2017/10/3 坂本涼平:meyou#9「シエルソル」 レビュー
應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を試験的に導入しています。10月3日(火)に気づきの広場にて開催した、meyou #9 「シエルソル」。劇作家の坂本涼平さんにレビューを執筆していただきました。
漱石の名文に浸りながら、ヴィオラに彩られたダンスを観る。演者の背後のガラス窓は夜を迎えて鏡となり、観客の姿を映して「見られる体」を際立たせた。
應典院二階の「気づきの広場」は、本堂の脇にある細長い空間だ。建物の壁面にあたる部分は全面ガラス張りで、日中は墓地と森を、夜は見るものの姿そのものを映し出す。まるで、「かえる場所」のような暖かさと、一方でまだそこへは至れない断絶の冷たさとを併せ持つかのような不思議な空間。そこで行われたパフォーマンスは、はじめから何らかの背反する要素、二面性や重層性を持ってこちらに迫ってきた。
二名の女性ダンサーが、ガラス窓の前を右へ進み、左へ戻る。時には、柱に絡みつき、手を伸ばし、身体を丸める。やがて右端のドアを開けるも完全に向こう側へ行くことはなく、また戻ってくる。細部に違いはあれど、その道行きが三度繰り返される構成。行きたいのか、行きたくないのか。まるで心の振れ幅であるかのように繰り広げられる舞踊は、どうやら喜びや楽しみの類いではなく、苦悩や迷いを示しているように見えた。雄弁な身体に反して、ほとんど変化を見せない表情もまた、その思いを強くする。
メロディアスさよりも、つま弾く音でこちらを苛むかのようなヴィオラは「琴線に触れる」という言葉を想起させる。きっとこちらも、その張り詰めた弦の手触りで単純ならざる心のありようを表現しているのだろう。
そうしているうちに三人目の声が聞こえてくる。朗読されるのは夏目漱石の『虞美人草』の一部。悪女と名高い女とその母親との会話のくだり。内容そのものよりも、妙に支配的に聞こえるその女の声が象徴的に響く。
やがて二人のダンサーの関係性が明瞭になってくる。一人は左に、一人は右に意識を向けている。あるいは、留まりたい、留まらざるを得ない側と、解き放たれたい側のように、その身体は矛盾をはらみ始める。そうか、まるで朗読者の女と二人のダンサーとは母娘のようではないか。
依存と独立、姉妹のような二人のダンサーは、ひとりの葛藤する内面かもしれない、と筆者の中で一つの像が形を結ぶ。それは、もしかしたら筆者の独り合点であろうか。しかしそれこそが、この表現を楽しむ醍醐味であるのは間違いない。きっと、左へ引っ張られながらも右への意識を持ち続ける彼女は、右端のドアから出て行く。いや、結局出て行けずに終わるのか。どちらだ、どちらだ、と祈るように、固唾を飲んで何かに抗う身体を見守る。ここに来て、筆者には、ダンスを見る、身体を見るということが、すっと腑に落ちた心地がした。眼前のそれは物語で、スペクタクルで、まさに「いま起こっていること」だった。
そして、彼女はドアから出ていった。そのとき筆者の心には、「浄化」という文字通りのカタルシスが訪れていた。
○レビュアープロフィール
坂本 涼平(サカモト リョウヘイ)
劇作家・演出家。1985年大阪生まれ。芸術学修士。研究テーマは「悲劇論」。
2009年に劇団「坂本企画」を立上げ。「ほんの少し、ボタンを掛け違った人間の悲劇に寄り添う」ことをテーマに掲げ、非日常的な世界での静かなセリフのやりとりに、社会に対する寓意をしのばせる演劇を作り続ける。
ロクソドンタブラック(現Oval Theater)主催「ロクソアワード2012」スタッフワーク部門最優秀賞、演出部門三位、総合三位受賞。
演出助手として、演劇公演『蒼い刻』に参加。
11月17日(金)~19日(日) 大阪市立芸術創造館
公演詳細→ http://stage.corich.jp/stage_main/70214