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2018/10/17 インタビュー連載「現代の仏教者に聞く」第3回:中平了悟(後編)

インタビュー連載「現代の仏教者に聞く」を展開しています。本連載は、さまざまにご活躍されている仏教者の方々に、社会や仏教の未来に対するビジョンを伺うもの。第3回は、地域と連携した多彩なイベントを展開されている中平了悟さん(浄土真宗本願寺派西正寺副住職)にご登場いただきます。後編はLGBTとの関わりをきっかけに、僧侶としての姿勢や今後の展望について伺いました。(聞き手:秋田光軌)。※前編はこちら


当事者と非当事者が関わり合う場

――今年3月、浄土宗総合研究所が出版した総研叢書が、『それぞれのかがやき:LGBTを知る―極楽の蓮と六色の虹―』と題した内容で、中平さんも参加された鼎談「仏教・浄土教とLGBT」が収録されていました。私も「これが普通の家族のかたちで、それ以外のあり方は異常だ」と言われる現状に対して宗教者として発言する機会があり、セクシュアリティや家族などをめぐって「これが普通・常識だ」と言われてきたものがすごい勢いで変わっているのを感じています。LGBTというテーマと出会ったきっかけはどこからですか。

中平 もう6年ほど前です。大学で一年生の必修の講義を教えていた時、ある日不意に「性同一性障害の治療のために欠席します」という欠席届を出してきた学生がいたんです。そこでとまどい、平静を装うべきか、驚いて尋ねればいいのか、というところから迷ってしまった自分がいました。そういう引っかかりを抱えていたなかで、ある時、当事者団体の活動をされている方と出会いました。それから、本を読んで勉強したり、実際グループに入ってその方たちの話を聞いたりする中で、「何か宗教者としてやれることがあるんじゃないか」という思いが生じてきました。そこから関心があるのだということを周りに言い続けていると、それによって驚く人たちもいて…。お酒を飲みながらゲイを揶揄したりする人がいるじゃないですか。そうした話題が出たときに「今、そのテーマに関心があるんですよ。そこにはこんな課題があって…、こういう切実な人もいて…」と話しはじめたら、「ちょっと話題変えようか」ってあからさまに止められてしまったこともありました(笑)。当時はまだ、あまり知られていなかったですし、煙たがられてしまった経験ですね。

そうしているうちに、あれよ、あれよという間に頻繁にメディアで報道され、課題が認知される状況が思った以上に早く進みました。そこで具体的に動いても良い時がきたなと思って、タイミングと巡り合わせもあって、LGBTをテーマに「テラハ」を開催することができました。どのイベントにしても自分の想定していたイメージを崩される、思ってもみない結果や変化を起こされることがあって、それが魅力であり、自分自身に対するご褒美だと思っています。その時の「テラハ」もそうでした。思った以上に当事者の方が来てくださいました。実は参加者リストを見て、明らかに当事者の方もお越しの様子でしたから、「なんだこれは!」と怒られるんじゃないかとか、内心ビクビクしていたんです。ところが、その方たちが終わる時には「この場に勇気づけられた」とか「来てよかった」とコメントをくださったんです。震えるくらいうれしく感じました。当事者のグループだと、多くの場合、当事者の割合が圧倒的に多いんですよね。「自分はマイノリティである」と思っている人がほとんどであるというコミュニティなわけです。一方、行政や企業で研修を行うときは、マイノリティの姿は全然見えてこなくて、圧倒的多数がマジョリティという環境で行うことになる。それが「テラハ」では、6:4か7:3くらいで当事者と非当事者が混ざり合っていて、オープンなかたちでお互いが交流するという、なかなか見られない空気感があったように感じます。参加者の中には「LGBTの人が職場にいるのはいいけど、家族になるのは嫌だ」とか、ある程度の抵抗感を示す人も来ていたんですが、当事者の人たちを前にして話を聞いたら「意見が変わった」とおっしゃっていて。それを聞いて当事者も喜ぶという、すごく幸せな時間でした。

今は「テラハ」以外にも、宗派(本願寺派)の関係学校の人権関係の研究会で、LGBTがテーマに取り上げられた時にコーディネーターとして関わらせてもらいました。あとは個別にお寺の勉強会でお話させてもらったり、行政によるダイバーシティ関連のとりくみや講演などでも関わらせていただいています。

答えを保留して揺さぶられ続ける

――『それぞれのかがやき:LGBTを知る―極楽の蓮と六色の虹―』の鼎談では、特に中平さん自身の存在のあり方を賭けた「自分ごと」としての語りが印象的でした。自分自身のセクシュアリティもまた揺らぎうることを肯定的に受け止め、「自分はこうである、こうあらねばならない」と規定するのを保留する態度は、仏教者にとって大事なスタンスではないかと感じたのですが。

中平 ありがとうございます。僕が浄土真宗だからかもしれないんですけど、「こうあらねばならない」という規範的なものが持つ危うさをずっと考えています。真宗ってどちらかというと、規範や正しさの「外側にいる自分」を意識しつづける思想だと思うんですね。僕はひねくれた人間なんで、そういう反発とか抵抗、問いを持ち続けるのが、自分の立ち位置かなと。

カルチャーセンターや講座でときどき話すのが、仏教とは何かって言ったときに、多くの人がしばしば答えを求めるんですね。「これは仏教として正しいんですか?」とか「仏教者としてどう生きていくべきなんですか?」って、それらの問いに対して明確な答えを出そうとされるんだけど、そこに違和感があって。じゃあ、その答えが実現できなかったらどうするとか、誰にでも当てはまる答えはないだろうとか、色んなことを考えます。道を求める「求道」とは言うけど、「求答」とは言わないじゃないですか。固定的な答えはどこかで止まってしまって動かなくなるんですけど、仏教ってずっと歩み続け、問い続ける道なのであって、求めるべきものがあるとしたら、その「道」それ自体じゃないかって思うんです。なので、おっしゃってくださった「答えを保留して揺さぶられ続ける」っていうのは、仏教的なあり方ってそういうことなんじゃないかとも思っています。

親鸞聖人のことばに「まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。」(親鸞『顕浄土真実教行証文類』「信文類」)というものがあるんですけど、要するにたしかな救いが目の前にあるにもかかわらず、それを喜べない自分がいる。目の前にあるその教えから外れている自分がいると言うんですね。有名な『歎異抄』にもこんな話があって、弟子の唯円さんが親鸞聖人に「念仏しても一向にありがたくないし、浄土へ行きたいとも思わないですけど、どういうことでしょうか」と悩みを相談するんですね。すると親鸞聖人は、「実は私もそうだった、唯円、お前もそうだったんだね」と応えるんです。「浄土のおしえがあってすばらしい」って言えない自分を率直に問い続ける志向性というか、そういうものが真宗にあって、僕には合ってるなって思うんです。他の教えだったら「正しい教えがここにある、さあ喜びなさい」ってなるところを、真宗は「いや、本当は俺、ありがたくないんだ」って問うてもいい。

もちろん、「ありがたいですね」っていうお説教もあります。でも、その「ありがたさ」というものはその問いを経たところにあると思っていて、「本当は俺、ありがたくないんだ」っていうことを考えて、揺さぶられて、その結果ありがたくなる。それは論理的に説明できるかどうか、一人ひとりがことばで表現できるかどうかは別にして、おそらくある程度共有できる念仏のありがたさじゃないかと思います。

お作法を突き破って、他者と関わり得るか

――さまざまな社会課題と仏教のおしえが交差するところを、多彩な活動やその姿勢を通して見せていただくことで、「檀家になる」ということではなくとも、きっと共鳴する方は増えていくのかなと思いました。それでは、これから取り組んでいきたいこと、今後の展望をお聞かせいただけますか。

中平 「テラハ」はもっと身近にローカルに動いていきたいと思っていて、色んな人の人生とか、抱えている社会課題とか、地域に共有したいことを語り合える場としてやっていきたいです。あとは、これまでお寺を支えてくれた人の価値観も大事にしながら、これからのお寺を支えていく枠組み、今までとは異なる枠組みをつくらないといけないと思っています。すでにそういう動きをしているお寺もあるんですけど、メディアで見るかぎり「今までの檀家制度は廃止します」とか、相当ドラスティックにされていて。今まで通りか廃止するかの二択じゃなくて、これまで支えてくれた人と、今後それとは異なるかたちで支えてくれる人とが、互いをリスペクトしながら関われるあり方というのが、うちのお寺だとできるんじゃないかとは思っています。それを考えていくという大きな宿題がありますね。

1年目から「カリー寺」のスタッフをしてくれている方がいて、その方が「地域に顔を見せて関われるような職場に転職しよう」と思っているみたいなんです。これまで職場の自分と地域コミュニティの自分、ふたつの顔を使い分けていたんだけど、だんだん後者の自分が職場のほうにも浸食してきて、地域の自分のあり方と仕事の自分のあり方を一致させたいと思ったらしい。なんと、「カリー寺」がひとりの人の人生を変えてしまったと(笑)。

お寺でもそういう劇的な展開はごく稀にあったりしますけど、それを意図してお寺のあり方って仕掛けられてないですよね。でも、本来お寺って劇的に生き方が変わる場所なのかもしれなくて、すさまじい可能性を持っています。しかし少なくともうちのお寺の今までのあり方だと、それくらい影響を与え合う関係をむすぶ糸口、もう一歩先へ行く糸口がなかなか見つかりませんでした。それはお寺の人間の覚悟の問題かもしれないんですけど、「カリー寺」みたいにお作法を突き破って関わり得る機会は他にもあっていいのかなとは思います。檀家さんにも「カリー寺」のボランティアに来てもらって、普段の法要で僧侶として接している僕のちがう一面を見てもらうことで、やっと本音で「自分にとってのお寺・仏教」を語り合う場が生まれてくるんじゃないかと思えることが増えてきています。

もちろん、そうした関わりの機会を持つことで、色んなむずかしさも持ち込まれるはずです。公務員、看護師、家庭教師、イラストレーター、機械設計士と、檀家さん以外にも本当に多様な人が来てくれますけど、その人たちは檀家さんと同じように振る舞い、同じようなお作法をするという前提ではないので、僕らからすると「もうちょっと行儀良くしてよ…」と思うような行動をされることもありますよ。目に余るようであれば注意するんですけど、もし場としてのお寺が壊れそうになったときに、お坊さんとしてどう振る舞うか、お寺がどういう場であればいいのかを担保するのは僧侶の役割かなと。そういう他者と付き合えば付き合うほど、逆に自分がお坊さんであること、自分がいる場所がお寺であることがはっきりするんですね。檀家さんだけだと楽ですけど、他者と向き合う機会が消えちゃうのかな。

――ありがとうございました。最後に、今後の應典院について一言いただけますか。

中平 應典院がずっとフロントランナーとして、仏教界の先を走ってくださったと思うんですね。前々職の本願寺総合研究所の関係ではじめて伺って以来、その取り組みやメッセージにインスパイアされ続けてきました。人とのつながりも含めて、たくさん刺激をいただきました。僕が今こうしてお寺のあり方を問うているときにも、ある種追いかけていく存在として、今後も應典院はありつづけていくのでしょう。終活事業をはじめとして新たに葬送分野に取り組まれているのもインパクトがあって、古くて新しい問いに対する應典院なりの応答を期待し、また揺さぶられたいと願っています。