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2018/10/23 應典院寺務局:「おてら終活カフェ~お寺で考える『しまい』の作法~」を開催いたしました。

第4回を迎える「おてら終活カフェ」が去る10月23日(火)の午後から、一般社団法人心結の屋宜明彦さんをお迎えし、「お寺で考える『しまい』の作法」というテーマでお話を伺いました。秋の日差しが暖かな浄土宗應典院の気づきのひろばで、参加者の皆様との一時を過ごしました。

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今回のゲストの屋宜明彦さんは、毎日新聞で「家じまいの作法」の連載を書かれるなど、遺品整理、生前整理の専門家として、数多くの遺品整理の現場に従事されていらっしゃいます。

 

前半の屋宜さんのお話は、軽快な語りと質問形式での進め方に思わず時間を忘れるほどでした。なんと、「終活で取り組みたいことのランキング1位」が片付けらしいですが、実はなかなか取り組めないのがこの片付けという作業。「勿体ないから」「思い出が詰まっているから」と多くの方々が感じてしまうようです。実際に「あなたの実家は散らかっていますか?」という質問には、85%の方がその通りと答えるそうです。これには多くの方が頷いていました。実際に遺品整理などを依頼する会社や組織を探す場合の大事なポイントも教えていただき、遺品整理を通じて、家も人も笑顔になること、そして、家族で大事な思い出を共有する機会となることが大事なのだと感じました。

 

 

途中からは、秋田光彦住職や秋田光軌主幹も席に加わり、「モノ」から始まるナラティブ(語り)の大事さの視点から話が進みました。秋田住職は、遺品整理は実はお坊さん的な仕事であること、また、終活に関係することの多くは、一人称で「私が」と語ることが多い中で、大切なひとの残した「モノ」と向き合う遺品整理は単純な二人称でもなく、「私」と「あなた」との関係に浮かび上がる、一.五人称の語りが立ち上がる場でもあることが示されました。

 

今回の話の中で、捨てるのに迷われるものが多いものは、人形と写真だと言われました。多くの家庭で、子どもが使用していたぬいぐるみ、頂いた人形、そして紙媒体の写真などはなかなか捨てることができません。屋宜さんは遺品整理の時には、出来るだけ供養する形で処分するとのこと。白い布で包む、お塩を上に乗せる、など、さまざまな「モノ」の供養の話を伺い、秋田住職からは「モノ」に魂が宿るという日本の民俗学的、文化的な背景と、その魂がこもった「モノ」から魂と「モノ」を切り離して気持ちを整えるために、一程度の「保留としてのタメ」の場と時間が必要であることが話されました。

 

デジタル的なものが多くなってきた現代、写真などのデータも一斉消去のボタンを押せば、一瞬にしてなくなるものも多い時代です。大切なひとが残した「モノ」を通じて、ものがたりの時間をしっかりと過ごすことが、自分というものが形成されてきた背景を知る上でとても重要なのかもしれません。取り組みにくい、面倒だ、と思っていた生前整理の時間を、とてもポジティブに捉えることが出来た時間でもありました。また、お話の後には参加者から多くの積極的な質問もあがりました。「これから整理をしよう」と宣言して帰宅される独居の方たちが多かったこと。その笑顔がとても印象的でした。

 

人物(五十音順)

秋田光軌
(浄土宗應典院主幹、浄土宗大蓮寺副住職)
秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
屋宜明彦
(一般社団法人心結 代表理事、株式会社スリーマインド 代表取締役)