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サリュ 第59号2009年1・2月号

目次

巻頭言
レポート「第54回寺子屋トーク」
コラム 山口(中上)悦子さん(医師)
インタビュー 小山田徹さん(美術家・風景収集狂者)
編集後記

巻頭言

今のあなたは、そのままで
素晴らしいのです。
他の人になろうと
しないでください。
『ティク・ナット・ハンの抱擁』

Report「交」

わずらわしさ、もどかしさ、
それこそが他者とかかわる鍵となる。

マイノリティが持つ知恵

11月30日、「コミュニケーションと〈痛み〉」と題して、第54回となる寺子屋トークを開催いたしました。メインゲストには、京都大学の岩隈美穂さんをお招きしました。ご自身も車椅子に乗って生活をされているという経験談も交えつつ、「誰でも年を取れば、どこか悪くなる」ように、老齢化の視点を持つことの大切さを強調されました。そもそも、先生の専門は「障害学」という、新しい学問領域です。そのため、人類学、社会学、教育学、倫理学、医学、看護学、建築学、老年学、法律学など、多様な学問体系で取り扱われている障害に関する議論を数珠繋ぎにしつつ、他者といかにかかわるのか、お話いただきました。
中でも岩隈先生は、「高齢化と障害はパーフェクトな因果関係」があると断言されました。だからこそ、地域の中で年齢を重ねること(Aging in place)の意味を、大切にしなければならない、と仰います。つまり、地域に暮らす人々が、それぞれの特徴を社会に還元していくことで、それぞれが知っている「痛み」や「弱さ」が、転じて地域の「強さ」になっていく、という考えです。そして、先行する研究等を整理すると、年配者や障害のある方と地域とのかかわり方は、異文化コミュニケーションの観点から見た「マイノリティ」の社会参加の状況にも重なるところがあり、社会の「普通」と呼ばれる範疇から離れている人々こそ障害に直面したときにどう対処をしていくかを知っているのだと、お示しいただきました。

弱き者が持つ強さを力に

岩隈先生の基調講演に続き、京都で展開されている2つの事例が報告されました。まず、京都市伏見区にある個人診療所「清水医院」で受付の仕事をされている清水文絵さんから、病院が地域の人たちの居場所になることで、高齢者が健康で自立した暮らしを送ることができるという報告をいただきました。具体的には、「清水医院」で始めた認知症予防を目的にした「脳活性塾」という取り組みが、高齢者と地域がつながるきっかけになったという実践をお話いただきました。これは、ゲーム機などで有名となった「脳トレ」を月1回、2時間程度行っていたら、絹の生地を使ったアクセサリーやアクリルたわしの制作と販売、また地元の小学校での「そうじの達人教室」の開催など、積極的な社会参加のうねりが生まれた、というものでした。
続いて、自身もホームヘルパーの資格を持つ学生起業家である、「旅のお手伝い楽楽」の佐野恵一社長から、「バリアフリー旅行」事業を紹介いただきました。発想は、「行けるところ」から「行きたいところ」へ、です。また、同志社大学や京都大学と共に「高齢者の外出等の余暇活動が身体に与える影響」を、事業を通じて研究しています。そもそも、ご自身のおばあさんが、要介護4の状態で旅行した際に、家族全員が疲れてしまったことから、旅を通じて人生の生き甲斐を探り、帰ってきた後に生活の張り合いを見いだすことができるよう、工夫を重ねているとのことでした。
これらの発表を受け、最後は参加者からの質問を受けつつ、意見交換を行いました。特に、2008年6月の秋葉原事件などをはじめ、人と関わる上での「わずらわしさ」や「もどかしさ」が苦痛にしかなっていないことに焦点が当てられました。全体の議論を通じて、社会が高速・デジタル化する中、高齢者が持つ経験値、痛みを知る者の強さ、それらをもとに他者との関係づくりに向き合わねばならないと明らかにしました。このように、副題に掲げた「他者と出会い・つながる知恵を求めて」みた一日でした。

小レポート

下寺町界隈のお寺が連携。

防災てらまちウォーク、開催。11月29日、應典院が位置する下寺町界隈の若手僧侶の会、「三帰会」の主催による「防災てらまちウォーク」が実施されました。小春日和の陽気のなか、35名が参加し、5つのお寺を巡りながら、防災について体験を通じて学びました。この背景には、ちょうど1年ほど前に内閣府の中央防災会議が、上町断層による地震の被害想定を発表したことがあります。すなわち、今回のイベントは、24のお寺が並ぶ世界屈指の宗教都市である下寺町界隈では「そのとき」どうしたらいいのか、お寺から地域への問題提起でもありました。
プログラムは下寺町の南端にあるお寺「良運院」にて天王寺消防署の方による講演に始まり、幸念寺での井戸水活用のためのクイズとバケツリレー、西照寺での非常食「アルファ米」による昼食、金台寺での阪神・淡路大震災の被災についての対談など、多岐にわたるものでした。その中でも、源聖寺を小学校に見立てた避難所疑似体験は、若手僧侶もまた住民のひとりであるという実感をかき立てたようです。プログラムの最後は應典院での総合討論で終わったのですが、お寺の身近さ、僧侶への親密さが、会場全体に浸透していたように思えます。お寺での開催ながら、大阪市のまちづくり関係(マイルドHOPEゾーン協議会)の助成金を得ていたのもあり、お馴染みの詩人、上田假奈代さんが「法要」ならぬ詩の「奉納」を行うなど、一風変わったお寺での防災訓練の機会となりました。

小レポート

築港温泉ミニコンサートvol.8

去る12月6日、関西在住の異ジャンルの音楽家4組を招いてのライブイベントを開催いたしました。会場は築港温泉。銭湯の浴室内にて生演奏を楽しめるという趣向のイベントでした。しかも照明はキャンドル。お客さんも50人を超える大入りとなりました。
1番目は落語と音楽をたくみに融合させた現代音楽家 WonJiksooさん。2番目は儚く透明感のあるボーカルで観客を魅了したシンガー panamaさん。3番目は浴室内に5人のメンバーがフォーメーションを組み、微かな音色に五感を研ぎすます素敵な時間を与えてくれたアキビンオオケストラさん。そしてラスト4番目はインドの民族楽器 シタールとオーストラリアの民族楽器 ディジュリドゥの共演を果たしてくれたテンジン・ムーさん。どなたも、この場所ならではの「響き」を大切にしたライブとなりました。

小レポート

應典院コミュニティシネマシリーズvol.14

去る12月23日、「オオカミの護符」の上映とトークが開催されました。これは、神奈川県の土橋地区に260年以上続く庶民の信仰をテーマに創られたドキュメンタリー映画で、2008年度の文化庁の映画賞を受賞しています。そこでは、神仏混合の時代に生まれた庶民の信仰が描かれ、美しい映像と音楽と信ずる心で應典院が満たされた112分間でした。
その後、由井英監督と、大蓮寺住職・應典院代表の秋田光彦によるトークが行われ、本編の映画の話のみならず信仰とは何か、宗教とは何かを考える貴重な時間となりました。プログラム終了後の交流会では監督を交え、穏やかながらも、活 発な議論が展開され、参加されたみなさんにもご満足いただけた年の瀬のコミュニティ・シネマとなりました。

コラム「質」

「元気な病院」を作る
豊かな人間関係を礎に

実は、病院というのは部署同士の壁がとても強固な組織だ。一般に思われがちな医師を頂点としたヒエラルヒーはない。医師は診療科、看護師は看護部、薬剤師は薬剤部、事務職員は管理部門・・・という具合に、それぞれの職員は部署内ルールには従うが、他の部署とは仕事を押し付け合い、責任を分散して被らないようにすることに必死。だから新しいこと、たとえば子ども達のために病院の療養環境をよくしよう、なんてことを始めるのは、大変に難しいはずだった。
ところが療養環境改善には、意外に多くの職員が部署を超えて協力してくれた。それは、医療者とか病院職員とかいう肩書き抜きに、一人の大人として「子どものために一肌脱ごう!」という気持ちになれたから。「院内社会見学」「市大病院こども夏祭り」「院内美術展覧会」等々、「楽しい」「おもろい」と思ってもらえる取り組みを提案したのだ。病院職員は専門家が多いので、もともと創意工夫に溢れた人が多い。組織が大きいために、創造の欲求を押し殺して部署のルールに従っているだけだ。だから、療養環境改善といわず「子どもが喜ぶと思うんですよ!!」と持ちかけると、「よっしゃ!」といって乗ってくれる。患者さんのためだからと、正々堂々、業務で楽しいことができるわけだ。
「楽しい」「おもろい」ことは、旧い人間関係を輝かせ、新たな人間関係を生み出した。療養環境改善活動を通じてボランティアやアーティストとのパートナーシップを得たことも、病院側の大きな儲けだ。2008年現在、病院の「良質(QC)医療委員会」が中心となって、人間関係を育くむ療養環境改善活動を病院中で支援している。豊かな人間関係は、楽しさの源泉でもある。病院のスローガン「Smile! Service! Science!」には、「職員が楽しく、おもろく、元気に働く笑顔の病院は、日本一、患者さんを元気にする病院」—そんな思いが込められている。
<大阪市立大学医学部附属病院HP>
http://www.med.osaka-cu.ac.jp/hosp/
山口(中上)悦子(医師)
1990年医学部卒業、1997年に医学研究科を、2005年に人間科学研究科を修了して博士号を取得。専門は小児血液腫瘍学、グループ・ダイナミックス。小児がん患者の長期フォローアップやQOL、病院の療養環境改善や職場環境・医療安全について研究。2009年1月より大阪市立大学医学部附属病院安全管理対策室専任医師。病院に集う人々—患者さん、家族、職員、ボランティア、アーティスト—の豊かな暮らしづくりを目指し、病院と組織の改善・改革を担う。1月にNPO法人大阪アーツアポリア企画による院内展覧会を開催予定(※)。
(※)院内限定につき、お問い合わせは06-6645-2694(巽・杉山)まで。

Interview「素」
小山田 徹さん (美術家、風景収集狂者)

2006年12月に開設された当会のサテライト「築港ARC」。
その空間プロデュースも担った美術家が、減災をテーマに
「主体性ある動き」を求める展示をコーディネートする。

昨年、人と未来防災センターなどで開催された防災EXPOの会場構成を担当しました。神戸市の灘区にあるHAT神戸にある4つの会場で、防災とアートと国際交流を関連づけていくという企画でした。今回、應典院という場所で、再び防災について取り扱って欲しいと言われたわけですが、特に大がかりなことはしないほうがいいと思っています。むしろ、今までやってきたことから何を見いだすか、日頃行っていることにどんな秘密が隠されているか、その点を問いかけていく必要がある、そう考えています。
そこで今回は、自分たちが持っているスキル、物、そうした「私有財産」をどう活かすか、防災のための「素振り」をする機会をつくろうと構想しています。私がよく言っている「プリコラージュ(bricolage)」の発想です。例えば、洗面器にどれだけの使い方ができるか、竹の棒が何本あれば何ができるか、本一冊が何に使えるか。そうしたシニカルな笑いや遊び、表現や指標の上で「やりつくしていく」と、災害時につぶしがききます。
私は防災器具に専門性を求めるべきではないと考えています。まずは心構えの問題を整理し、後は隣近所を知る、これで、炊き出しの場や倉庫は地域の中でしっかり生み出されていくでしょう。その際、所詮新聞なんて情報媒体の一つにすぎないのですが、燃やせばエネルギーに、巻けば防寒になります。発想次第でそれだけ、複数の機能を持つことにもなるわけです。
何より、この展示が應典院というお寺でなされることに大きな意味があります。いのちのために大切なのは、まちの中の広場であり、その一つがお寺です。災害時、病院はパニックに対応して健康管理を、学校は物理的な避難場所になる中で、心の管理までは手が届きません。そんなとき、お寺の境内でのたき火で炊いた焼きミカンはなぜかありがたい感じがするという具合に、お寺では心の話ができ、病院からカウンセラーが派遣されるのとは違う安心感を空間が与えてくれる、これが物凄い重要です。
今回の展示では、人を助けるには、助けられる実感を持って初めて助けられる、そんな観点で展示の構成をする予定です。例えば、災害時に最も重要となるのは、食料は必ず残るようにするということです。そこで、果たして砂糖は保存に使えるか、など、電気やガスがない状態で、みんなが食べられるかどうかなども考えてみたいと思っています。そういう意味では、漬物づくりの塩加減を知っているおばあちゃんの知恵はすごいですよね。
そもそも、人を助けるということは、決してかっこつけてやることではありません。ただ、助けられる人はかっこいい。キャンプが好きな人が、簡単にロープを結ぶ姿は外から見てかっこいい。何かが起こったとき、かっこつけているわけでもなく、楽しんでいる、これが大事ではないでしょうか。
今回の「素振り」は皆さんに想像力を問います。目の前にあるものを使って、世の中の作り話、たとえ話をつくるわけです。ちょうど野球の素振りでも、ボールが飛んできている、グラウンドにいる、そうした想像をしないと身につきません。演劇という表現がシチュエーションを仮設するプロであるように、芸術表現を通じて人間の精神、いのちの問題に働きかけていきます。

編集後記〈アトセツ〉

以前「後で失敗した、と思いたくないなら、最初から計画を立てなければいい」という話を聞いた。確かに、計画がなければ達成度合いも測ることができない。ゆえに失敗うんぬんは考えなくてもよいのかもしれない。しかし、何かが起これば、何らかの後悔や反省は生まれるだろう。
阪神・淡路大震災の発災時、ボランティア元年と言われて早14年。各地で防災計画がつくられ、昨今の災害では、人・もの・カネ・情報など、資源の調和がうまく導かれるようになってきた。それでも、全てが計画どおりにはいかない。ゆえに、現場には、臨機応変に判断して対応する緊張感と責任感が求められる。
考えてみれば、計画をつくるということは、どこまでを想定内とするのか、日常の想定外を想定内にしていく「頭の体操」と言えるかもしれない。今回のコモンズフェスタのテーマを「減災の身体性」としたのも、いつかくるその日に思いを馳せて、被害の想定をしてみようと投げかけているつもりだ。とはいえ、本誌のインタビューにて、小山田さんが「素振り」や「ブリコラージュ」と仰っておられるが、「頭の体操」よりもずっとピンとくるし、膝を打つ表現であろう。
一年の計は元旦にある、と言う。この一年、どんな一年になるのか、非日常も含めて想いを起こしてみてはどうだろう。ちなみに、災害については、松が明けても続いているコモンズフェスタにてどうぞ。身近なものを役立てる「ブリコラージュ」の楽しみを味わっていただければうれしい。(編)

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