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1/16-1/17 コモンズフェスタ2015阪神・淡路大震災20年企画「あの街へともに~映画『その街のこども劇場版』上映とウォーク~」を開催いたしました。

1月16日から1月17日にかけて、コモンズフェスタ2015阪神・淡路大震災20年企画「あの街へともに~映画『その街のこども劇場版』上映とウォーク~」を開催致しました。

1995年1月17日5時46分、神戸市市街地を中心に近畿圏広域が被害を受けた大規模災害。この日から20年が経つ今年、映画『その街のこども劇場版』で描かれた、震災から15年目を振り返り、「ボランティア元年」と呼ばれた当時、ゲストそれぞれの活動経験により、何を、どのように大切にしてきたのか、皆さまとこの20年を語り直す場とし、今を見つめていきます。

まずは、映画『その街のこども劇場版』を上映致しました。観たことのある方も多い映画だと思いますが、何度も繰り返し観ていくことが、重要だと教えてもらえる映画だと感じました。

本作では「それでも、行かなだめなんです。」が何度も繰り返されます。三宮から御影へ、御影から三宮へ、主人公たちが歩いていく中で、向き合うことの辛さ、それでも向き合いたいという想い、また辛さゆえ蓋をしてきた感情を辿っていきました。「忘れようとしたら心の温度が冷たくなる。」「辛くなったらどうしたら辛くなくなるかみんなで考えればいい。」主人公たちが抱えきれない想いを見つめていく中で、印象に残った言葉でした。

上映後は、当時災害ボランティアに駆けつけていた深尾昌峰さん(公益財団法人京都地域創造基金 理事長)と秋田光彦さん(大蓮寺・應典院住職)をゲストに迎え、過去を振り返り、語りから未来の動きを考えていく時間と致しました。

秋田住職からは、この映画は、画面には映らない多くの死者が主人公であり、また巡礼の映画である、とお話いただきました。15年の歳月を経て、犠牲者が死者になり、残されたものがかろうじて向き合って、関係を紡ぎ直し、生き直しできた。またそのために、東遊園地の追悼の場があるのだとしました。

深尾さんからは、当事者でなくとも、映画の主人公同様に今でも表現しきれない「いかなあかんかった」想いを、自然とその場に足が向いていた事実を、当時の経験にとともに、お話していただきました。想いに突き動かされ、復興支援ボランティアに参加しつつも、当事者でない故に、どう声をかけていいか分からないもどかしさや、20歳にして初めて向き合う多すぎる死や喪失に、戸惑いは大きかったといいます。

また今に立ち返った時に、私たちが当時影響を受けた、あの時のあの人たちのようにできているのだろうか。そして、この20年で社会が変えられているのか、今どういう社会を目指していくのか。映画を見て、そういった問いかけがされていると感じたとおっしゃっておられました。

こういったお二方を迎え、会場からのご意見をお聞きしつつ、会場全体でゆっくりと、20年という月日へ想いを馳せていく時間を過ごしていきました。

トークの後は、なぜその場に行かなければならなかったのか、このことを追体験すべく、当時現地に駆けつけたボランティアの方たちは西宮までしか電車がなかったことを想い起こし、劇中の設定に学びつつ、近鉄日本橋駅から阪神尼崎乗り換えの最終電車で神戸方面へと向かい、西宮から神戸市中央区の東遊園地(神戸市役所南側の公園)まで歩いていきました。

行く道の途中で、劇中にもでてきた夜中も開いているたこやき屋さんへ出会ったり、雨に降られ体力が奪われたりしながら、4時間半ほどかけて、ゆっくりと東遊園地へ向かいました。

到着後は「追悼のつどい」に参列、モニュメントでの記帳・献花等を行なって語りつつ、それぞれに解散となりました。

阪神・淡路大震災から20年。それぞれに出会い方は違い、その想いも様々ですが、今一度震災という大きなものや、生と死に想いを馳せ向き合う、そんな機会になったのではないかと思います。これから先、区切りであり、しかし終わりではなく、ともに今後を考えていければと願っております。