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4/26 「浄土宗大蓮寺塔頭應典院・20周年感謝のつどい」を開催いたしました。

去る4月26日、「浄土宗大蓮寺塔頭・應典院20周年感謝のつどい」を開催いたしました。1997年の再建から早20年、秋田光彦住職・秋田光軌主幹による法要の後、應典院の新ホームページ、應典院寺町倶楽部の新運営体制などについても発表させていただき、これまで場を支えてくださった方々へ感謝の意を述べさせていただきました。

また、相愛大学教授・宗教学者の釈徹宗先生による記念講演「應典院の時間と場と関係性と」では、應典院のこれまでの歩みや日本仏教の特徴について触れられた上で、パウル・ティリッヒの「クロノス/カイロス」やジャック・デリダの「トポス/コーラ」といった概念を参照しながら、さまざまな角度から應典院の可能性を紐解いてくださいました。
その後の大宴会でも多くの方からお言葉を頂戴しました。いただいた沢山のヒントを手に、次の20年に向けて一歩ずつ歩んでいきたいと念じています。



同日、ここ10年の場の記録をまとめた冊子『呼吸するお寺 2007―2016』をお渡ししましたが、その中から20周年を迎えての住職からのコメントを、以下抜粋して掲載いたします。

「呼吸するお寺」の20年

97年に再建された應典院が、今年で20周年を迎える。
建立以来千何百年というような名刹に比べれば、吹けば飛ぶような刹那に過ぎないが、強いていうならその20年は、いわゆる寺の沿革とか寺史というような記述された時間とは異質なもののように思う。
一般に寺とは、超俗にして不動の構えにあることがよしとされてきた。それに比べれば、應典院ほど持続的に場を開き、社会とコミットしつづけた寺はそうそうなかったのではあるまいか。年間大小100以上の場が生まれ、3万人以上の人々が集う。その多数が20代から30代の若者だ。寺と呼ぶにはあまりに騒がしげな、その異貌は、コンクリート打ちっぱなしの見かけだけではない。
そんな應典院を、人は「イベント寺」という。段取りや仕込みの手際は、確かにプロ級かもしれないが、むろん集客や動員を目的としているのではない。既存の寺が、その構えゆえ取りこぼしてきたもの――現代の社会的弱者あるいは忘れられた他者と出会うため、場と関係性の数々に立ち臨んできた20年が、そのまま應典院の「現場」である。
答えはない。ただ交わり、揺さぶり、問い直すカオスのような異空間から、多くのNPOやアーティスト、そして若い宗教者が登場してきたことを自覚的に思う。
いや、ふりかえるには、まだ早すぎるのかもしれない。
3.11以降、明らかに日本仏教は変化の加速度を増しており、新世代の宗教者やソーシャルな現場が次々と生まれている。それが「應典院的」であるかどうかは別にして、日本の寺がかつてなかった動態モードに入ったことは間違いないだろう。
20年の回顧に浸っている暇はない。時代と共振してきた「呼吸するお寺」が、いまようやくその存在を問われているのだ、と思う。
南無阿弥陀仏。

應典院住職 秋田光彦

人物(五十音順)

秋田光軌
(浄土宗大蓮寺副住職)
秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)