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2019/2/22-2/24 岡田 祥子:東洋企画 winter/spring2019 『偽曲 安寿と厨子王』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2018)レビュー

去る2月22~24日に、東洋企画 winter/spring2019 『偽曲 安寿と厨子王』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2018)が開催されました。タイトルの通り「安寿と厨子王」や「山椒大夫」などいくつかの説話が折り重ねられた構成のもと、26人の俳優が駆け巡る様子は圧巻でした。今回は、初の投稿となる岡田祥子さんにレビューを執筆していただきました。


2019年2月22日から24日までの3日間で6公演、應典院本堂において、東洋企画の芝居『偽曲 安寿と厨子王』が上演された。東洋企画は、東洋が大阪大学在学中に近畿圏の学生を中心に立ち上げ、今も関西を中心に活動している若手演劇集団である。『偽曲 安寿と厨子王』で東洋は役者として主要キャストの山椒大夫を演じた上に、脚本、演出、総監督をつとめた。上演時間は約2時間、舞台上は、額縁になっている巨大な灰色のゲイト以外装置は置かれず素舞台に近い状態、大きなビニール、紙、木の棒など何の変哲もない日常の道具が、照明や総勢26名の役者の動きに助けられつつ、さまざまなものに見立てられ、効果的に使用された。筆者は22日の19時からの第1回公演を鑑賞した。

本戯曲は、「偽曲」とあることからもわかるように、安寿と厨子王を主人公とした森鴎外の小説『山椒大夫』の翻案劇である。そもそも『山椒大夫』自体が、中世末から近世にかけ流行した説経節『さんせう太夫』を元に書かれたものである。物語のあらすじは、筑紫の国に左遷された父を訪ねて旅をする母と二人の子ども「安寿と厨子王」が、越後の国で人買いに騙され、子は丹後、母は佐渡へと売られる。弟を逃がすため姉は入水自殺をし、生き延びた弟が後年盲目となった母と再会を果たすという話である。貴族の子弟が苦労を重ねるこの物語は、門付け芸として語られて当時の人々の間で広まり、いつしかよく知られる民話の一つとなっていった。鴎外は、小説の題材として取りあげ、説経節においては聴かせどころであった拷問の箇所などは削除し、安寿の精神性を際だたせることによって「自己犠牲」の問題を提示、明確な主題を持つ近代文学作品として生まれ変わらせた。

東洋は『偽曲 安寿と厨子王』の筋を、最初は鴎外の『山椒大夫』に依ると見せながら、実はストレートには進ませない。語り手「紙食い虫」を登場させ、『さんせう太夫』や異伝承を持つ民話の場面を蘇らせては「話し直し」をしていく。さながら「安寿と厨子王の物語」版「藪の中」である。観客は押し寄せてくる「話し直し」の波に翻弄されつつも、激しく入り乱れる「正義」と「悪」の対決を見つめ続ける。最後、羽交い締めにされ「何故自分が負ける」と叫ぶ山椒大夫に、厨子王はあざけるように言い放つ。「血は力である」と。

東洋の偽曲シリーズは『偽曲 藪の中』に続いて2作目ということであるが、今回の対象になぜ「安寿と厨子王」の物語が選ばれたのだろうか。筆者は最初、『山椒大夫』の時代、平安末期の日本と、世界規模で内戦や人身売買の数が増えている現代の世相とが似ているからなのかと考えていたが、最後の厨子王の雄叫びで腑に落ちた。間もなく平成は終焉を迎える。カウントダウンに入り、各メディアは平成の振り返りに忙しい。誰しもが多かれ少なかれ「改元」という国民的事態の大元天皇制に意識的にならざるを得なくなっているそんな今だからこそ、この選択だったのではないか。だとしたら東洋君なかなかやるじゃないの、タイムリーだったねと密かにほくそ笑んでしまった。

ただ、惜しいかな。弱い。筆力が総じて紳士的で弱い。聡明な作者は何もかもよく理解しており、ちゃんと時事ネタも盛り込み、権力や体制を批判も風刺もする。しかし弱いと感じてしまうのはなぜか。別に是か非か白黒をはっきりさせよと言っているわけではない。しかし、60年70年代のアングラの戯曲、つかこうへいの毒や唐十郎の暴力性を思い出すと、相手は年月を経てますます巨大になっているのにそのようなもの言いでよいのかと心配になってしまうのだ。狂気をはらんだ山椒大夫として東洋が現れたとき、一瞬、夢の遊民社時代の野田秀樹の面影を見た。だが、すぐ違うと思った。比べるものでもなく、比べてはいけないのかもしれない。筆者が年をとって、いたずらに懐古趣味に走っているだけなのかもしれない。演出は、全てに工夫が凝らされていて切れ味よく、小気味よく進んだ。役者たちもよく動いた。皆可愛い。しかし、何かが足りない。何の差し味が欲しいのか。私はこの疑問を解くために再び東洋企画の舞台に足を運ぶだろう。

 

厨子王は出世し母と再会し めでたき終はり 安寿、安寿は

民話とはかくもむごきか 盲目の母がやすやす安寿を殺す

平成のいまはのきはみ 厨子王のあざけり響く「血は力」とぞ

 

 

プロフィール

岡田 祥子

16歳から短歌に熱中、寺山修司の短歌「田園に死す」を愛唱する高校生だった。この頃から観劇はアングラ中心で、大学で山海塾の「金柑少年」を観た日の衝撃は忘れられない。高校の国語科教員となり、退職まで演劇部の顧問として、寺山修司、チョン・ウィシン、唐十郎、等々、高校生と戯曲に向き合い、芝居作りを楽しんだ。リタイアした今、これからは、書く人になりたいと思う。最近、京都芸術センター主催の批評プログラムに参加し、『シティⅠ・Ⅱ・Ⅲ』のダンス批評を執筆した。批評は京都芸術センターのウェブサイトにて3月上旬公開予定。ぜひご一読ください。