2018/10/2-12/15 秋田光軌:光み智の会ワークショップを開催いたしました。
去る10月2日から、應典院寺町倶楽部主催事業(浄土宗應典院協力)として、私・秋田光軌(僧侶)と諏訪いつみ(クリエイター)による異色ユニット「光み智の会」ワークショップを連続で行ってきました。仏教をより身近に感じてもらいたいと、また1月19日・20日にコモンズフェスタ2019で開催する「みつみちのえ」公演に向けたリサーチの面も持つ今回のワークショップ、性格の異なる3回の場を設けましたので簡単にご報告できればと思います。
第1回は應典院研修室Bにて「般若心経を写経する」を開催、冒頭6名の参加者とともにお念仏と般若心経を唱えた後、一人ずつ壁に向かって、お経と向き合う静かな時間を持ちました。筆ペンを持ち、紙に一字ずつ般若心経のことばを書き付けていきます。普段ほとんど写経をする機会のない私も一緒に取り組みましたが、「摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩」と最初の一行を終えたところで、予想以上に時間と体力を使っていることに気づきます。きっちり心を込めて書こうとすると、般若心経のような短いお経でも、1時間で書き終えられない方が多いそうです。参加者の皆さん、それぞれのペースで、思い思いの仕方でお経に向き合っておられました。
その後、椅子席からござに移動し、私から30分間お話をさせていただきました。おそらく「日本で最も有名なお経」と言ってもいい般若心経ですが、その中身は決して親しみやすいものではなく、仏教のおしえの核心を突いているがゆえに、はじめて聞くと難しく感じるものです(私の技量の問題もありますが…)。「般若心経」についての歴史も振り返りながら、お釈迦様の教えの何が引き継がれ、「般若心経」によって何が新たに打ち出されたのか。少々盛り込みすぎの感はありましたが、一つでも引っかかるものを持ち帰ってもらえていたら幸いです。
つづく第2回は、「お念仏を踊る」ワークショップを應典院本堂にて行いました。二人一組になってのストレッチで普段は意識の行き届かないような感覚を感じ取り、私からはひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えるお念仏がどんな意味や作用を持っているのか、自分なりにお話させていただき、参加者の皆さんにも5分ほどお念仏を体験していただきました。
後半はまず二人一組で片手の掌を合わせた状態で、一人がリードするかたちで掌を起点にからだを動かしはじめます。徐々にリードする側はどちらでもなくなり、自分の動きと他者の動きが絡み合って一つの踊りになる様を楽しみました。次に「南無阿弥陀仏」という漢字を一文字ずつ空中に手で描きながら、その動きを利用してからだを大きく動かしていきます。手を地面すれすれまで持っていったり、逆にからだの反対側までぐるんと腕を回してみたり。動きを自然にうながすような諏訪さんの声を聞きながら、からだを動かすことに慣れていない私も、だんだんと「お念仏を踊る」ことにのめり込んでいきます。
最後は、これまで行ってきたワークの動きを使いながら、フリーセッションのような時間を持ちました。自由に本堂内を移動しながら、すれ違いざまに他人と掌を合わせて動いてみたり、また離れて一人になってみたり、お念仏を声に出してみる人、黙々と南無阿弥陀仏を空中に書きつける人、さまざまにこのひとときを過ごしました。
その後の振り返りでは、「じぶんで自由に表現することで、お念仏がはじめてしっくりきた気がする」という意見もあれば、「お念仏の型がじぶんの中にできていないうちに自由に動くのは、あまりに手がかりがないようで心もとなかった」という声もありました。「型」の秩序にのっとることで生まれる安心と、自由に表現することで生まれる解放、おそらくそのどちらもが大切なのだろうと改めて感じさせられました。
第3回「お寺でおつとめをする」は、毎月1回開催している朝のお勤めとお掃除の会「Temple Morning」との併催。應典院の本寺である大蓮寺本堂にて朝7時半からお勤めをした後(第1回で書いた写経用紙はご本尊へお供えさせていただきました)、ふたつのお寺の境内の掃き掃除を行いました。お勤めも掃除もお寺のなんでもない日常ですが、お寺に普段関わりのない一般の方にとっては貴重な機会のようで、その後のお茶会での団らんも含めて、それぞれの楽しみ所や興味関心を見出してくださっているのがよく分かりました。
今回の連続ワークショップ、一度だけの方も連続参加の方もいらっしゃいましたが、どこか仏教に関わる入口を見つけてもらえたらと念じています。最初に書きました通り、1月19・20日には「みつみちのえ」公演を應典院本堂で行います。今回のワークショップの成果がぎゅっと凝縮されているはずですので、ぜひお楽しみいただけたら幸いです。