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2018/1/20 金子リチャード:「震災×記憶 23年目の阪神・淡路大震災」 レビュー

應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を導入しています。1月20日(土)に應典院本堂にて開催した、コモンズフェスタ2018企画「震災×記憶 23年目の阪神・淡路大震災」。阪神・淡路大震災当時のラジオ放送のテキスト朗読を軸に、23年目の阪神・淡路大震災の記憶を紐解かれました。今回は、劇作家の金子リチャードさんにレビューを執筆していただきました。


「『記録』を『記憶』に変えてゆく」

当時、神戸市須磨区にスタジオのあったAM神戸(ラジオ関西)は、自身が被災しながらも震災13分後から69時間に渡り震災特別報道を放送した。その放送を文字起こししたテキストが後に震災記録として残されている。

今回のワークショップと発表会では、震災の記憶を身体的に呼び起こす試みとして、震災数秒前から8:30頃までのテキストを参加者の5人で朗読した。

1995年1月17日 AM6:00、地震発生から13分後。地震情報が入らないまま「こちらはAM神戸です。情報が入り次第…」を繰り返す形で放送が開始される。関係者からの電話やファックスで各地の情報が徐々に入り出すが、神戸の震度がスタジオに伝わるのは約1時間後。スタッフ達は街に出て被災状況をリポートをしていく。リポート先では、目の前で息子を亡くした父親も登場する。

参加者は、朗読に先立って震災の記録映像を鑑賞した。神戸市職員が震災当日の市内各地をホームビデオで撮影したものだ。家もビルも足元に崩れ落ち、見上げればどこまでも黒煙が広がり、寝巻き姿の人々が寒空の下で途方にくれる。大空襲の後のような神戸の街並み。朗読の中で家屋の倒壊や火災の状況が伝えられると、屋外に出たらあの映像と同じ風景が広がっているのではないかという気さえした。

私はアナウンサー役を担当し、主に電話で受け付けた安否情報を読んだ。

「西宮市津門呉羽町のAさんから東灘区森南町のBさんへ、無事です連絡ください」

なるべくハッキリと、ノイズ混じりの放送を誰も聞き逃さないように願いながら読んだ。地震の全体像も行く末も見えない不安の中で、自分の仕事をとりあえずしっかりとやろう。そうすれば全体が少しずつ前に進むと信じて務めた。その時のアナウンサーもきっとそうしたのではないか、今の自分が地震にあったらきっとそうするのではないかと想像して、原稿を読んでいた。

発表会の後に参加者と一部の観客の方とで振り返りを行なった。

参加者からは「発語の力」という感想が挙がった。同じテキストでも黙読だと自分の頭の中の想像を超えないが、耳で聴けば身体を伴った体験へと変わる。ラジオ放送は「記録」されたことで再現可能となり、肉声で再生されることでまた聴取者に「記憶」される。「記録」が「記憶」に変わるのだ。それは戯曲というテキストを劇に立ち上げて演劇体験を生むプロセスと同じかよく似ている。

また別の参加者から、古文書を基に東北に大地震・津波が来る可能性を訴え続けていた人がいたが、震災前は企画展示を行っても入場者が少なかったという話があった。震災に関わらず、記録は記録のままではうまく伝わらないことがある。記録はどうすれば伝わるか、という課題が浮かぶ。

観客からは発表会時の演出ついて話が挙がった。発表会は本堂に組み立てた避難所用パーティションの中を客席にして、プロジェクターでト書きを映しながら朗読を聴いてもらう形だった。材料は本物だが観客のいる空間は舞台照明の効果もあり演劇的になっている。その観客の方は目をつむる(演劇的なビジュアルを遮断する)ことで当時の被災者の気持ちになって聴いてみようとしたそうだ。また演劇的な要素をなくして更に体験を強めることも出来るのではないかとも。

演劇的な要素をなくすとしたら、どのように場を設定するだろうか。例えば実際の体育館。それは見知った場所か。地震発生からの経過時間は。気温は。家族の安否はどうか。設定次第で観客に大変なストレス状態を体験させることもできるし、非日常の中にある日常の喜びを体験させることもできる。それは観客に何を提起したいかという目的次第だ。

演劇は手段であって目的ではない。(あまたある表現の、あまたある人生を豊かにする道具の1つ。世の中からなくなっても困らないが、あればきっと少しだけ良くなるもの。と私は思っている。)

では演劇の手法を使って震災を記憶することの目的は何だろうか。持ち運び可能な震災体験を地域や年月を超えて届けることの意味とは何かと考える。このレビューの筆を置けば、震災のことは一旦頭を離れ、子供の保育園の次年度役員に立候補しようかどうしようかと悩んでいるだろう。毎日震災のことばかり考えて過ごすことは難しい。けれど、震災の記憶を1つ増やすことで、思い出すきっかけを増やすことはできる。演劇という道具はその一助となれる。

2018年の1.17の集いで竹灯篭の灯りは「伝」を描いた。震災から23年。震災を忘れられない人たちと忘れてしまいそうな人たちの間で距離が広がっていく。その距離を縮めるために、私たちは「伝える努力」ではなく「伝わる方法」について考えていかなければならないのかもしれない。

 

〇レビュアープロフィール

金子リチャード

劇作家。1985年兵庫県生まれ、大阪府在住。
高校時代に劇団「絶頂集団侍士」を旗揚げし、作・演出を担当。以降は神戸を中心に活動し、自主公演の作・演出や脚本提供を行う。
近年は、”さっき駅ですれ違った普通の人々”の人生を、日常の一場面や他愛もない会話から描くことが多い。
1児の母、会社員の顔も持ち、現在は仕事・育児・家事の間を行ったり来たりしながら日々の生活を猛進中。
座右の銘は「案ずるより産むがやすしきよし」。得意料理は四川風麻婆茄子。