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2018/2/23-25 八柳まごいち:坂本企画「寝室百景」レビュー

應典院寺町倶楽部共催事業として、坂本企画「寝室百景」が2月23日(金)から25日(日)まで、應典院本堂で上演されました。モニターレビュアーでもある坂本さんによる、一日限りの世界を生きる人々の日常を三編で描いた作品。連日盛況・好評が続きました。今回は教師・プロデューサー・脚本家・演出家の八柳まごいちさんにレビューを執筆していただきました。


坂本企画『寝室百景』を観劇

この作品をみながら一昨年亡くなった祖父の事を思い出した。

祖父の認知症が酷くなった際にウチの家族は介護で疲弊し、「誰かが認知症になったとき植物状態になったときどうしてばいいか」を何度も話し合ったことがある。

その時期の会話の内容や起こった出来事が登場人物の会話や行動に結びついた。

 

○作品について

・概要

機能障害にも精神疾患のようにも感じ取れる原因不明の”現象”「寝室百景」という架空の症例を取り上げ、それに関わる人々を描く。
簡単に説明すれば寝室百景とは、毎日、寝ると記憶がリセットされ目覚めると新しい記憶や人格を持って目覚める病気?障害?のようなもの。
作中に出た事例として、目覚めればキノコの研究者になっていたり軍人になっていたりする。目覚める度に人格が豹変し、いつかは昏睡状態になるというものである。

『王国編・昨日の寝室』『牢獄編・今日の寝室』『牢獄編・明日の寝室』の三本立て。

寝室百景の状態になった人を患者など既存の言葉では説明できないので当レビューでは”症例者”という造語で解説する。

 

1部『王国編・昨日の寝室』

福祉施設のような建物の一室で、症例者の青年と彼に尽くす婚約者の女性に焦点を当てた物語。
目覚めるたびに記憶を無くし、新しい人格に代わって行く彼に必死に見舞う彼女。
施設の管理者「先生」のカウンセリングを受けながら安定していく彼女だが、彼にかかる介護費用の問題や親族の登場により彼女は自身のこれからの人生の選択に迫られる。

 

2部『牢獄編・今日の寝室』

母が症例者のケースで残された家族を描く。
症例者である母自身は寝たきりの状態であり、父とその息子夫婦を軸に物語が展開する。
父が息子夫婦に対しドリル片手に自殺をほのめかしたり、息子の妻を鎖で繋いだりと強烈な行動で息子に母の面倒を生涯見るように迫る。
しかしその茶番の裏に父の息子への愛情が秘められている。

 

3部『牢獄編・明日の寝室』

主人公が症例者のケース。寝室百景のことが周知の事実となった社会で奇跡的に元の自分に近い記憶を持って目覚めた症例者の主人公。
彼は記憶にない姉の存在を介して自分が寝室百景であることに気付く。眠れば人格を失う恐怖と家族や友人への感謝を描く。

 

○レビュー

しっとりとした状況進行を軸とした1部、インパクトの強い洋画のような2部、ハートフルストーリーのような3部、全く異なる作風が特徴の三部作。

1部では介護者が症例者とどう向き合うか、2部では家族が症例者とどう向き合うのか、3部は症例者自身がどう症例を受け止めるのかを描き、段階を踏み視野を広げながら題材を深めていく。

舞台装置に絵画が飾られており、それぞれの作品によって絵画が夜・夜明け・朝へと変わって行く。登場人物たちの精神とリンクしたかのような美術への拘りも秀逸である。

寝室百景のことを病気や障害と言わず”現象”という言葉を使うのが見事で、病気・障害・死・仲間と道を違うとき・進路の選択、観客は自分に起きたあらゆる場面と関連付けて自身を投影しながら見ることができる。

 

○感想

介護への悩みを抱えていたり、身近な人の死に整理がつかずにいる人に観て欲しい作品。

どんなに手を尽くしてもどうにもできない現象に抗い受け入れる登場人物たちの姿に観客である私自身、記憶の奥のモヤモヤとしたものを整理洗浄された気持ちになった。

 

○最後に

数えきれないモノを表現するとき、「八百万の神」や「何万何億という・・・」など、万や億という数字で表現することが多い。

それに対して、百という数字は100%など「完全」を表す場合や百花繚乱,百鬼夜行など「多様性」を表す場合に用いられる。

百が示す通り、人には必ず別れのときが訪れその情景は様々。

この作品は別れや覚悟の場に出会った人のやりきれない思いを浄化させてくれる。

 

〇レビュアープロフィール

八柳まごいち

1988年生まれ。地域の表現活動を支援する企画集団『進劇銃題やぎゅり場』代表。企画・脚本・作詞などを担当。
6年間、中学高校の数学科の教員をした経験を活かし、地域に根差すものやジャンルの垣根を越えた企画を展開する。

人物(五十音順)

八柳まごいち
(教師・プロデューサー・脚本家・演出家、進劇銃題やぎゅり場代表)