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2017/8/26-27 金子リチャード:「キッズ・ミート・アート2017~めぐる〈自然〉・つたわる〈技〉」レビュー

應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を試験的に導入しています。8月26・27日に浄土宗應典院・大蓮寺・パドマ幼稚園にて開催した「キッズ・ミート・アート2017~めぐる〈自然〉・つたわる〈技〉~」。2日間の全15プログラムを、300名を越える参加者とともに盛大に行いました。今回は劇作家の金子リチャードさんにレビューを執筆していただきました。


「おーちーてー」

まだ発語のおぼつかない息子に朝7時に起こされ、パンを食べさせる。
昨日、親戚の法事で飲みすぎた主人はまだベッドの中。
朝食が終わって遊んでほしい欲求のたぎる息子を主人が眠るベッドに放り込み、油汚れの目立つキッチンのコンロに重曹をフリフリ。水を含ませたキッチンペーパーで拭き取る。ピカピカのコンロに心も晴れやか。
ひと昔前にトイレ掃除を奨励する歌が流行ったが、お寺さんに行く、仏さんに会う、というのは、なぜだか少し心が清らかでないといけない気がして。

キッズ・ミート・アート2017というイベントに、2歳になる息子と主人と3人で参加させてもらった。
應典院に来るのはいつぶりだろうか。
かつては月数本の舞台を観劇していた私も、結婚出産を機に年数本ペースになった。
生活というものはただ営むだけで忙しい。

キッズ・ミート・アート2017  ~めぐる〈自然〉・つたわる〈技〉~
仏教では、自然を「じねん」と読み、「自ずから然らしむ」「あるがままの状態」を意味します。
「art(アート)」の語源は、ラテン語の「ars(アルス)」であり、「わざ・手腕・技術・学術・技芸・手仕事」や「技術の理論・法則・手引き」という意味までを含みます。

以上は今回の催しのテーマ(の抜粋)である。
「自然薯のじねんかぁ」なんて、思考の器が平皿のように浅い私であるが、子供を持つと、“自然と”、身近な身近な自然に気付くようになる。
春は「ちゅーりっぷ」、夏は「せみ」、秋が近づき「たんぼ」が言えるようになり、普段は見逃しがちなそれらの存在を指差しして教えてくれる。
natureは人間と対置するものだが、自然(じねん)は人間を含むのだと、さっきGoogle先生が教えてくれた。
なるほど、自然の中に溶け込んで遊ぶ彼らを見ていると、そうなのだと思える。

キッズ・ミート・アートには複数のプログラムがあり、各自が選んで参加していくことができる。

シアトリカル應典院の2階、廊下の奥のスペースで、ピアノとクラリネットのコンサートを聴いた。
全面ガラス張りの窓からは初秋の青空、生魂の森、そして墓地が見える。
小学生から赤ん坊まで、椅子に座ったり登ったり、お母さんに抱きついたり、思い思いに過ごしながら始まったコンサートだったが、バスクラリネットが鳴った瞬間に子供達の動きがピタリと止まった。
理由は大人の私にもわかる。音が身体中に振動として響いてくるのである。特に足の裏から痺れのように上がって来る。
集中力がウルトラマン並の子供達だから、短い一曲が終わらないうちにカラータイマーが鳴ってモゾモゾしだすのだが、アップテンポの曲が始まれば、またリズムに合わせて足をプラプラさせたりする。
大人たちはと言えば、首を少し傾けたりして、ゆったりと音楽を聴いている。
「♪エンターテイナー」の軽快なリズムに合わせて、胸に抱く赤子の背をトントンと叩く麦わら帽のお母さん。
左に顔を向ければ眼下は墓地。
仕事や育児に追われ、普段は生演奏を聴く機会の稀な大人たちも、死者の隣で心をときめかせる。

次は併設会場であるパドマ幼稚園へ。
図書室の前には竹の水路が作られていて、ハスの種を転がして遊ぶことができる。
子供達は靴も服もびちゃびちゃだ。
図書室にはレールのある積み木を組み立ててビー玉を転がすオモチャがあり、大人も子供も夢中になっていた。いや、むしろ大人の方が、かもしれない。
幼稚園の教室は飲食可の休憩室として解放されている。幼稚園の見学がてら参加している地域の親子もいるようだ。
昼食は、食の安全にこだわった炊き込みご飯の焼きおにぎりと、パドマ幼稚園給食室からやってきたお惣菜、子供でも食べられるグリーンカレー。
どれもヘルシーでしっかり美味しい。
家計を預かる身としてはおにぎりがコンビニより高いことに驚いたのだが、今日の食の安全はそうでないものに比べて手間暇、すなわちコストがかかるのだろう。
じゃあ、お金のない人は?とかねてからの疑問が頭をもたげるが、それは別の機会に考えることにする。

お寺の本堂では、住職と副住職による「親子声明(しょうみょう)」に参加した。
礼拝にも作法や型があり、お念仏の息つぎや節もその1つなのだそう。仏教を信仰することは「帰依(きえ)」という。
まずは、南無阿弥陀仏を10回唱える「同唱十念」を唱え、次にお寺で使われる楽器の体験コーナーへ。
たぶん子供達は最初から前に並べられた面白そうな楽器しか見ていないし、我が子も欲望のままに鐘に突進しようとしている。(こちとら押さえるのに必死だ)
木魚やドラ、カイシャク(拍子木)など普段は叩くことのできない楽器を子供達は小さな手で叩いてみる。自分の手よりも顔よりもずいぶん大きくて重い。
五体投地も全員で体験した。念仏を唱えながら、両膝と両肘と額の5箇所を地につける(地に体を投げ出す)ので五体投地なのだそうだ。言葉は知っていたが、実際にやってみるとゆっくり伏せる・立つを繰り返す全身運動なので数回で息が切れた。信仰以前に何とかしなければならない問題が色々あることに気付く。
最後はお焼香の作法。大人と呼ばれてしばらく経つが、親指と人差し指と中指の3本でつまむのが正しいと初めて知った。
昨日の法事では2本指でつまんでしまった。いつか子供がわかるようになってきたら、正しい作法を教えてやろう。

まだまだ毎日新しいことを見聞きして生きている子供達は、今日のことをすぐに忘れてしまうと思う。

でも、覚えているか・いないかは大事じゃない。
大事なのは体験したかどうかではなかろうか。

バスクラリネットの音が体に響くこと。
ハスの種が大きくて固いこと。
ビー玉がレールに沿って転がること。
暗闇や影が怖いこと。
ドラを叩いた手がしびれること。
お坊さんの不思議な歌や焼香の匂い。

体験は全て気づきにつながり、学びになるのだから。

そんなことを考えながら帰路に着く頃、はやばやと息子は夢の中。
傾き始めた夕焼けに照らされて、私は今晩のおかずのことを、主人は明日の仕事のことを考えている。
生活はただ営むだけで忙しいが、お寺や劇場という非日常的な空間に足を踏み入れることは、子供に新しい体験を与え、大人の日々の営みを少しだけ彩ってくれると信じている。

 

○レビュアープロフィール

金子リチャード
劇作家。1985年兵庫県生まれ、大阪府在住。
高校時代に劇団「絶頂集団侍士」を旗揚げし、作・演出を担当。以降は神戸を中心に活動し、自主公演の作・演出や脚本提供を行う。
近年は、”さっき駅ですれ違った普通の人々”の人生を、日常の一場面や他愛もない会話から描くことが多い。
1児の母、会社員の顔も持ち、現在は仕事・育児・家事の間を行ったり来たりしながら日々の生活を猛進中。
座右の銘は「案ずるより産むがやすしきよし」。得意料理は四川風麻婆茄子。