2018/1/21 坂本涼平:「グリーフの基礎知識講座」レビュー
應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を導入しています。1月21日(日)に應典院2階気づきの広場にて開催した、コモンズフェスタ2018企画「グリーフの基礎知識講座」。グリーフタイム×演劇×仏教の1日の中でおこなわれた、難し過ぎない基礎知識を共有する機会でした。今回は、劇作家・演出家の坂本涼平さんにレビューを執筆していただきました。
喪失の悲しみ〈グリーフ〉は続く。悲しみを感じる「私」が失われるその日まで。その消えざる痛みとどう付き合うか。もしかしたら、その痛みを愛せるようになるかも知れない方法を墓地の傍らで学んだ。
筆者が「グリーフ」、あるいは「グリーフタイム」に触れるのは二度目である。一度目も應典院。研修室Bで催された〈いのちと出会う会第160回「喪失の悲しみに寄り添う試み『グリーフタイム』」〉にレビュアーとして参加した時であった。その際のレビューでも「グリーフ」、「グリーフタイム」に関しては紹介をさせていただいた。(https://www.outenin.com/article/article-8946/)
今回は、コモンズフェスタの企画の一つ、「グリーフタイム×演劇×仏教」のオープニング基礎講座という位置づけ。関連企画が一日に集中するだけあってか、午前中の開催にもかかわらず、墓地の見える「気づきの広場」に大勢の人が訪れた。主催者の佐脇さんと宮原さんも驚いていらっしゃったが、それだけ、「喪失の悲しみとの向き合い方」は、いま望まれている事なのだろうとうかがえる。
今回の講座では、「グリーフ」という現象が心の中でどのように起こり、それを受け入れるにはどうすればいいのか、という流れでの説明がなされた。悲しみが起こった瞬間の衝撃が時間経過とともに減衰していく波形のモデルや、突起の生えた球体が徐々に丸くなっていくモデルによる「グリーフ」の発生と推移の説明は前回もあったが、今回、力点が置かれていたのは「グリーフ」の受け入れ方についての方だったように思う。
「グリーフ」の受け入れ方を考える際に、「喪失の悲しみは一生なくならない」ということは重要な前提であろう。喪失という体験はそれだけ強烈だ。初期の動揺をなんとか乗り越えても、その後一生を通じて「グリーフ」はさざ波のように心を騒がせ続けるという。記念日や、なにか失ったものを強く思い出させる出来事があったときには、再び、心は強く揺れ動く。しかし、それはいけないことではないらしい。そういうときには、悲しみから離れてほかのことに没頭するのもいいし、悲しみに向かい、悲しみに浸るのもいいようだ。「喪失の悲しみ」から離れることと親しむこと、どちらの行為も重要で大事なのはそのバランスだという。
悲しみに支配されたくはないと、筆者は思う。悲しみは辛く、痛く、重い。それゆえ、非生産的であると筆者は感じていた。しかし、悲しみは来る。人が必ず死ぬ以上、形あるものがいつかは壊れる以上、それは避けられないことである。避けられないことであるならば、避けるのは不自然で、不健康な状態なのだろう。筆者は、この講座を受けながら、「悲しくていいんだ」と言われている気がした。悲しく、去って行ったものを思い、立ち止まり、くずおれる。それでいいんだと。それはきっと波のようなもので、心の中に満ちてどうしようもない時もあれば、何事もなかったかのように引いている時もある。悲しいときは、諦めて、あるいは、去って行ったものたちと再び語らえることを喜んでそれを受け入れる。そして、自分も誰かの「グリーフ」となる日まで、元気よく生きていく。それでいい、それでいいんだ、と繰り返し、心の中でつぶやいた。
〇レビュアープロフィール
坂本 涼平(サカモト リョウヘイ)
劇作家・演出家。1985年大阪生まれ。芸術学修士。研究テーマは「悲劇論」。
2009年に劇団「坂本企画」を立上げ。「ほんの少し、ボタンを掛け違った人間の悲劇に寄り添う」ことをテーマに掲げ、非日常的な世界での静かなセリフのやりとりに、社会に対する寓意をしのばせる演劇を作り続ける。
ロクソドンタブラック(現Oval Theater)主催「ロクソアワード2012」スタッフワーク部門最優秀賞、演出部門三位、総合三位受賞。
2018年2月23日〜25日
應典院本堂ホールにて、奇しくも「喪失を受け止めること」をテーマとした演劇を上演。
坂本企画 15 『寝室百景』
詳細は「坂本企画の舞台裏ブログ」にて。(http://blog.livedoor.jp/tottengeri/)