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2018/1/21 マナカ:「悲しみのための装置2018」 レビュー

應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を導入しています。1月21日(日)に應典院本堂にて開催した、コモンズフェスタ2018企画「悲しみのための装置2018」。グリーフタイム×演劇×仏教の1日の中でおこなわれた、台本はなく会話もない、静かに声が満ちていく一度きりの約40分間。今回は、俳優・脚本家・演出家のマナカさんにレビューを執筆していただきました。


【概要】

「グリーフタイム」は日常から少し離れた場所に身を置き、失った大切な人やモノに思いを向けるための時間として、2人の臨床心理士によって
2009年より浄土宗應典院で開催されてきました。

(中略)

本作品「悲しみのための装置2018」は、グリーフタイムの“現場”に残された「グリーフカラー」を、選りすぐりの16人の女優たちが声にしていきます。
その言葉はフィクションではなく、すべてが本当の言葉です。

「グリーフカラー」はグリーフタイムに訪れたグリーフの当事者たちが、自分のグリーフにそっと向き合うためのワークとしてつくり、残していってくださったものたちです。

グリーフタイム事務局と慎重に検討し、本当の言葉に向き合える女優たちが声にしていくことで共有する場を上演することとしました。

女優たちは、事前に「グリーフカラー」を確認していません。当日、本番の時間にはじめて出会いそこに残された言葉を声にしていきます。
2ステージありますが「グリーフカラー」は入れ替え、2回ともはじめて出会います。

即興ですが、フィクションではありません。

本当の言葉に、本当の心で向き合う女優たちの声が、應典院の丸く白い本堂空間に同時多発的に満ちていきます。

ご本尊の見守る本堂空間に静かに満ちていく、祈りとも言い換えられる本当の言葉と本当の声、本当の心を感じてください。

(グリーフタイム×演劇×仏教 ホームページより一部抜粋)

【感想】

暗い洞窟の中で希望となる光を探しているような光景だと感じました。

演目がはじまってすぐに、十数人の女性が僕たちのいる本堂へ姿を現します。
彼女たちは一様に平静心を湛えた表情で、(これは演目が終わってぐるぐると感想を考えている時に至った表現なのですが)どこか静かな湖の水面を思わせました。

ほどなくして本堂の明かりが消え、やはり静かな動きで女性たちは様々な発色のハンディライトで自らの目の前を照らして、暗闇の中を歩き始めます。

本堂内には、僕たち観客が座るための座席が、本堂の中心から広がる波紋のように円形に配置されているのですが
その座席とは別に、木箱が配置されており、その上には各一枚ずつの白いカードが伏せて置かれていました。
概要で伝えられている「グリーフカラー」です。
(グリーフとは「深い悲しみ」や「悲嘆」を意味し、大切な人を失った時に起こる身体・精神上の変化を指す。)

暗闇の中をゆっくりと歩いていた彼女たちは「グリーフカラー」を拾い上げると、其処に記された言葉をゆっくりと紡いでいきます。

始まって数分でこれは恐らく時間いっぱいに繰り返し行われるのだろうということが分かりました。
そのため早い段階で、この空間に満ちる音・光、言葉、感情に意識を集中することができました。

先ほど、静かな湖の水面という表現を用いましたが、僕が劇場を出た後にその言葉にたどり着いたのは
「グリーフカラー」が、それを紡ぐ彼女たちの声でいくつにも姿を変えているように感じたからです。

僕の言葉が拙く、誤解を与えてしまうかもしれませんが、各々が一目瞭然の特徴がある読み方をしていたという事ではなく
その言葉を受け取った人間の心の内、溢れるように口から発せられた言葉が、人物によって大きく違う音で耳に届いたのです。

そんな有り様が、鏡のように映るものを反射させる湖のようなものであると感じました。

同じ月を映していても、湖に風が吹いていたり、透明度が違ったり、生き物が住んでいると
月の映り方やそれを見る人間の心象までも変えていく。そんな光景が今でも目と耳に残っています。

本堂内にゆっくりと流れていた虫の鳴き声などがよりそのイメージを創ったのかもしれないとも思いました。

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【言葉】に関して。

本堂内の木箱に配置されたグリーフカラーはフィクションではなく現実に何かを喪った人たちの言葉であるとの事でした。
明かりが消えた後の本堂には、あらゆる場所から「言葉」が溢れていて、その全ての内容を捉えることは勿論できないのですが
僕が聞き取れた言葉の中にはどれも「希望」がありました。

記された言葉の内容が明るいなどということはありません。誰かを喪った喪失感や寂寥感が纏われています。
あるいは前向きな言葉であったとしても、そこにはもういない誰かに向けた言葉だという無情感が濃く混ざっているように思います。

けれどそのどれもが「悲しみを受け止めよう」とする希望の言葉であるように僕には感じられました。
希望というには大げさな、縋るような気持ちなのかもしれません。
しかしそれがこの「悲しみのための装置」の本質であるように思えました。
少なくとも、紡がれた多くの言葉に感情移入した僕にとっては本質でした。

ぼくの一番近くにあったカードには、恐らく父を喪った娘の心情が綴られていました。
今はもういなくなった父へ、残された家族の近況を報告する娘の手紙です。
その手紙の最後には「十年くらいしたら会いにいくね」という言葉がありました。

悲しみとは、喪った誰かや何かを想いながら、抱えながら乗り越えるということ。生きるということ。
また、そのために必要なのが「言葉」もっと言えば「声」であり、それこそが悲しみのための装置であると解釈しました。

彼女たちが言葉を紡ぎ続けた最後には、本堂に現れた僧侶である秋田さんの読経が静かに響きます。
そして暗く閉ざされた本堂の幕が開き、闇の中から明るい陽の光の元へ歩み出すことができる。

何かを喪った人間はみな、この場所にたどり着くために「言葉」を探し、紡いで、希望にたどり着こうとする。

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他にも、もしかしたら色んな意味を救い取れたかもしれません。
彼女たちが持っているライトの色であったり、歩くスピードなどにも心を研ぎ澄ませておけばとこれを書いている今、少し後悔しています。

僕の思い違いでなければ、言葉を紡いでいた彼女たちの中に一人だけ、一度も言葉を発せずに暗闇を動いていた人がいた気がしていて。
それを思い出すと今でも強烈に胸がざわついたことが思い出されます。彼女は悲しみのための装置を見つけて、陽の下に出られたのだろうかと。

 

〇レビュアープロフィール

マナカ

俳優・演出家・脚本家
1991年生まれ

劇的☆ジャンク堂 副代表
演劇ユニット まきこみじこ 代表

◯公演情報
2018年 2月 劇的☆︎ジャンク堂 リユース公演『すいかのもよう』 演出・出演

Twitter:@cpmousou

人物(五十音順)

マナカ
(俳優・演出家・脚本家)