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2019/2/13 應典院寺務局:おてら宗活塾 第2回「宗教って、必要ですか?」を開催いたしました。

去る2月13日(水)、おてら宗活塾 第2回「宗教って、必要ですか?」を研修室Bにて開催、20名弱のご参加がありました。應典院主幹の秋田光軌が講師を務める第2回では、メディアで報道されがちな宗教の危険性だけでなく、宗教の意義や必要性についても目を向けていこうとするもの。一般に「日本人は無宗教」とされることに対して、本当に私たちは宗教と無関係なのかどうかを考え直す内容となりました。

前半は、阿満利麿さんのベストセラー『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)も参考にしながら、「無宗教」について話がありました。教祖・教義・教団を兼ね備えているのが「宗教」であると前提するなら、ほとんどの日本人はそれらと無関係かもしれません。しかしそうしたいわゆる「宗教」とは別に、日本人には無意識的に受け入れている「自然宗教」があるのではないか。「自然宗教」とは具体的にいえば、初詣やお盆の墓参り、あるいはクリスマスやバレンタインなどのように、すっかり風俗習慣となってはいるが、なんとなく人々に大事にされている行事を指します。これらはいずれも、何らかの形で宗教と関わる習慣らしいと人々に知られていますが、おそらく多くの人は宗教的行為であると特に意識せず、初詣に行ったりクリスマスを祝ったりされていると思います。

秋田によれば、こうした年数回の特別な機会は、非常にゆるやかであるとはいえ、人々の生を意味づける機能を持っていると言います。人間は何らかの意味づけや目的がないと生きていくことができない。初詣やクリスマスのもとにある宗教を信じているわけではなくても、初詣やクリスマスが「スペシャル」であることは広く認知されています。こうした特別な機会を通して、人々は自らのこの一年を振り返り、友人や家族とのつながりを再確認できますが、宗教と関わっていない特定の人物・仕事・コンテンツ・イデオロギーなどを「スペシャル」にする(信じる)ことでも、人間は生きる意味を見出し、安心できるといいます。その意味では、私たち皆が、好きな何者か・何事かを信じ、大事な拠り所としながら生きているようなのです(たとえばアイドルグループ「嵐」の活動休止が発表された際の、人々の反応を思い返してみると分かりやすいかもしれません)。

では、教祖・教義・教団を兼ね備えた、いわゆる「宗教」の特徴は何でしょうか。秋田からは「永続的な安心」「死の問題への対処」「倫理の提示」という3つの意味づけの特徴が示された上で、阿弥陀仏や極楽浄土による浄土宗の死生観を受け入れた場合、どのように人々の生が安心に満ち、死に臨む態度や、日常の生き方までもが変わるのかを説明しました。長年受け継がれてきた伝統宗教の「スペシャル」さ、その意味づけの仕組みの見事さは、私たちの想像を遥かに超えるものがあります。習慣化した「自然宗教」や、好きな何者か・何事かを拠り所にする場合とは違って、自覚して選び取った「宗教」は、私たちの既存の生き方を問い直すよう外部から迫ってくることを確認し、講義の締めとなりました。

休憩を挟み、最後の参加者との質疑応答では、質問カードを書いていただく形式としました。前回以上に多くの問いが出され、「なぜ仏教にこれだけ宗派の違いがあるのか」「阿弥陀仏に頼りすぎになるのはどうなのか」「スピリチュアル系についてはどう思うか」などについて、秋田主幹がコメントしました。こうした僧侶と参加者との応答の時間は、今後も毎回設けていく予定です。

次回の「おてら宗活塾」第3回は、4月13日(土)14時から「おてら終活 花まつり」の一貫として開催、新たな講師に釋大智さん(浄土真宗本願寺派如来寺副住職)を加えて、「仏教を学べば、やさしくなれるの?」というテーマで語り合います。詳細はこちらから。

人物(五十音順)

秋田光軌
(浄土宗應典院主幹、浄土宗大蓮寺副住職)