6/21 第63回寺子屋トーク「仏教をつかいたおし極意、教えます。」を開催いたしました
去る6月21日、第63回寺子屋トークが開催されました。掲げたテーマは「仏教をつかいたおす極意、教えます」。この挑戦的、挑発的な内容を紐解いたのは、釈徹宗さんと小池龍之介さん。意外にもお二人の対談は初、とのこと…。
平日の夜の開催、しかも梅雨に入ったこともあり、終日雨模様ではありましたが、定員を越え、開場時には整理券を用いての入場をいただくことになりました。そこには、地域単位・家単位で継承されてきた仏教の教えが、現代において、福祉や教育などの臨床の実践はもとより人生哲学など、個人単位で捉えられるようになってきたことを無関係ではないでしょう。そんななかお招きしたのが、『考えない練習』(小学館)や『平常心のレッスン』(朝日新聞出版)をはじめとした多数の著書で知られ、坐禅や瞑想の指導を月読寺(東京)で行いつつ、父の後を継いで正現寺(山口県)の住職となった小池さん。その間、浄土真宗本願寺派から破門処分を受けた小池さんを、既に應典院では原始仏典や大乗経典講座の講師でおなじみとなった釈徹宗先生にお迎えいただきました。
前半は釈先生から小池さんへ問いかけがなされました。釈先生をして「独特の間合いに慣れてくださいね」と言わせ占める小池さん。ひとつひとつの問いかけに丁寧にお答えされる形で、小池さんの地域の方々と農業をする暮らし、幼少の頃に抱いた葛藤、タイのブッタダーサ師と瞑想との出会い、パーリ語の経典と仏典における「繰り返し」の意味、そして近代以降に固められてきた自我と日本仏教について、ゆるやかに話題を展開されていました。
後半は小池さんから釈先生への問いかけへ。その中で特に、日本でなぜ浄土仏教が発展したのか、というバックグラウンドについてほりさげられました。まずは仏教には自他の連続性が根差されているという特徴を確認。そして日本仏教は、伝来以前から土着に根差していた信仰と相まって地域に浸透していったために、輪廻や往生を論理的な説明だけでは万人に納得いく解釈を示すことができないことを互いに深め会いました。
そして最後はニーチェなどの西洋哲学も織り交ぜながら、善の押しつけが「べき」論を生み、自分を優位に立たせようとすることによって生み出される「煩悩」的な側面が明らかとされました。
小池さんをして「仏教界のエディター」と言わせしめた釈先生。上記の外にも幅広いお話が。例えば「グレるお坊さんの話」などです。次回を切に期待する次第です。