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2019/3/14-3/17 マナカ:えーびーがた『地球ロックンロード』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2018)レビュー

去る3月14~17日に、えーびーがた『地球ロックンロード』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2018)が開催されました。女子学生たちの寮生活や部活動など青春まっさかりの日常が、果ては宇宙までつながる壮大な物語。今回は、初の投稿となる、劇的⭐︎ジャンク堂のマナカさんにレビューを執筆していただきました。


15日(金)の回を観劇させて頂きました。

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同じ高校の同じ部活、そして同じ寮に身を置いた二人の女子高生(真壁さん演じる『なみ』と小野村さん演じる『うづき』)が、 三年分の春夏秋冬という時間を過ごす中で、まだ若くて何者でもない自分たちの在り方を見つけていく、あるいは見つめていくお話……だったのかな。

なみとうづきは物語の序盤、高校の合格発表にて出会う。
晴れて志望校に合格し、同じ双葉女子寮に住まう事になったなみとうづきは、お互いにバカをしたり、助け合ったり、励ましあったり、喧嘩したり、喧嘩したり、喧嘩してそれでもお互いを意識せずにはいられなくて、言いたいことや言えないことがあって

そこには彼女らを見守る大人たち(厳しいようで甘い寮母さん。女子寮の卒業生のはずなのに男性の伊豆丸。パン屋はじめ複数のバイトをかけもちしながら夢を追っているらしいみぞれ。)もいて、 なんてことない、いっそ苦いような思い出であっても、そこには確かに「青春」がーーー 月や余所の星へ旅立った後も、振り返れば必ずそこにある地球のように存在している。
というのが、この物語の大筋を辿って着地した結論なのかなと思う。

 

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物語は二人が入学した1年の春から始まる。
舞台上には『一年』『春』というように、時間軸を示す装置が常に存在しているため、今現在彼女たちがどの季節を過ごしているのかを見失うことはない。
一学年×四つ = 十二の季節と、クライマックスで卒業した二人(と大人たち)の姿が描かれ、
途中、何度か二人の宇宙飛行士(当日パンフレットによると、イーマン船長とイクドゥ副船長というらしい)とウサギの頭をした宇宙人が現れては、恐らくこの物語のこれからの展開や、キャラクターたちの内面を示唆するようなアクションを見せることもある。

 

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観劇を終えた後にまず「難しいな」と感じたポイントがあって。

それは、上記した『一年』『春』というふうに今現在の季節や時間の経過を示す装置。
サイコロのように各面に学年と季節が記されたそれを使って、めまぐるしく時間は次へ次へと進んでいくのだけれど
その中で必ずしも劇的な出来事が毎回起こったりしている訳ではないこと。

この物語は、なみとうづきの他愛ない(本人たちにとってはあるいは大きいのかも)日常や、普通の女子高生である彼女らの等身大の悩みを描いていると思うので、決してそういった事件が毎回なければいけないという事ではないのだが

時間が否応なしに進んでいくために、見ている僕としてはその圧縮された時間の中に、彼女たちにとっての青春のターニングポイントや周囲の大人たちとの関係性の上で生まれる成長を見つけたくなってしまう。

けれど前述の通り、なみとうづきは等身大の悩みや喜びを自分たちの中に抱えていて、且つそれが大きく具体的に示されることは物語においてはあまり無い(一番印象的なのだと片思いの先輩の話とか)。

要するに、主人公の二人がメキメキと目に見えて成長したりとか、そう言った事はあまりないのである。
基本的には、常になみとうづきの内面が時間と共に、ゆっくり少しずつ進行する描写に重きを置いていたように見えた。

なので、季節が変わると同時に
「春から夏になった二人はどう変わっているのか?」
みたいな期待をしてしまう僕としては、どうしてもそういったギャップを感じざるを得ないところがあって、そこが少しもどかしかった。
主人公以外の各キャラクター(伊豆丸、みぞれ、寮母さん)がそれぞれとても魅力的であったので、彼ら(彼女ら)とお互いに影響を及ぼし合う様子がもっと見てみたかったというのも多分ある。

 

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上記で難しいと感じた点は、しかし『良いな』と思ったポイントも結構あって、
前述した通り、なみとうづきの周囲には常に何かしらの大きなイベントが起こり続けている訳ではない。
二人は所属する部活動において主力メンバーになれることもなければ、それに対して痛烈に苦悩する事もない。
別にレギュラーになれなくても日々は続くし、それ以外に考える事だってある。足も折れてるし腕も折れてる。地蔵も買う。それも日常。

そんな二人の様子がなんだか「ああ、そうだよな」と感じるのだ。
挑戦してもダメなことがあって、諦めもあって、多少の悔しさはあれどそれはドラマチックというほどでもなくて
だって他に考える事があって、でもそれは今すぐどうにかできる訳でもなくて、だからイライラして言葉も選べなくなったりして喧嘩も正直理由とかない。お互いにまったく正当性なんかない。あげく出てきた言葉は「死ねーーーー!!」だ。 いや、そんなことある? と。
でも、「そんなことあるよな」と思う。

それが高校生という、あの時の自分たちの姿だったのかもしれないなと思う。
劇的なことなんてなくても苦しんでいるし、そこから目をそらしたり、たまにチラ見して、なんだかんだで日々を生きている。
双葉寮にいる二人を見ていて「何か劇的なことが起きろ……!!」と思っている僕はもしかしたら、
なみとうづきを通して過去の自分に「もっと僕にとって大きな何かが起こっていたなら……」というエゴを投影しているのかもしれない。
けれどそんなものがなくても、振り返ってみれば『青春』は必ずそこにあって、 今も僕らはみんな、その続きにいるんではないだろうか。

 

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とても好きなシーンが二つあって、
一つは、マルチじみた手段で自分の夢を追おうとするみぞれを寮母さんが叱るシーン。
ここで寮母さんがみぞれを叱るセリフが好きで、何がいいかというと全然論理的ではないところ。

僕の覚えてる限りだと
「あんたの夢は世界一周であったはず。それを今みたいな手段で叶えようとするなんて間違ってる。
そんなあんたはブラジルに行って、現地の人たちと仲良くなり、なんかいい感じの豪邸的なところでいい感じのパーティーを開け」
みたいなやつ。

寮母さんはたぶん、世界一周のイメージとかが全然できなくて、頭に湧いてきた単語とか情景をのべつまくなしにぶつけたんだろうけれど
なんかここに「みぞれが本当は目指したかった世界一周」の全てが詰まっているような気がした。
理屈じゃなく、みぞれが最初に目指した「世界一周」。
いつの間にか夢のためにお金を稼ぐ事が目的になっていたみぞれが、寮母さんのこの言葉受けた時の表情がとても印象深い。

もう一つは、なみとうづきの関係が一度完全に決裂するシーン。
これも上記とほぼ同じ理由なんですが、ここで繰り広げられる二人の喧嘩の内容がまったくもって筋が通ってない。二人とも。
なんなら自分でも感情の整理ができてないんじゃないのかって思うくらいめちゃくちゃなことを言い合って、
しまいには殴りあうのでは、みたいなところまで行ってしまう二人がめちゃくちゃ「高校生」だった。緊張した。嫌な汗をかいた。

 

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楽しかったけれど、『等身大』と『物語におけるカタルシス』の両立の難しさを感じた作品でした。

あるいは、僕が見落としたキーポイントがいくつもあったのかもしれない。

感想書いてたらだんだんそんな気がしてきました。

だとしたら悔しいです。

 

 

 

マナカ(劇的⭐︎ジャンク堂)

《これからの予定》

【演出・出演】
劇的⭐︎ジャンク堂 第9回本公演。
「ノストラダムスのなつやすみ。」

7月
19日 19時半
20日 13時/18時
21日 11時半/17時

大阪市立芸術創造館にて

人物(五十音順)

マナカ
(俳優・演出家・脚本家)