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サリュ 第56号2008年7・8月号

目次

巻頭言
レポート「第52回寺子屋トーク」
コラム 上田假奈代さん(詩人)
インタビュー秋田光彦さん(浄土宗・大蓮寺住職)
編集後記

巻頭言

怨みは怨みによって鎮まらない

(「仏教聖典」より)

Report「慈」
オリンピックならぬ「仏リンピック」。

〈いのち〉の問題に触れる

去る5月11日、恒例の「寺子屋トーク」の第52回として、「チベット発東京経由仏リンピック」大阪大会なる緊急シンポジウムを行いました。企画の背景にあるのは、緊迫したチベット情勢から、2ヶ月が経とうとしているなか、この間、オリンピック開催の是非論に重ねて、弾圧と虐殺に対する悲しみと支援の輪が広がりつつあったためです。実際、N G O・NPOやメディアだけでなく、仏教寺院等でも、深い学びの場が創出されていました。そうした中、應典院寺町倶楽部の視点としては、今回の問題の本質は、チベットと中国のあいだの領土の問題ではなく、政治と宗教の両側面から取り上げられるべき、慈悲と共生に関する「いのち」の問題が横たわっていると捉えることにしました。

今回の寺子屋トークには「モデル」がありました。それは、東京・港区にある青松寺で、4月29日に「臨時仏教ルネッサンス塾」として開催された、その名も「ひと足先に仏(ぶつ)リンピック』!」でした。これは、仏教の柱である、「智慧の獲得(学ぶこと、深く知ること)」と「慈悲の実践(心からの思いやりをもって行動すること)」、この2つが、真のオリンピック精神の実現と共鳴、共振するのではないか、という問いから催されものです。「選手団」になぞらえらたゲストは、應典院でもお馴染みの上田紀行氏( 東京工業大学大学院准教授)らが務め、170名を超える方々にご参加をいただいたとの事です。

語りの場の「成果」リレー

そこで、東京で行われた「仏リンピック」という名前を、「聖火」ならぬ「成果」リレーとして受け継いで、寺子屋トークのイベント名に使わせていただきました。もちろん、使用にあたっては、先方に許可をいただきました。東京では開催前に法要を行い、終了後には観音像に結ばれた五色のテープを参加者が手にして願いを捧げたとのことです。そこで、大阪では、シンポジウム開催前には漢民族を含めた犠牲者供養の法要を行い、終了後には今後の平和を願って、撞木に結ばれた五色の紐を参加者が握って、「誓いの鐘」を10回撞くという演出を行いました。

そうした供養と誓いの場のあいだに行われたシンポジウムは、上田紀行さんの基調講演に続いて、熊本県玉名市にある蓮華院誕生寺の川
原英照貫主と、チベット仏教普及協会( 愛称・ポタラカレッジ)のクンチョック・シタル副代表によるパネルディスカッションが行われ
ました。東京と同じく、参加者を「選手団」になぞらえて、オリンピックならぬ「仏リンピック」。議論を展開しました。当初の選手団に加えて、映画「チベットチベット」のキム・スンヨン監督、釈徹宗さん(如来寺住職)、木村慶司さん(大阪市仏教青年会副会長)など
も参加し、熱い議論が交わされました。

議論の中で特に興味深かったのは、「なぜチベット人が悲しんでいるかと言うと、未来の芽を摘まれているからです」という、シタルさんのことばでした。チベット仏教は、戒律を中心に自らを見つめる上座部仏教と、世の中を救う思想や実践としての大乗仏教と、意識から見た
世界に関する密教と、順に学びを深め、積極的に他者に働きかけていくものです。そうして働きかけていくのは、社会のためであり、今後の未来のためであるにも関わらず、その行動が封じられてしまうことが、怒りとなっている、とのことでした。抑圧されている現状に対する憂いではなく、展望が閉じられた未来を開いていくための積極的な怒りであることを改めて知りました。未来に思いを馳せて行動することの大切さを、主催者側も学んだ一日でした。

小レポート

アーティストとつくる学校教育

5月24日、「ARCトークコンピレーション」の第14回目が開催されました。ゲストは日本の学校現場でここまでできるのかと思わせる程、先駆的な教育づくりを行っている、京都府宇治市立菟道第二小学校の糸井登さんと平盛小学校の藤原由香里さん。会場に30名を超えるお客さにお集まりいただき、超満員!やはり「アート×教育」というテーマは関心層が多いのでしょうか?アート関係者のみでなく、学校の先生方たくさん来てくださったことが議論の質を高めたきっかけとなりました。アートプロジェクトとしての「築港ARC」に、アートと直接関係のなかった方々が分野を超えて関わりをもっていくこと。そういう接点をいかにつくりだせるかを一番要視している築港ARCにとって、ひとつの成果が出たのかなと思います。トークの内容は、築港ARC制作のインターネットラジオ「ARCAudio!!」(http://www.webarc.jp/arcaudio/)にて聴いていただけます。ぜひアクセスしてください。

小レポート

應典院コミュニティシネマシリーズvol.13「未来世紀ニシナリ」プレミア上映会

6月21日からの大阪劇場公開に先駆け、「未来世紀ニシナリ」のプレミア上映を行った今回のコミュニティシネマシリーズ。ロンドンへの取材を行うなど、そのメッセージ性に溢れた本編上映の後、釜ヶ崎で失業問題に取り組む「釜ヶ崎ふるさとの家」共同代表の本田哲郎神父から、実践者と宗教者の立場でお話をいただきました。また、その内容を深める場として、シンポジウムも併催。ゲストには、映画本編にも登場され、実際に西成で就労支援に取り組む佐々木敏明さん、福田久美子さん、そして本田神父。司会として本会事務局長の山口洋典が登し、それぞれの立場からの西成での取り組みを巡った議論が闘わされ、客席からも活発な意見が飛び出すなど、関心の高さを伺わせる密度の濃い時間となりました。

小レポート

space×drama2008総決起集会

6月9日、気づきの広場に應典院舞台芸術祭「space×drama2008」に参加する5劇団、総勢53名が集結した。今年から結成5年の枠組みが外され、経験・実力共に充実した顔ぶれ。協働プロデュース対象団体に選ばれた「突劇金魚」をはじめとし、在日朝鮮人という独自の視点から物語に切り込む「May」、space×drama史上初となる劇団同士のユニット「本若⇄ケービーズ」、4回目のエントリーにして初の栄冠に挑む「特攻舞台Baku-団」、ポストパフォーマンス公演として、後夜祭を盛り上げる「ミジンコターボ」。個性溢れる彼らの真夏の演劇バトルが幕を開きます。

コラム「尊」
釜ヶ崎の夏がはじまる

暴動6日目、暴力について。

ここで、わたしの文章はとまってしまう。肌にはりつく蒸し暑さのせいではない。今日は2008年6月19日、もし今夜人が集まれば釜ヶ崎暴動は7日目に突入する。13日からはじまった西成警察署前での暴動の真相はよくわからないまま、若者たちが各地から集まってきた。投げつけるためにめくられる道路、投石、放火。報道には規制がかかっているようで、現場にある程度立っていなければ様子はわからないだろう。いつも通りに過ごしている仕事場と1キロと離れていない場所で、このような光景が繰り広げられている事実に、ことばを失う。

雨が降り出し、「今日はもう暴動ないやろう」と皆が口にしたとき、胸をなでおろし、梅雨でよかったと思ったのだ。暴動について少しも知っている人はさまざまに語る。その断片を拾いながら、わたしはハッとしたり、いらだちを覚えたりしている。あの晩、投石と罵声という表現の仕方しかなかった。暴力のための暴力としての表現。そのことがとても悲しかった。無力だった。

應典院で詩のワークショップをはじめて7年になる。秋葉原の事件の直後、参加者たちは口々にケータイサイトに書き込まれたことばについて語った。あの書き込みに応答があれば、事件は違うかたちになったのではないだろうか、と言う。表現したものが
受けとめられ、返ってくる「応答」という感覚はなによりも、このワークショップで大切にされていることだった。ワークショップでのわたしの仕事はそこにあるとよく自覚しているが、いまわたしが生きている社会という場で孤独な状態にあっての「応答」はどうやったら作られるのだろうか。

無名の人生がどれほど尊いかということを忘れがちで、消費者として生きさせられる違和はけっして暴力ではなく、関係性のなかで取り戻したい。

上田假奈代(詩人)
1969年生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。92年から障がいをもつ人や社会人、子ども対象の詩のワークショップを行う。01年「詩業家宣言」を行い、全国で活動をつづける。03年ココルームをたちあげ「表現と自立と仕事と社会」をテーマにホームレスや高齢者、ニート、教育、環境など社会的な問題にも取り組む。西成区山王でインフォショップ・カフェ・ココルームを運営。NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表

サイトhttp://www.kanayo-net.com
ブログhttp://booksarch.exblog.jp

Interview「場」
秋田光彦さん (浄土宗・大蓮寺住職)

行き場を失った若者、空洞化した寺。
時代にとっては無価値な両者が融合したとき、
したたかでしなやかな、〈場〉が生まれた。

すべては〈場〉からはじまった。
大蓮寺住職・秋田光彦は、大蓮寺の塔頭寺院・應典院再建の動機を、そう振り返る。

應典院が再建されたのは1997年。2年前にオウム真理教事件が起き、この年の夏には神戸の酒鬼薔薇事件が発生している。少年犯罪、不登校、いじめ、援助交際…「普通の子ども」と評価されてきた若者たちが、身体ごと悲鳴をあげはじめた時代でもあった。「人間は役に立たないことを真剣に考えたり、立ち止まりながら成長していくもの。若者はその一番敏感な成長期にある存在です。しかし、絶え間なく回転する生産と消費の歯車の中で、彼らの居場所は押しつぶされていくようだった」。

一方で、都市における寺のありようにも問題を感じていた。コンビニの数をはるかに上回るほど、いたる処に寺はあるが、その多くは社会との接点がない。寺もまた、都市のなかで孤立していた。

時代にはじかれた若者と、時代に取り残された寺。秋田はふたつの問題を前にして思った。「だからこそ、両者が協同して、新たな表現を模索する場所ができないか」。

時代に媚びない地点をふみしめながら、若者自らが根本から成長できる場所。その思いが本堂とホールが一体化した、ユニークな劇場寺院を生んだ。

この10年、應典院は演劇やアートだけではなく、ケア、仕事、まちづくりといった社会問題にも積極的に発信を重ねてきた。問題提起型より、もっと収益性の高い企画や演劇の充実を、という外部からの声もあったが、秋田はそうしなかった。「ここは劇場ではなく寺院だ。利益や娯楽の追求は應典院の役割ではない」。

最近では〈日本一若者が集まるお寺〉として全国的に名を馳せる應典院だが、だからこそ〈一風変わったイベント寺院〉といった安易な文脈に回収され、消費されるわけにはいかない、と力を込める。

一昨年、再建10年を前に秋田は應典院主幹を退いた。現在は2代目主幹・32歳の山口洋典が應典院の企画・運営を取り仕切る。主幹の継承にあたり、秋田はひとつの条件をつけた。得度をうけて、浄土宗の宗徒となること。寺の生まれでもない者が、僧侶となる。しかも、葬儀や法事は勤めない。秋田は「市民僧だ」という。「市場競争にまみれた会社で〈他者のために生きる〉と言っても、冷笑されるのがオチ。消費社会には、そういう言葉が届かない〈場〉がほとんどだ。だからこそ、宗教者が寺という場所で何を伝えるのかは、じつに重要。世間に媚びず、出世間を気取るのでもなく、学校でも家庭でも語られなくなった言葉にこそ、こだわってほしい。それを言葉と自らの行いで届けていくのが〈市民僧〉の役割」。

應典院を次代へつなぎ、秋田自身が今後、とりわけコミットしていきたい活動がある。それは子どもと末期者を巡る実践だ。「これまで〈開かれた場〉を語るとき、私は〈公共〉という言葉を用いてきたが、一方で〈公共〉からこぼれ落ちるものにも惹かれてきた。ひとりのガン患者、ひとりの自閉症児など、固有の生き方にこそ、けっして括りとれない、痛切なほどの存在感やリアリティを感じる」。

社会の枠組みに容易にとりこまれない〈場〉の存在。そしてそのような〈場〉だからこそ照らし出される、幾多の〈個〉の物語がある

編集後記〈アトセツ〉

ご覧のとおり、應典院寺町倶楽部「サリュ」がリニューアルした。とりわけ、43号からは会報とも言わず、ニューズレターとも言わず、ニューズマガジンと表現してきた。マガジンとは雑誌、すなわち定期的な記事、読み物を意味する。私自身、編集に携わってきたのは48号からであるが、私が行ってきたものはもとより、1997年の創刊当初から、実に読み応えがあるものとして発行されてきたと感じてやまない。

今回のリニューアルの意図は、発行頻度の向上と、発行部数の増加にある。これらを通じて、お寺を拠点に活動するNPOの取り組みへの関心と、社会における存在感を高めていくことを決断したためだ。だからと言って、これまでのサリュに収めてきた行動記録や小論等が不要であるとは捉えていない。これらについては、他のメディア( 例えば、インターネット)や、新たな冊子の企画等でまかなっていきたいと考えている。

個人的な印象だが、リニューアルということばの中にある「re」ということばが好きだ。「re」という接頭語は、続くことばに対して「再び」という意味をもたらす。実際、この間、刷り色が変わる、判型がA4版からA5版になる、など、リニューアルの機会を得てきている。パチンコ店の新装開店ではないが、今回のリニューアルを通じて、心機一転、改めて應典院寺町倶楽部と、読者とのご縁をうまく取り持っていきたいと発意するところだ。(編)

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