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サリュ 第88号2013年11・12月号

目次

巻頭言
レポート「いのちとカタリ」
コラム 岸井大輔さん(劇作家)
インタビュー 堀潤さん(NPO法人8bitNews代表)
編集後記

巻頭言

身を滅ぼすその斧は、生まれながらにして自分達の口に生えている。
『スッタニパータ』

Report「伝」
死に方から生き方を紐解く
〈いのち〉のカタリ

涅槃図からの語り

去る10月9日、應典院本堂ホールにて「いのちとカタリ〜仏教の語り 技、教えます〜」と題した催しが開催されました。通常、本堂ホールでの語りの催しは、寺子屋トーク等のシリーズの一環として開催されるのですが、今回は大蓮寺・應典院の秋田光彦住職が客員教授を務める相愛大学人文学部仏教文化学科との共催事業として執り行われました。これまでも相愛大学仏教文化学科とは、2011年の開設以来、同年7月2日の寺子屋トーク「震災と仏教」、また翌年9月19日のコミュニティ・シネマ「映画『塵』(河瀨直美監督作品)上映とトーク『家族を巡る生死の物語』」と、毎年1度、場を催して参りましたが、3年目にあたる今年は両者がアイデアを寄せ、実施されることになりました。
今回はデジタルなメディアが隆盛を極める中、演者の身体から繰り出される「語り」の力に着目し、物語を伝承することの意味や価値について迫ることになりました。振り返れば古代より、人々は仏教を源流とした「語り」の文化を形成してきました。実際、佛教大学の名誉教授となられた故・関山和夫先生による「説教の歴史」の研究などからも、落語の仏教のお説教が落語に結ばれたと明らかにされています。今回はそれら伝道の伝統にも造詣の深い、相愛大学教授で池田・如来寺住職の釈徹宗先生と共に、物語の身体化について関心を向けました。
第一部では長野・長谷寺の岡澤恭子さんによる釈迦涅槃図の絵解きが行われました。岡澤さんによれば、絵解きとは、文字が読めない方に信仰の扉を開くために、仏教の親であるお釈迦様が最期を迎えた場面が描かれた絵から、理想の死に方を探るものと言います。ただ、どのような死に方をするかに思いを巡らせることこそ、生き方を探ることに通じます。加えて、涅槃図も絵師等によって違いが見られるとのこと。実際、岡澤さんは「もみじ寺」とも呼ばれている壽法寺さまにお借りした涅槃図をもとに、死から生の物語が紐解かれていきました。

宗教性と芸術性の織り交ぜ

第二部は前掲の釈先生を聞き手として、上方講談師の旭堂南海さんと、浄土宗の僧侶でいのち臨床仏教者の会副代表である大河内大博さんにより、芸能とケアの現場での〈いのち〉の語りに迫っていきました。まず、釈先生は死の語りは、他者の死を自分にどう引きつけるかが問われるという点で、生に関する「演習」と示しました。しかし大河内さんは、死を前にして自らの死生観などを語る方々を前にすると、仏教者も決して「きれいにいかない現実」を受けとめ、既存の「枠」にとらわれず向き合うことが大切と感じていると言います。こうした議論を受け、南海さんは「芸能としての語りでは、生き方の結果としての宗教ではなく、宗教者の生き様を伝えていくことで、親近感をもたらしている」と、語りの型の違いを説かれました。
トークの最後、釈先生は「卓抜した語りは魂を揺さぶる」と言葉を添えました。これは冒頭の秋田住職の問いかけへの応えのようでした。「ソーシャルメディアのつぶやきに、伝える力はあるのか」。その答えは単純に正否がつくものではありませんが、語りの世界に浸ることの意味を実感する2時間半でした。

小レポート

子どもとアート
言葉にできぬもの

城南女子短期大学主催、應典院寺町倶楽部・パドマ幼稚園共催の子どもむけアートプロジェクト「キッズ・ミート・アート」が8月30日、31日に開催されました。
美術、音楽、身体表現、声明、武術、即興音楽などの分野から7名の講師と1楽団に参加いただき、應典院、パドマ幼稚園そして大蓮寺の3会場を舞台に、公演やワークショップを行いました。すべての演目終了した後には、美術作家の山本高之さんをお迎えして、当日参加いただいた講師の方々と2日間を振り返りながら、語り合う場を設けました。
そもそも、「インファンス」(「言葉にならないもの」と「子ども性」)をつなげ、幼児教育に必要な動きや言葉、リズムについて捉えなおすことを目的として始まったこの企画でしたが、大人が予期しない子どもの反応や感受性を目の当たりにして、あらためて子どもを「主体」にした場づくりとは何かを問い直す機会となりました。

小レポート

92歳の今、世界に向けた眼差しを語る

9月25日から10月2日、應典院2階気づきの広場にて、塩見ふさ写真展「レンズの向うに広がる世界」が開催されました。塩見さんは1921年生まれ。定年退職後の約10年に訪れた世界の秘境の風景が展示されました。企画運営は塩見さんが現在も学ぶ、カルチャーセンターの英語講座のクラスメートたちが担いました。
初日には塩見さんが展示を解説。企画当初は「もう昔のこと、写真も記憶も色褪せた」と開催そのものを躊躇したとのこと。しかし解説を耳にした方から「まるでそこに立っているかのよう」との感想も。時空を越えた旅の一時でした。

小レポート

「メディアになろう」という試み

去る9月21日、22日の両日、独自のメディアの担い手が実行委員を組み、「大阪メディフェス2013」が應典院・大阪市内の会場で実施されました。初日は「つなぐ大阪あっちっち!これもメディア!」というテーマのもと、まちライブラリー、カフェ放送、まわしよみ新聞等の実践の場に足を運んだ後、交流会となりました。
翌日は「表現とメディアを巡る練習問題〜『8bitNews』の挑戦」と題して、堀潤さんの監督作品『変身Metamorphosis』の上映とトークが開催。自らが発信者となる新しい市民メディアの形をそれぞれが考える機会となりました。

コラム「聞」

24時間トークイベント
「如是我聞」

毎年、集まって、24時間連続で話をする場を設けようと思った。誰が来てもいい。何の話をしても良い。劇作家である私、岸井大輔と、観光家の陸奥賢が、そこにいて、話す場を開く。デザインはそれだけだ。
去年のクリスマスに第一回目を應典院でやらせていただいた。物好きが集まった。時間だけはたっぷりあるので、みんな思うように発言する。みんな思うように聞ける。みんな思うように答えられる。そして、みんなでその場を維持しているのが実感される。この、みんなのびのびと意見を交わせるというのが、僕の望みだ。毎年同じ場所と時期で続けると意味が出てくるように思う。同じような物好き達が同じように集まるので、物好きの強い結束が生まれる。
しかも、それぞれが何をしているかはバラバラのほうが愉快で盛り上がる。僕は劇作を生業としている。ドラマチックなことを作り出すことをやっているし、興味がある。上手い面白い美しいやり口を提案したいといつも思っていて、その中で毎年同じ場所で24時間トークを開催するのを考えた。観光家の陸奥さんは、クリスマスにお寺でするというプランを思いついてくれた。演出である。それを現実化するときに、本当のお寺である應典院の協力を得られたのはありがたく大きい。
皆が共にいられる設計を、私たちはコモンズデザインとよんでいる。その質を保つために、自他の境界が尊重されるべきだと考える。よって、今年のテーマは「コモンズデザインと境界」とした。好きなように話してください、ということだ。タイトルは「如是我聞」。ホストであるわれわれ2人はみなさんの話を聞くためにいる。
遊びにきてください。今年2013年は、12月25日21時から26日21時まで應典院におります。出入り自由、1000円ですよ。
岸井大輔(劇作家)
劇作家。1970年生まれ。演劇の素材を人間の集団ととらえ、他ジャンルで追究された創作方法による形式化が、演劇においても可能かを問う作品群を制作発表している。2008年よりPLAYWORKS主宰。代表作に「P」、「potalive」、「文」、「東京の条件」
http://plaza.rakuten.co.jp/kishii

Interview「報」

堀 潤さん(NPO法人 8bitNews代表)
「市民」とは「無知な大衆」ではなく、
一次情報、専門分野の知識を持つ人がいる。
そんな人達の力を借りたジャーナリズムを…。

「退職はしましたが、今でも公共放送人です。」9月21日、應典院をメイン会場として開催された今年の「市民メディア全国交流集会(以下、メディフェス)」の基調講演での堀潤さんの言葉である。堀さんは『ニッポンのジレンマ』をはじめ、多様な番組で世の中への多彩なまなざしを提供してきた。そして、番組と平行して投稿を重ねていったTwitterを通じた発言が、所属する組織と表現する個人のあいだで物議を醸した。今回のメディフェスでは、報道の現場から離れた後、UCLAに客員研究員として留学の折に製作した映画『変身 Metamorphosis』の上映と、NHKを退職した今、パブリックアクセスとオープンジャーナリズムの実現に向けた展望を伺った。
「今、スマートフォンやデジカメで、きちんとした映像が音声と共に撮ることができます。しかし、それらはなかなかテレビでは流れません。伝えたいことがあるのに流してもらえないし、知らせてくれないし、取材もしてくれない。そこで、2012年6月、市民が公共の資源や財産にアクセスする権利を保障する『パブリックアクセス』の観点から、ニュース投稿サイト『8bit News』を始めました。」
実は今回の映画では、1959年7月に原子炉事故(サンタスザーナ野外研究所の実験炉)が起きた米国・カリフォルニア州のシミバレーや東京電力第一原子力発電所など、独自の取材は6割で、残りの4割は8bit Newsへの投稿やメンバーと一緒に取材した素材を編集し、仕上げられたという。国会前のデモの様子、作業員(林哲哉さん)による内部告発にもあたる内部映像、TMIA(スリーマイルアイランドアラート)のインタビューで明らかとなった「never end」な(終わりのない)原子力災害への取り組みの様子…。「マスメディアのニュースでは資料映像としてメルトダウンした原子炉の空焚きの映像や、反対運動の様子などが用いられます。しかし、実際に行って撮られた一次情報によるジャーナリズムで、情報の純度を上げていく必要があると思っています。」
サイト開設から1年を経て「8bit News」は、市民とマスコミが「協業」するプラットフォームとなるよう、リニューアルが図られるることになった。「自分が発信したものが広まったという成功体験が、組織やシステムを変えていく原動力になります。また、映画で用いた花火や新緑や夕陽などの映像は、それだけでは何のニュースかと思われるかもしれませんが、一つの作品の中に入ると、そうした記録映像が心象風景となり、汚染への対策が徹底されていないことへのジレンマなどのメッセージと重なり、価値が生み出されていくことになります。」
政治家への声も掛けられたが、華々しい実業家の人が政治家になると、言葉が空虚になって聞こえたそうだ。「市民のニュースがマスメディアに流れていく仕組みづくり、メディアの橋渡しをしていきます。クラウドファンディングが象徴するように、今はアイデアと熱意があり、共感が集まれば、資本を手に入れることができます。受信料で支えてきた人が担い手となる『オープンジャーナリズム』へ小さなイノベーションを起こしていきます。」

編集後記〈アトセツ〉

「皆さんの命と財産を守るために政治生命を賭けます!」どこかで聞いた風な演説の一節だ。先般、この言葉を気仙沼の魚市場にて耳にした。当の本人ではなく、市場の前の魚屋さんから、である。
今、気仙沼の内湾部を一周する防潮堤の建設が計画されているという。津波被害には、数十年から100年周期の津波に対してL1、1000年周期の津波に対してL2と、防護レベルが分けられている。「次」がいつかはわからない中、気仙沼ではL1への対策として、まちを取り囲む防潮堤が計画されているのだ。海と共に生きてきたまちにもかかわらず、である。
被害を防ぐのではなく減らす、これが防災と減災の違いだ。先述の魚屋さんの言葉を借りるなら「外洋に接していないまちで、沿岸部を防潮堤で囲って津波による流入量を減らせるか、そもそも避難誘導は円滑に進むのか」疑問を抱かざるを得ない。「天災は忘れた頃にやってくる」と言われる。いつかはわからないが、やがて来る災害の被害が人災と言われぬよう各種の対策が講じられているが、そこに天に向かう人の奢りが垣間見られるのではなかろうか。
物事を決める際には、段取りが重要だ。ただ、段取りを整える上では、議論の筋道(ルート)に対し議論の前提(ルール)の合意が必須である。東北は発災から3年を迎える。重箱の隅をつつくようだが、自由な議論のために、海と共に生きる知恵のもと、筋道と前提の双方を問いなおす必要がありそうだ。(編)

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