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サリュ 第78号2012年3・4 月号

目次

巻頭言
レポート「コモンズフェスタ2011」
コラム 椎名保友さん(NPO日常生活支援ネットワーク コーディネーター)
インタビュー 永田宏和さん(プラス・アーツ・iop都市文化創造研究所代表)
編集後記

巻頭言

他を利するとは即ち自らを利するなり

「龍樹」

Report「災」
「あの日」の記憶を巡り、<いのち>のあり方を見つめ直す。

秋から冬へ

應典院寺町倶楽部の設立初期から取り組まれている定例事業がいくつかあります。おなじみ寺子屋トークと舞台芸術祭「space×drama」は初年度、1997年から。欲念に始まったのが「コモンズフェスタ」です。ちなみに「いのちと出会う会」は2000年、「コミュニティ・シネマ・シリーズ」は2005年です。
コモンズフェスタのきっかけは「福祉の現場を追った写真展を開催したい」という企画の提案でした。であれば、関連の講演会もしよう、そして、内容に関心がありそうな方に、もっと声を掛けてみよう、そうして仲間の輪が広がり、企画の幅が広がっていきました。いつしかそれがアートNPOの総合芸術文化祭と言われる骨格となっていきました。当初は文字通り「文化の秋」に、開催されていたものの、時を重ねて2007年度から冬へと時期が変わりました。
應典院の十周年記念誌『呼吸するお寺』に詳しいのですが、コモンズフェスタは、「実行委員会形式」(1999年)、「プロヂューサー方式」(〜2003年)と続き2年の休会を経て、「事務局主導」(2006年〜)の形態に変わってきました。その中で1月開催としたのは、特に秋は多方面で催しが開催されるという担い手と会場の確保の側面と、年度当初から企画を練り上げていく上で、1月の時期が都合がよいという両面からの判断でした。

「あの日」を想い起こす

2007年度から1月に移動したとき、多くの方の印象に残ったのが、阪神・淡路大震災の追悼の場でした。例年、1月17日には應典院で物故者の供養をしているため、ちょうど会期中にその場に立ち会った方がいらっしゃったのです。そこで、翌年度には「減災の身体性」というテーマのもと、防災から減災へと認識と発想を変えていこうという各種の企画を実施しました。それ以降はとりたてて防災・減災を謳ってはきませんでしたが、築場ARCプロジェクト終了に伴う「U35の実力」(2009年度)、「onとoffのスイッチ」(2010年度)も、何らかのかたちで阪神・淡路大震災から○年、という契機に、「あの日」に思いを馳せよう、という場を生み出して参りました。
そして今年度は、3月に会期を変更することにいたしました。言うまでもなく、東日本大震災から1年に重ねたためです。実は阪神・淡路大震災以降、特に神戸に暮らす方々から「毎年、この時期になると報道を中心にして、過去の傷をえぐられる感じがする」という声を聞いた事があります。それを思うと、例えば「風化させてはならない」などと言って、「○年」という区切りにこだわりすぎないほうがよいのかもしれません。
ともあれ、今回は「記憶を巡る旅」というテーマを掲げて実施いたします。副題には「文明史の曲がり角・文化の交差点」と、大仰なものを並べていますが、これは哲学者の梅原猛さんの4月5日の発言「天災であり人災であり、「文明災」でもある」に着想を得ています。ただ、被災地と呼ばれる地域では、それぞれに日常の暮らしが送られています。物理的な距離がありながら、精神的な距離までも離れないよう、数々の場を通じて、あの日と今に迫ります。

小レポート

コモンズプレ企画『ツキノウタ』上演

2月10日から12日、本堂ホールにてコモンズフェスタプレ企画となります、満月動物園による「ツキノウタ」が上演されました。
死の間際に立たされた主人公が過去や未来、さらには宇宙までもを行き来する、走馬灯的スペース・ファンタジーと銘打たれたこの物語の舞台は、真っ白な布を吊っただけの空間。その空間の中で印象的に使われていたのが赤い毛糸。この毛糸が過去や未来、登場人物たち、更にはその想いを繋ぎ、家族や大切な人との絆の象徴ともなっていきます。
編まれては解されまた編まれ・・・主人公の成長とともに形を変えていく毛糸が象徴する「死と再生」の物語。生か死が隣り合わせる場所、應典院だからこそ、死を尊む気持ちと生きることの大切さに、より一層思いを馳せることができたのではないでしょうか。
このプレ企画を皮切りに3月6日から開催されますコモンズフェスタにもどうぞご注目ください。

小レポート

オープン台地in Osaka開催

2月3日から5日までの3日間にわたって、「オープン台地in Osaka」が開催されました。上町台地を舞台に、北は天満橋から南は天王寺公園までまちあるきやトークなど30のイベントが同時開催。應典院の近辺でも2つのプログラムが実施されました。ひとつは「寺町界隈と生國魂神社ツアー」。ここでは大蓮寺にて秋田住職みずから寺町の歴史について説明されました。ふたつめの「風景から考えてみる会〜下寺町編〜」では天王寺七坂などの写真を見ながら、なぜかバイク屋が多い下寺町のミステリーについて参加者のみなさまと語り合うシーンが見られました。

小レポート

本誌の姉妹紙「スピリチュアル」も

本誌には姉妹紙「サリュ・スピリチュアル」がございます。本紙と異なるのは当会が事務局を置く應典院と、その本寺、浄土宗大蓮寺におる共同編集・発行の16ページの冊子ということ。これまでに4号が刊行。全号がウェブサイト(www.outenin.com)でも掲載中です。
先般、第5号の座談会が應典院で開催。テーマは「日本のお坊さんは面白い!」でした。関西弁を操るカナダ在住の宗教学者マーク・ロウさんが見た「普通」のお寺と、フリーライターの杉本恭子さんが尋ねた「現代」を生きる僧侶の声・・・。3月5日に刊行予定ですので、ご期待ください。

コラム「枠」

双方向に耳を傾けあう

私たちのセンターには阪神・淡路大震災の翌年(1996)に立ちあがった。「どんな傷害がある人も自分の家で生活し、行きたい場所へ行きたい時に行くことができる。」そんな当たり前のことを支える人が増えたらきっとまちは変わるという思いで15年間様々な活動をしてきた。
その根底には福祉・社会の在り方が分別・排他・管理でデザインされていることへの危機感がある。障害者だけではなく、一度マイノリティという立場になると、その枠組みの中での生活を余儀なくされてしまうか、あるいはその枠組みからもこぼれてしまい、存在さえ否定されてしまう。
私たちの活動は立場や事情が違う人同士が知りあい、つながることを重視している。「相容れなくてもいい、どこか理解できることがあれば。」という考えから大阪の障害当事者・支援者がみんなで<介助のおしごと>をPRする「ポジティブキャンペーン」を展開。その3年目が終わろうとした昨年3月に東北・東日本大震災が発生した。阪神・淡路大震災以降、国内外で被災した障害者救援活動をされているゆめ風基金や関西の障害者支援ネットワークは東北の関係者と協力して障害者救援本部を東北3県8ヶ所に設置し、介助者や障害者当事者を派遣し続けている。
「世間に声が届かないと捨てられる。」様々な障害者や事情を抱えている人たちが常にこの問題に直面している。お互いの声に耳を傾ける機会、そして自分たちの声と発想から実現出来る自治。これらをみなさんと考えていきたく、2月24日、25日に應典院本堂ホールでオープニングトーク&シンポジウムを開催。3月25日には、11月に引き続き扇町公演にて「東北←→関西ポジティブ生活文化交流祭」を予定している。確かに東北と大阪の生活文化は違う。お互い相容れないこともあるけれど双方向の関係を築けないだろうか。ポジティブに交わりながら歩んでいきたい。

Interview「加」
山﨑都世子さん(映画監督)

永田宏和さん(プラス・アーツ・iop都市文化創造研究所代表)
アーツをプラスしていくことで社会を変える。
まちづくりや防災にユニークな形でとりくむ「職能」のありかたとは?

3月11日(日)に應典院とパドマ幼稚園で開催される子ども向け防災訓練プログラム「イザ!カエルキャラバン!」を2006年に立ち上げた永田さん。バケツリレーや給食器づくりなどの体験型プログラムを通して、楽しみながら防災の知識を学べる企画として注目を集めてきた。そのきっかけとなったのが阪神・淡路大震災10周年事業。ここでのメインプログラムの一つとして美術家の藤浩志さんが開発した、いらなくなったおもちゃの交換プログラム「かえっこバザール」の開催が打診されていた。当時の神戸のまちは「後ろを振り返っていても暗くなるだけ、前を向いていこう」という雰囲気で、こどもたちの元気な姿をみせてほしいという思いからの企画だった。「しかし、それだけではいけないという感覚がありました。防災という知恵と教訓を生かしていかないと。」そこで、「かえっこバザール」と防災訓練を合体させた「神戸カエルキャラバン2005」が生まれた。「藤さんとは、福岡の商店街活性化事業の中で展開されていた「かえっこ」の取材に行った時からの知り合いで、神戸の摩耶山上で開催したアートワークショップに招聘したりと、以前から親しくさせていただいてたんです。」「KOBE」発祥のプロジェクトゆえ、被災地が何かを学んできたか教えてほしいという願いも重なっている。
昨年の東日本大震災を経て、新しいプロジェクト「阪神・淡路大震災+クリエイティブタイムラインマッピングプロジェクト」が発足、その運営も勤める。(※)。「東京のデザイナーユニットSPREADが発起人となって、神戸の震災寺にクリエイター達がどう動いたのか、そのタイムラインを監修するリサーチプロジェクトが始まりました。」
そもそも、自身の活動の原体験は、幼少期に毎日「遊びをつくっていた」ことだという。ところが、今のこどもたちは遊びをつくらない。「昔はめんどくさいこともひと手間かけていた。今のこどもたちにもその場面をつくりたい。」その意味で、アーティストは重要な役割を果たすと説く。「ワークショッププログラムではアーティストはガキ大将の役割。こんなんやらへん?というきっかけを与えてくれるんですね。」社会にアーツをプラスする思考法は、現在では多くの自治体が注目し始めており、地域振興や就労支援などの社会問題への対処施策として用いられている。
しかし、アーツが教育や福祉など他領域のためのツールとなることに対する懸念の声も、根強く存在する。「WinWinの関係にすることが大切だと思います。モチベーションのない作家は呼ばないし、消費されるような薄っぺらいアーティストはだめ。もまれていかないといけないと思うし、違うステージを用意して成長していってほしいと考えています。」特に、今求められているのはコンセプトデザインやアプローチ方法に新しい動きをつくること、と指摘。それは、物事を再編集する総合的なノウハウやセンス、という「職能」でもある。そもそもiopの由来は「immpanatore of Pratomodel」つまり中小企業が有機的に集まってチームをつくる際のコーディネイト的職能。「これからも個人の職能を集団化すること、つまり「職能集団」を形成する際のつなぎ役になることを目指していきたいと思います。」

編集後記〈アトセツ〉

2011年の「今年の漢字」は「絆」とされた。大方の予想の通り、という声もある。大規模・広域・複合型の激甚災害である東日本大震災は、各所に爪跡を残し、人々の魂を大きく揺さぶったためだ。その揺さぶりは「絆」ということばが中点となり、一定の振幅を保ったとも捉えられるだろう。

「上から目線」という言葉が、一定の市民権を得た。特に、偉そうな態度に対する揶揄に用いられている。しかも、それが弱者の遠吠え、といった構図に留まらない。つまり、そうした声が、抑圧された関係を顕在化するきっかけになることがあるのだ。
「上」の対になるのは、言うまでもなく「下」である。よって部下や目上という表現があるように、上に立つ者には一定の自覚と責任が求められ、下に就く者には上司への畏敬、忠誠などが求められてきた。ところが、経済社会の構造が変わり、インターネットの浸透などが相まって、組織や地域の関係は、個人を単位にフラットな関係が前提になった。最早リーダーの役割は「下を率いる」から「場を導く」立場へと変容した。
活性化したコミュニティにおいては、上下ではなく、「斜めの関係」が支えになっているとも聞く。逆に言えば、何でもフラット(水平)であることがよいわけではない。上下に位置づく垂直関係、左右に位置づく水平関係、いずれの場合も、過度な固定化や過度な流動化が、場の秩序を不安定にさせていくためだ。ゆえに、場を導く、すなわちファシリテーションという概念が注目を浴びているのだろう。
プラス・アーツの永田さんは「職能」という言葉を多用する。3・11から1年。今回のコモンズフェスタでは、「斜め」の関係へと架橋する多数の「職能」がコモンズフェスタで顕在化するだろう。多くの方がその場に浸り、彼の地を想えることを願っている。(編)

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