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2019/1/29 應典院寺務局:おてら終活カフェ第6回「認知症高齢者を支えるネットワーク~グループホーム「むつみ庵」の暮らしから見えるもの~」を開催いたしました

寒さも深まる1月29日、「おてら終活カフェ」第6回が應典院2階ロビー、気づきの広場にて開催されました。テーマは、『認知症高齢者を支えるネットワーク~グループホーム「むつみ庵」の暮らしから見えるもの~』。ゲストには、NPO法人リライフ むつみ庵介護スタッフ、ケアマネジャーの日髙明さんにお越しいただきました。(むつみ庵 http://mutsumi-an.jp/

社会福祉士、ケアマネジャーの資格を持ち、かつお坊さんである日髙さん。レジュメとともに、幅広い視点からお話を伺いました。

まず最初にお話しされたのは、日本における認知症の概要についてです。日本人の4人に1人が高齢者で、高齢者の7人に1人が認知症となる現代社会。認知症高齢者の数は、2025年には約730万人となることが予測されています。

特に、参加の方々からの反応が大きかったのは、現代における年齢別の認知症にかかっている方の割合でした。65歳~69歳では2.2%、75歳~79歳では10.9%。そして、85歳以上になると、その割合は55.5%にものぼります。「長生きすると、認知症になっていない人の方が少なくなる」という事実。「認知症にならない活動」とともに、「認知症になってもよい生き方」を考えることが大切になっていくのではないか。今回のカフェのキーワードとも言える言葉を、少しざわめいた会場の中で、日髙さんは語られました。

認知症の原因疾患や症状についても話されるなかで、徘徊や作話、異食などの行動心理症状についても触れられました。「目的もなくおこなっているのではなく、認知症の方なりの目的はある」「本人がどのような背景でやっているのか」「人間は意味の世界に生きているので、行動も解釈や理解の対象となる」…日髙さんからのお話は、ただ「認知症の方の止めなければならない困った行動」だとする捉え方とは異なる視点を与えてくださるものでした。

 

 

続けて、そんな認知症高齢者のグループホームである「むつみ庵」についての話を伺いました。もともとはお寺の門徒の老夫婦のお住まいで、築60年の木造2階建て古民家だったむつみ庵。その特徴として、日髙さんは「場に支えられる身体性」「お寺を軸にした関係性」「暮らしのなかの宗教性」という3つのポイントをあげられました。

―田舎ならではの豊かな自然と共に、伝統的な「ノン・バリアフリー」の日本家屋。2階に上がる階段の写真を見せてもらうと、なかなか結構な急斜面。お年寄りの方々が上り下りするには「あぶない!」「きびしい!」という印象を思わず持ってしまいかねないですが、階段で転んで怪我をされた方は、なんとこれまで一人もいないとのこと。

―お寺の檀家でもある「地域のおばちゃん」が多くスタッフとして働くなかで、決して介護のプロはいないけれども、それでもなんとなく「気の合う人が出来てくる」という微妙なクローズド感。

―お仏壇に手を合わせる、という行為を日々おこなう中で「拝む」ということが身体に染みついていく。それは、非合理なものとの関わり方にも繋がっていく。

このように、一般的なグループホームとは少し異なった、稀有な空間である「むつみ庵」での暮らしのお話を経て、日髙さんからは「認知症になって豊かに生きる」ために、3つのポイントがあげられました。

 

 

「お世話され上手」「開かれた作話」「手を合わせる」…それぞれは、「依存先を増やす」「関係を柔軟に組みかえる」「非合理なものへの関わり」ということに繋がっています。これらの言葉を説明いただくなかで、参加者が集った気づきの広場では、ふっと「認知症」に対するイメージがなんとなく柔らかくなっていく、安心されていく様子が感じられました。

日髙さん自身、最初は認知症に対して、「絶対ああはなりたくない」という気持ちを持っていたと言います。それが、むつみ庵での暮らしを経て、「認知症になってもいいかな」そして「認知症になっても豊かに生きられる」という心持ちに変わっていったと話されました。

秋田光軌主幹を交えてのトークは、2人の若いお坊さんの会話という、お寺での終活カフェならではの光景となりました。「ケアする側」「ケアされる側」という関係の中で、一方通行のケアはどうしても上手くいかなくなってしまうこと、何かをしてもらったら返さなきゃいけないということについて触れつつ、「認知症になっても良い状態に自分をもっていく」ということについては、12月に開催された宗活塾「それでも、あなたは執着するか」(開催報告https://www.outenin.com/article/article-13299/ )とも照らし合わせつつ、「執着を手放す」という観点が改めて取り上げられました。

冒頭に書いた通り、認知症の方はこれからも段々と増えていくことが予想されています。認知症の方と出会う機会とともに、認知症の方とどう関わり始めていくか。例えばボランティア募集で「碁の相手」があるなど、”やってあげてる感”の無い取り組みがあることもご紹介いただきました。最後には、むつみ庵での実際のケースも説明していただきながら、地域の中で、どう認知症の方や高齢者の方を看取っていくか、についても話していただきました。自分や他の人が認知症になることや、認知症の方との接し方、看取るということにどう向き合っていくか。最後のフリートークは、改めて身近なテーマとして、「認知症」「看取り」について考える時間となりました。

「あの人もこの人も死んでいく」「みんな、いずれはこうなる」…このように書くと、なんだか”恐れ”や”不安”といった言葉がついつい思い浮かんでしまう気がします。けれども、いわゆる「終活」と呼ばれる取り組みをおこなって様々な人との出会いや学びを得ることで、「少し楽な考え方」を持つことができるとしたら、「死んでも大丈夫」「認知症になっても大丈夫」といった穏やかで安らかな心持ちに近づくことができるとしたら、それはどんなにすばらしいことだろうか…と、改めて感じることのできた1日となりました。

人物(五十音順)

日髙明
(浄土真宗本願寺派僧侶)