化するのでもなく、「教え」の真意を問いながら、時には「教え」の融通のなさに葛藤しながらも、独自の経験の中で読み込もうとする「臨床僧」の意気を見いだすことができました。