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サリュ 第80号2012年7・8月号

目次

巻頭言
レポート「第63回寺子屋トーク」
コラム 杉本恭子さん(フリーライター)
インタビュー 石井テル子さん(Micro To Macro代表)金哲義さん(May代表)
編集後記

巻頭言

過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを強く生きよ。

「法句経」

Report「悩」
仏教はサディスティック?
苦の中を生きる上での道

古くて新しい何かを求めて

去る6月21日、第63回寺子屋トークが開催されました。掲げたテーマは「仏教をつかいたおす極意、教えます」。この挑戦的、挑発的な内容を紐解いたのは、釈徹宗さんと小池龍之介さん。意外にもお二人の対談は初、とのこと…。

平日の夜の開催、しかも梅雨に入ったこともあり、終日雨模様ではありましたが、定員を越え、開場時には整理券を用いての入場をいただくことになりました。そこには、地域単位・家単位で継承されてきた仏教の教えが、現代において、福祉や教育などの臨床の実践はもとより人生哲学など、個人単位で捉えられるようになってきたことと無関係ではないでしょう。そんななかお招きしたのが、『考えない練習』(小学館)や『平常心のレッスン』(朝日新聞出版)をはじめとした多数の著書で知られ、坐禅や瞑想の指導を月読寺(東京)で行いつつ、父の後を継いで正現寺(山口県)の住職となった小池さん。その間、浄土真宗本願寺派から破門処分を受けた小池さんを、既に應典院では原始仏典や大乗経典講座の講師でおなじみとなった釈徹宗先生にお迎えいただきました。

前半は釈先生から小池さんへ、大きく5つの問いかけがなされました。まずは2つのお寺を行き交う現在の暮らしについて、そしてそれに関連して「お布施をもらう」ことと「教えを生きる」ことのあいだの自己矛盾について、続いて小池さんの現在に辿り着くまでに影響を受けた僧侶と仏教の教えについて、さらに今はどんなお経を読んでいるのかということと、そんな小池さんにどんな人たちが会いにやってくるのか、の5点でした。釈先生をして「独特の間合いに慣れてくださいね」と言わせ占める小池さん。上記の5点も、約1時間半の対話を整理するとそうなるだろう、というもので、小池さんの地域の方々と農業をする暮らし、幼少の頃に抱いた葛藤、タイのブッタダーサ師と瞑想との出会い、パーリ語の経典と仏典における「繰り返し」の意味、そして近代以降に固められてきた自我と日本仏教について、ゆるやかに話題が展開していきました。

仏教界のエディターとして

後半は小池さんから釈先生へ問いかけがなされました。具体的には3点が投げかけられました。一つ目は宗教学者であり社会福祉法人の経営者であり浄土真宗本願寺派の僧侶で住職でもあるという立場ゆえ「宗教界における仏教の特徴は?」。二つ目は「輪廻転生を信じているか?」。三つ目は「宗教における善悪と社会における道徳との関係は?」です。

いずれの問いも、YesとNoで済まされるものではなく、深い対話となりました。まずは仏教には自他の連続性が根差されているという特徴を確認。そして日本仏教は、伝来以前から土着に根差していた信仰と相まって地域に浸透していったために、輪廻や往生を論理的な説明だけでは万人に納得いく解釈を示すことができないことを互いに深め合いました。そして最後はニーチェなどの西洋哲学も織り交ぜながら、善の押しつけが「べき」論を生み、自分を優位に立たせようとすることによって生み出される「煩悩」的な側面が明らかとされました。

小池さんをして「仏教界のエディター」と言わせしめた釈先生。上記の外にも幅広いお話が。例えば「グレるお坊さんの話」などです。次回を切に期待する次第です。

小レポート

〈かなしみ〉の「ため」の時間

2012年度より、應典院では2010年9月から始まった「グリーフタイム」を協力事業として位置づけ、應典院寺町倶楽部の各種事業との連携が図られています。「グリーフ」とは喪失による悲嘆を意味する英語です。グリーフタイムは、人やものをなくした方がかなしみに向き合うための時間をそっと生み出す取り組みです。日々の暮らしを見つめ、新たな挑戦にあたっていく上での「溜め」の時間とも言えるかもしれません。

グリーフタイムは奇数月の土曜日の14時から開催されています。その特徴は互いのかなしみを分かち合うのではなく、20代の臨床心理士らにより、1時間ほど、個人が自分に向き合う空間が提供されることです。何かで気を紛らわすのではなく、かなしみの感情を抑えず、かなしんでいる自分に素直になる。お寺でなくてもいい、ただお寺であってもいい、そんな場に、どうぞご関心、ご参加ください。

小レポート

space×drama2012交流会

應典院舞台芸術祭space×drama2012の交流会が6月4日に気づきの広場にて開催されました。今年の参加劇団は7劇団、協働プロデュースとしては昨年度優秀劇団のMayとMicro To Macroの2劇団となります。

交流会当日は、今年のチラシのテーマカラーでもある赤色の垂れ幕を全員で張り巡らす準備作業から開始。交流会中盤、各劇団の自己紹介と過去作品のプロモーション映像が流されると、一気に真剣なまなざしに。笑いも交えながら、今年のspace×dramaを盛り上げていこうという気運と結束力が高まった一時でした。

小レポート

今、福島とつながる支援を

今年度から「関西県外避難者の会 福島フォーラム」への支援を行っています。福島フォーラムでは、避難者の母子・妊婦への健康問題不安が広がっていることを受けて、被ばく医療経験のある内科医とカウンセリングができる精神科医のセットで医療を受けられる体制づくりをされており、医療説明会の会場の場を應典院で提供させていただいております。また、今後、関西地域で避難者同士の繋がりをつくり、福島県との繋がりを絶たないような活動を目指す当会と協働していきます。

自らも被災者である遠藤雅彦代表は、「震災から1年が経ち、気持ちの上で東北との距離が遠くなってきている関西の方に被災者の現状を見直して頂ければ」と語られており、應典院では今出来る支援を考えていきます。

コラム「解」

仏教がほどけていく

ふとしたきっかけで、“何か面白いことをしている”お坊さんへのインタビューを始めて3年を過ぎた。インタビュー記事を掲載しているのは、超宗派の若いお坊さんたちが運営する仏教ウェブマガジン『彼岸寺』である。昨年からは『彼岸寺』のメディア編集にも参加。気がつけば、周囲に友人としてつきあうお坊さんも増え、仏教について語らうことが日常的になってきた。横並びの友人関係にあるお坊さんとの会話では、仏教も「ほどけている」。私は、彼らとの対話のなかで自分なりの仏教観をのびのびと育て、日常に取りこむようになった。

『彼岸寺』を開設した松本圭介さんはかつて「凝り固まった仏教をときほぐしたい」と語っていたが、ユニークな活動を展開するお坊さんたちの思いも、この言葉に集約されると思う。

では、仏教はどう「凝り固まって」いたのか? おそらく「仏教徒になるかどうか」ということに傾きすぎて「仏教をどう使うか」が伝わりづらくなっていたのだと私は思う。そこをうまくときほぐしているのが、釈徹宗師と小池龍之介師の著書である。ふたりに共通するのは、仏教で日常を読みなおすということだ。ただし、宗教学者でもある釈師があくまで「仏教とはなんぞや」から説き起こす一方で、小池師は仏教という言葉を強く押し出さずにその智慧を伝えるというスタイルの違いはある。

第63回『寺子屋トーク』では、なんとこのふたりが「仏教をつかいたおす極意、教えます」というテーマで初対談した。主催する應典院もまた、仏教を「ときほぐして」きたお寺。若者たちの多様な生のあり方を受容しつづける一方で、仏教界に吹く新しい風が吹き抜けていく場である。この対談と場所の組み合わせで、これ以上エキサイティングなものは他に思いつかない。

玄侑宗久師は「ほどける」は「仏」に通じるという。應典院の一夜が見せた「ほどける仏教」は、未来へ続く仏の道を照らしたのではないだろうか。

杉本恭子(フリーライター)
同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。同大学院修士課程修了。ネットコミュニティ運営・ウェブサイト編集等を経て、京都をベースに取材・執筆を行うライターに。『超宗派仏教徒によるインターネット寺院 虚空山 彼岸寺(higan.net)』にて『坊主めくり現代名僧図鑑』を連載、同サイト編集にも参加。臨済宗妙心寺派の刊行物『花園』にてエッセイ『お坊さんにご用心』の連載など、仏教系の仕事も増えつつある。お坊さんトークイベント『坊主デイズ★ナイト』、禅僧とコラボする鴨川河畔での坐禅会『アウトドア坐禅』を時々企画。現在、お坊さんインタビュー経験を元にした書籍を執筆中。

Interview「琢」

石井テル子さん(Micro To Macro代表)
金哲義さん(May代表)

space×drama2011優秀劇団に選ばれた2劇団。
今年も粒ぞろいの若手と中堅劇団が参加する
應典院舞台芸術祭の見どころとは。

2007年石井テル子さんを中心に固定メンバーをもたないユニットとして旗揚げ、バンドLIVEを演劇の中に取り入れた独特のパフォーマンスを特徴とする Micro To Macro。そして1993年学生劇団として結成され、近年では「在日」という自己のルーツを全面に打ち出した作品で評価の高いMay。昨年度のspace×drama2011では、史上初の優秀劇団同時受賞に輝いた。

―あらためて、受賞おめでとうございました。Mayさんはこれまで2回、Micro To Macroさんは今年で3年連続のspace×drama(以下スぺドラ)ご参加となりますが、あらためてスぺドラの魅力とは?
石井 制作者会議があるという時点で他の演劇祭とは違いますよね。世代を超えて始まる前から顔見知りになって、劇団さんをよく知ったうえで本編を観れる。
金 僕たちが初めて参加した2008年のスぺドラは、参加メンバーの年齢も並んでいたのですが、去年は非常に若かったですね(笑)。会議中でも、若手の子の発言に対して『それは過去にみんなやって失敗してるで』と思うことが多々あるんですが、そういう希望をぶつけていくことの面白さというのはあらためて感じてますね。
―逆に要望はありますか?
金 昼と夜で違う劇団が観れたりするといいですよね。セット同じで一つの作品を繋げることができたりしたらもっといい。役者達が一緒にウォーミングアップをすることになったり。お客さんも違う劇団と出会える。
石井 ありがちかもしれませんが、例えば同じテーマ性をもって作品をつくるとかね。このホールならいろんな可能性がある気がします。音も出せるし丸いし出口いっぱいあるし。
金 やはりつながりが大事。大阪の演劇シーンは今や、『核家族』ならぬ『核劇場』化してきていると思います。劇団、評論家もそれぞれが核化していてタッグが組めていない。もっと横のつながりを意識して新しい人がつきやすい環境をつくらないといけないと思います。
―若手劇団支援を掲げるスぺドラ。旗揚げ間もない若手劇団に一言お願いします。
金 『教えないことしか教えれないよ。』ということです。失敗してぶつかって初めて自分の力になる。
石井 今年の若手は、いい意味で遠慮がなく前に出る、という感じがしてすごくいいですね。切磋琢磨できますし。
―最後に、今年のスぺドラへの意気込みとご自身の劇団公演の見どころを教えてください。
金 演劇祭の入口なので、ここからさらなる面白い人たちが出てくるんだよと伝えたい。今回の作品は、初の子役が主演。次世代の目線で世界をどうみているかという部分をみていただきたいです。
石井 あらゆる生きにくさを背負いながら、何をもって世界が幸せになることができるか。そういう普遍的なテーマを小さい力でも考えていきたいですね。
金 僕らの世代って『しんどいことをどうのりこえるか』がいつも作品のテーマになってるよね。しんどいのかな?(笑)でも、しんどいのは傍から見ると喜劇でもあるからね。

若手と先輩、劇場と観客、様々なかけ算から生まれるつながりが今年もspace×dramaで生まれます。

編集後記〈アトセツ〉

別れは突然やってくる。6月10日、心斎橋の路上で発生した通り魔事件で被害者となった女性のことだ。たまたま路上に居合わせ、生命を落とすことになった佐々木トシさんは、かねてより應典院の理解者であり支援者だった。あまりに突然なことに、驚きを禁じ得なかった。

報道を通じて伝えられる亡き人を語る声は、どれも在りし日の人柄を、そのまま表現していたように思う。決して美化されたものではない。本人を知るからこそ、そう確信し、転じて全ての人に対して優しく、上品に振る舞っていらっしゃったことを再確認することとなった。ここに、謹んで哀悼の意を表したい。

應典院にとって心斎橋の通り魔事件は報道の向こう側ではなく、物理的にも精神的にも極めて身近なところで発生した。そんな中、今回の事件でもまた、加害者は犯行の後に「誰でもよかった」と語ったという。加害の側の論理として理解はするが、被害の側に立てば、理解など及ぶところではない。ましてや、共感などできるはずもない。

ふと、秋葉原事件のことが脳裏をよぎる。2008年6月8日、これまた後に「誰でもよかった」と語り、車とナイフで次々に殺傷した犯人には既に死刑が言わたされている。あの事件では、いわゆる「派遣切り」にあったことなどが指摘されているが、人物という表現があるものの、人はモノではない。一人ひとりが掛け替えのない〈いのち〉を生きている、そう思いながら、また夏を迎えつつある。(編)

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