2018/9/14-17 湯山佐世子:道頓堀セレブ『トップガールズ』を開催いたしました。
去る9月14日から17日、應典院寺町倶楽部協力事業として、道頓堀セレブ『トップガールズ』が應典院本堂にて上演されました。英国の人気女性劇作家キャリル・チャーチルが1982年に発表した作品と、関西で活動する個性豊かな女優陣。東京公演を今週末に控える本作は、その骨太な戯曲と役者の確かな地力によって、沢山の方々にご来場いただくとともに、好評を頂いています。今回は、應典院寺町倶楽部執行部役員の湯山佐世子さんに、開催報告を寄稿していただきました。アフタートークにも登壇された湯山さん、作品全体をふまえて感想をまとめてくださっています。
ありがたいことに、アフタートークのゲストに呼んでいただいたのだが、それ以前から、とても興味がある公演だった。
TOP GIRLSというタイトルに、道頓堀セレブというユニット名。自然と「強い女性」の物語を想像した。
さらに、1980年代を舞台とした翻訳劇だという。1980年代といえば、日本では男女雇用機会均等法が施行された頃。やはりこれは、女性達が男性社会の中で、権利を主張し、勝ち取っていく物語に違いない。
といった私の予想は、冒頭のシーンから見事に裏切られた。
主人公であるマーリーンの昇進祝いパーティに顔を揃えたのは、歴史上あるいは物語上の女性達。それぞれにかなり尖った、それでいて信念をもって人生を歩んできた彼女たちは、口々に自分の過去の話をする。この会話のペースがスゴい。相手が喋っていてもおかまいなし、勝手に自分の話をし、ワインをオーダーする。アフタートークで聞いて驚いたのだが、この台詞の被せ方は演出ではなく、台本どおりなのだそう。台本の台詞にスラッシュが入り、被せる台詞が指定されているらしい。そしてこのリズムが、女性たちの(しかも自己主張が強い部類の)会話にリアルな空気感を生んでいる。これだけで、遠巻きに見ようと思っていたこの物語が、一気に自分に近づいてきた。
第二場からは、現実の世界、マーリーンが働く人材派遣会社、そしてマーリーンの実家が舞台となる。
この会社は、優秀な人材をヘッドハントし、業績好調の様子。恐らくマーリーンもその一人なのだろう。これまで上司だった男性に代わり専務に就任するという。大抜擢だ。これまで同僚だった女性たちからも微妙な空気が漂い、下克上される予定の男性上司の妻からは責められる。これが男性だったら違うのかもしれないし、女性の敵は男性という訳でもないことがよくわかる。マーリーンは、そんなことは想定内とばかりに、そうした妬みを鮮やかにかわしていく。そういえばこの物語、男性が一切出てこない。女性達の言葉でしか語られない男性達は、その弱さや愚かさが強調され、なんとなく滑稽なイメージで浮かび上がる。
一方、実家ではマーリーンの姉と姪っ子が暮らす。親子関係はあまり良くないようだ。姪っ子は叔母であるマーリーンを慕い、自分もそうなりたいと願う。姉はマーリーンとは対照的に、実家から出たことがなくいつも不機嫌。久しぶりの再会なのに、姉妹の会話はぎこちなく、すぐに衝突してしまう。
この姉妹のやり取りもまた、心に響いた。
女性の人生には、本当に多様な選択肢が用意されているし、その選び方で生き方や価値観が大きく変わる。実感としては、元々の生き方や価値観が違うというよりは、選んだ道によって、生き方や価値観が変わるという方が正確なように思う。しかも自分だけの意思で確実に選び取れる選択肢は、意外と少ない。だからこそ、一緒に育ったはずの姉妹でも、あんなに仲が良かった友人でも、選んだものが変われば、だんだん違和感が大きくなる。何でもない思い出話すら、笑顔で話せない程に。
それは悲しいことだけれど、人生の先輩に言わせれば、ある時点を過ぎれば、ただの女同士に戻れるのだという。それはきっと、女性たちが自分が選ばなかった(選べなかった)道への執着を捨て、戦いを止めた時ではないかと思う。
このTOP GIRLSに登場する女性たちは、みんな戦っていた。でもそれは、男性社会との戦いではないし、新たな権利を手に入れる戦いでもない。自分の中にある迷い、後悔、不安、そういったものとの戦いなのだと思う。本当は戦友がほしいのに、自分と全く同じ道を歩む同志は意外と少ない。だから自分で抱えるしかない。マーリーンが姉の前で涙を見せ「私は泣くのが好きなの」と言うシーンには、胸が締め付けられた。
TOP GIRLSは、ステレオタイプな強い女性の話ではない。だからこそ、時代が変わっても、国が違っても、心に響く戯曲なのだと理解できた。
そして、現代の日本に生きる私がこれだけ物語に没頭できたのは、これだけ余韻を引きずっているのは、マーリーンを演じた主宰の山本香織さんはじめ、素晴らしい役者陣の力であると自信を持って言える。