去る2月26日に、第1回目となる、應典院マンスリーライトシネマ(映画&トーク『金哲義短編集』)が開催されました。劇団MAY主宰の劇作家にして映像作家でもある金哲義。代表作である『光の葬列』のほか2作品の叙情溢れる珠玉の短編集が上演され、会場内は温かい雰囲気でいっぱいになりました。今回は、ステージタイガー所属俳優の白井宏幸さんにレビューを執筆していただきました。
2月26日、劇団MAYの主宰もされている金哲義さんの短編映画女上映する「應典院マンスリーライトシネマ」を拝見してまいりました。
実は、お恥ずかしながら、この記事に取り掛かることに非常に時間がかかってしまい、自分に対し大変がっかりしているところでございます。
少し日があいてしまいましたが、その時に書きたいなと思っていたことを書こうかと思います。
その前に、マンスリー「ライト」シネマという言い方がとてもいいなぁと思ったので、それについて触れてみようと思います。
いわゆる商業映画でもなく、こんなところにこんな実力者が!というニュアンスでもなく。ただただ、映画なんです。という軽さ、正しさ、という意味合いの「ライト」となのだなぁと。お手軽と正しさが両天秤でありえるものでいいんじゃないか、と。そういうふうに思ったんです。かくいう私も、演劇なるものをかじっておりますが、もちろん、それなりのものを作らなければいけないなという責任感はありますが、身体を壊してまで、また、それを共に創る仲間に強いてまで創るものではないと、ようやく最近思い至りました。没入する楽しさもありますが、生きていてこそ。なのかなぁ、という、軽さの意味のライト。創るという行為の前に殺してはいけないという正しさという意味でのライト。そんな言葉遊びを前置きに。
さて、当日映画を見て思ったこととして。
何を根拠にいうわけではありませんが、作品に人柄がでる。らしさがでる。ということをそれぞれの作品の中に感じるとことがありまして、それならば、どなたでも、映画を撮ってみればいいんじゃないだろうか、と勝手な妄想をしておりました。
もちろん、映画には専門的な知識が必要だと思いますし、機材や、その他、キャストやスタッフなど、映画を作ることにはたくさんの壁があると思います。ただ、誰でもやってみていいものであると思ったのです。
金さんの作品を見て「誰にでもできる」と思ったなどというのは、ひどい誤解ですので、まず言い訳させていただきますと、僕と、金さんの間に何かしら共感出来る感覚があり、二人の延長線上にあるものを見ることができる。と思ったのです。
それは「僕」を「あなた」に置き換えてもいいと思いますし、金監督を「あなた」としてみて、「僕」の部分を「あなたの友人や大切な人」としてみてもいいのだと思います。
「光の葬列」のラストシーン、傾きかけた陽光を浴びる自転車にのる少女。監督が撮りたかったものの一つでしょうし、僕に取ってもとても美しいものとして飛び込んできました。他の作品にもいくつも、そういうカットが僕と、作品と、監督の間に存在していたのです。作品はその人を映します。その人の気づかない自分自身も投影することもあると思います。
それをうけて、誰でも、映画を撮ってみればいいのになぁ、なんて思ってしまったのです。
僕自身映画なんて撮ったことなんてない癖に。
知らなかった自分に気づくことがあるかもしれません。
作品作りとは、芸術とは、主張ばかりではないのかもしれないなと。
そういう余白のある素敵な短編集をみさせていただきました。
白井宏幸
ステージタイガー 所属俳優
自主映画に、たまに呼ばれて出ることもあります。
次回出演予定
5月4日~5日
中之島春の文化祭2019
ステージタイガーの演目に出演いたします。