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2019/3/27 高橋佳恵:おてら終活 花まつり「死では終わらない物語」に参加して

3月27日、應典院本堂にて「おてら終活 花まつり」のオープニングプログラムが開催。『死では終わらない物語~日本人はどう死を受け入れてきたか~』と題し、宗教学者 釈徹宗先生がご講演をされました(講演の詳録はこちら)。

1時間のご講演で、本堂内はぐっと「死を考える空気」に包まれましたが、後半は聞き手に應典院の齋藤佳津子主査もご登壇され、参加者のご質問とともに講演内容を振り返る和やかなひと時が持たれました。


じっくりと醸成する「死の物語り」

参加者から寄せられた質問カードの中で最も多かったのが「釈先生ご自身が持たれている死の物語も是非お聞きしたい」という語りのリクエストだったことを齋藤主査がお話になられると、釈先生からは「浄土真宗の体系を歩んでいるので、浄土真宗のおしえが死を超えた物語。お浄土で仏となり、ご縁のある人を救うために戻ってきたい」と、お浄土を説く僧侶らしいスッキリとしたご回答をされました。しかし、お寺で生まれ育ち、仏教とともに歩んでこられた釈先生でさえも、「この考え方がしっくり来ず、時間をかけながらじっくりと積み重ねてきて、ようやくわかってきた」とのこと。ご講演の中でも「今日の話を聞いて、スッキリして帰れると思ったら大間違い」と言われた通り、浄土教の中にある未だ見ぬ世界へ私達が近づくために、まずは心と感性の柔軟さが求められているというメッセージが込められていたように思います。

 

 

若者の死生観のゆくえ

また、齋藤主査の「死から一番遠いであろうと思われる若者が、豊かな来世観を持っている」という現代若者事情への気づきについて、釈先生も大学で教鞭を執られる立場として、同様に感じているとお話になられました。

確かに問えば問うほど遠くなる、来世や生まれ変わりという世界観を、若者はうまく手繰り寄せているかのように見えます。そこには特別な宗教教育を受けずとも、文学・歴史・哲学等の様々な学問分野に加え、音楽・映像・ゲーム等のサブカルチャーを道具としてうまく取り入れ、無意識の中で宗教的リテラシーの基盤を築いているのではないか、と感じさせられます。しかし、世界中からあらゆる情報が瞬時に届くスピード社会の中にいますと、自分に合った情報のみをセレクトし、不具合を持った自分というものを温存してしまう恐れも否めません。若者の柔軟な感性の一方で、情報によって人が操作されてしまう危険性についても、釈先生から警鐘が鳴らされました。もちろん、宗教に対する抵抗感がない若者だけではなく、情報社会に生きる全ての世代に当てはまることだと考えられます。

 

「宗教によって異なる死生観」については、釈先生から人類の古層部分から現代社会まで、幅広い観点でのご回答がありました。各民族、文化圏でも共通して「死者は異界へ行き、そして戻ってくる」という古代からの基本的な生命観が根付いている一方で、死者埋葬、お祀りの方法が各宗教によって大きく異なるということが持っている意味合いとは? つまり、各宗教がそれぞれに大切にしてきた「死を超えた物語」が死者との向き合い方の道筋となっていることを忘れてはなりません。また、これからの日本に着眼しますと、入管法が変わりあらゆる文化圏からたくさんの外国人がやって来ます。人権と同じように宗教で歩む道は尊重されなければならず、そこには宗教的感性が求められているということも、これからの日本に与えられた大切な課題であると思います。

終活や自分のいのちを考えるための仏教

今回のプログラムテーマのひとつである終活という切り口から、「釈先生が考える寺院に求められている終活のカタチは?」という質問も寄せられました。講演でも触れられた内容のおさらいも含め「息を引き取ったその瞬間に全てが終わらず、生きている時~亡くなった時~亡くなった後のプロセスで関わっていくことが、寺院の担っていくべき大きな役割である」と、釈先生がお考えを述べられました。

最後に「自死で身近な人を亡くした場合、どのように考えていけばよいか?」という質問が挙がりました。釈先生はブッダの言葉を引用し、「仏教では、自死の善悪に触れていません。ただ自分自身を尊い存在として大切にしなければならない、ということは説かれています。」とじっくり顧慮しながらお答えするお姿がとても印象に残りました。

仏教では死の問題だけでなく、人生の中で予測不能な事態や障害(苦しみ)も全て起こりうるものと考えます。そんな思い通りにならない人生を受容していくための生きる智慧が、時代を超え大切に語り継がれてきました。しかし、スッキリと簡単に着地させていただけないのもまた、みほとけさまの教えの醍醐味と感じます。

 

人生の答え合わせ

私自身に当てはめてみますと、死というテーマと向き合い、しっかりと仏教に触れていこうとしたきっかけは、5年前に母を看取ったことにあります。もちろん私にとっての仏教の根源は、應典院の本寺、大蓮寺を母体とするパドマ幼稚園でお育ていただいたところまで遡ります。
生前の母が晩年によく発していた言葉が「死んでからが、人生の答え合わせ」でした。これは一体、何を意味していたのか?

母も人生の後半で仏教に触れ、年齢を重ねながら「死んでからも終らない、何か(役目)がある」ということに気づいていたのではないか、と私もようやく感じはじめたところです。しかし、その意味がはっきりとわかるのは、私自身が人生の答え合わせをする時かもしれません。さて、いずれやって来るその時まで。應典院や、このたび新設された「ともいき堂」にも足を運び、じっくりと語らいを重ねながら、今まで〜今〜これからのいのちのともしびを、お念仏とともに輝かせていきたいと思います。

人物(五十音順)

高橋佳恵
(パドマ幼稚園OG)