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2018/1/21 横林大々:「悲しみのための装置2018」レビュー

應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を導入しています。1月21日(日)に應典院本堂にて開催した、コモンズフェスタ2018企画「悲しみのための装置2018」。グリーフタイム×演劇×仏教の1日の中でおこなわれた、台本はなく会話もない、静かに声が満ちていく一度きりの約40分間。今回は、作家の横林大々さんにレビューを執筆していただきました。


近しい人の『死』についての記憶を探ると小学生のころまで遡る。現在二十七歳の人間にとってこの事実が幸いなことなのか、はたまたその逆であるのかは分からない。しかし、私にとって『死』という概念が、実感を伴った痛みとして人生に根付いていないという事実は、当レビューを書くにあたり考慮すべき項目であると思ったので、初めにここへ記させて貰った。(もちろん著名人の訃報には悲しむこともあるし、見知った顔が喪失に巡り合ってしまう機会もそう少なくはないのだが。)

私が体験した直接的な『死』は曾祖母の葬儀であった。あまり美味しくない冷めたお寿司をつまみながら、大人が酒を飲みかわす姿を私は「なんなんだろう」と思っていた。言葉では理解できる曾祖母の死。しかし、納棺された曾祖母の姿は何かきっかけでもあればすぐに動き出しそうで、大好物の蜜柑を今すぐにでも頬張りそうだった。最後の対面、そこで普段は気丈に笑う大人たちが涙を流していた。私はその姿を見て、「ああ、曾祖母は死んでしまったのだな」と生まれて初めての死を実感した。火葬場で遺骨を見る。いつか自分もそうなってしまうのか。そんな恐怖は給食を三日食べ続けるうちに消えてしまった。それが自分の人生で一番近いグリーフの記憶。

これらを踏まえたうえで、満月動物園さんがグリーフタイムと仏教を合わせた演劇『悲しみのための装置2018』の感想を書く。應典院の本堂に、ご本尊様がおられる中で上演をされる当公演は、椅子が同心円状に何重にも並べられ、客席全体が本堂中心を向くように演出が施されている。観客として約一時間近く。劇空間は、基本暗がりの中、十名以上の女優が持つ明かりのみ。ストーリーラインも会話劇もなく、そこにいることで劇体験が味わえる公演となっている。さて、前述したような経験者の劇中の感想なのだが、私はこの演劇に対し誰かを失った体験を、はっきりと持ち合わせたまま鑑賞してみたいと心から思ってしまった。曖昧なグリーフしか持ち合わせていない私にとって、今回の劇体験は非常に「もったいない」と感じてしまったのだ。

暗い空間に女優が持った明かりしかほとんどない状態で、彼女たちは、劇場内に設置された何点かの『失ってしまった誰かに対する書記』を朗読する。それが今作の大筋である訳なのだが、私自身がそのような体験の遠い中で劇空間に混在すると、「なんて自分は希薄な意識で足を運んでしまったのだろう」と反省してしまった。おそらくグリーフの真っただ中にいる人々は彼女らの朗読を元に追体験をするのだろう。けれど私のような人間がこの場所に来てしまった場合、手持無沙汰となってしまった。これが、大きな筋道があって、ある程度楽しみ方を案内してくれるようなタイプの演劇であればまた違ったのだろうが、今回の企画趣旨が各々で自由に思いを馳せる形であるが故に、グリーフの中にある私自身であれば、この静かな時間に、様々な思いを巡らす事も出来たのだろうな、と考えてしまったのだろう。

朗読する書記が定位置なので同じ内容を繰り返し聞く形となっていたのも、このように考えてしまった要因の一つなのかもしれない。これが女優ごとに書記が固定されていて、それを代わる代わる読む形であれば、知らない誰かのグリーフの時間を作品として追体験出来たかもしれない。けれどそれも、たらればの話である。

そんな事に思いを巡らせながらの、ラストシーン。住職による読経が挟まれる。應典院の本堂ゆえに成立する演出を眺めながら、私は、その一時間近くの時間について改めた。六十分の間に考えたのは、そんな宙ぶらりんな自分と、曾祖母の死について。もしも今、この精神のまま曾祖母の死にもう一度触れることが出来たなら、私はあの頃と違ってどのように振る舞うのだろう、と。何も分からなかった自分ではない、今の自分が曾祖母に最後の言葉をかけるとすれば何を話すだろう。自身の死生観。触れてこなかった二十七年間。そうして最後に本堂へ外の光が差し込む演出が施された時、私の頭に、こんな言葉がよぎった。

「今の、この状況こそが、グリーフそのものではないか」

應典院の催事に行くことで、私の中で無意識に遠ざけてきていた『死』という概念が顕在化されてきたのであれば、これをグリーフの追体験と言わずしてなんというのだろう。私は無意識のうちに企画の意図に沿った志向を繰り広げていたのである。これまで小さな重箱に隠していた私の曾祖母との別れを二十七歳になった今、改めて考えている時間。これこそが、この催事に参加した意義であり、参加したお陰で訪れた価値なのではないだろうか。そう思うと気持ちが軽くなり、考えさせられる体験をしたな、と感慨深くなった。

開場を出る時に應典院の墓が目に入る。今年は必ず曾祖母のお墓参りをしよう。私は固く決意した。帰り道、彼女の大好物だった蜜柑を買うと、とてもすっぱかった。

 

〇レビュアープロフィール

横林大々(よこばやし だいだい)

2分30秒で綴られるリレー形式のライティング・ノベル・イベント『即興小説バトル』の主催者。また、Web上の小説投稿サイト『カクヨム』を拠点に商業作家を目指す。1990年生まれ。ふたご座。O型。劇作活動を経て現在に至る。好きな映画は『トイ・ストーリー』全作『モンスターズ・インク』『ラ・ラ・ランド』『ジョゼと虎と魚たち』『学校の怪談2』。好きな曲は星野源『茶碗』清竜人25『Will You Marry Me?』ROSSO『シャロン』。好きなラジオ番組は『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』。作るのも、見聞きするのも、楽しいものが好き。自分の作品によって誰かが幸せになってくれれば、と常日ごろ考えている。

 

人物(五十音順)

横林大々
(作家・『即興小説バトル』主宰)