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2019/4/7 陸奥賢:おてら終活 花まつり「2019終活の極意、教えます~お寺がもっとできること~」に参加して

3月27日から4月13日まで、應典院では「おてら終活 花まつり」を開催いたしました。桜満開の山門をくぐり、延べ300名の参加者が様々なプログラムにご参加くださいました。ロビーには花まつりにちなみ、花御堂の設置と甘茶のふるまいがあり、柔らかな空気を感じました。
今回は、4月7日に開催された『2019終活の極意、教えます~お寺がもっとできること~』について、應典院寺町倶楽部執行部役員の陸奥賢さんに、開催報告を寄稿していただきました。


 

2019年4月7日。浄土宗應典院で開催された「おてら終活花まつり」のプログラム「2019終活の極意、教えます~お寺がもっとできること~」に参加しました。

聞けば4月7日は浄土宗開祖の法然上人の誕生日だそうで、「へえ。法然上人は、こんな桜の季節に生まれたんや」と思って、よく調べたら、当時の暦は旧暦でしたので、新暦に直すと法然上人のお生まれになったのはじつは5月13日頃。新緑の時期に生まれたことになります。法然上人のイメージとして、パッと咲いてパッと散る桜花よりは、生命力あふれる青々しい新緑のイメージはよく似合うな、と思って、ちょっと安心しました。

「終活の極意」というのは、なかなか大上段なタイトルですが、登壇するのは、「東京の先端IT会社で、お葬式お墓の相談を8000件受けてきた」というエンディング・コンシェルジュの池邊文香さん。お相手は大蓮寺・應典院の秋田光彦住職でした。
時間配分は池邊さんのトークが30分。秋田住職のトークが30分。おふたりの対談が40分ほど。最後に質問時間は10分ほどありました。

最初の池邊さんのトークは、まずはご本人の経歴と、なぜこのような仕事についたのかのお話。池邊さんの生まれたのは大阪の南部の地域で、いろんな伝承や伝説がある地域であること。そして、ご両親ともにガンの闘病が長く、池邊さんの理解者であった叔母はガンで亡くなっていたり…とかなり若い頃から病院通いが多かったとか。これはおそらく、池邊さんの生育した地域や家庭といった環境に、「物語」や「死」というものが常にあったということでしょう。そして、そうしたことが影響してか、21歳という若さで、エンディング・サポートの仕事をする会社に勤められたそうです。
その自己紹介から、過去、10年間に渡る豊富なエンディングの事例を紹介しながら、軽妙なトークで池邊さんの考える終活とはなにか?といった話が続いていったのですが、これが疾風怒濤の大阪弁マシンガントークで、とても30分とは思えない充実した内容で、ぼくもとても全貌までは書ききれません。

いくつか、ぼくが、とくに興味を覚えたことを列記しますと、1970年代以降、日本人の多くは自宅ではなくて病院で亡くなるといったケースが増え、その結果、死者と向き合う機会や時間が減ったことで「『死のリテラシー』(池邊さんの言葉)がなくなってしまっているのでは?」というお話。また、こうやって貴重な死生観教育の機会が奪われてしまった日本人に、いま、さらに「『あなたらしい死』を提供します」という終活ビジネスが襲いかかっていて、独りよがり的な自己完結型のエンディングが蔓延し、残された子供・親類・友人・知人・関係者たちの「死のリテラシー」をますます遠ざける状況に陥っている…という池邊さんのご指摘には、いろいろと頷かされました。池邊さん曰く「墓は残された人の内省の場である」といったコピーも心に残った言葉です。
最後に池邊さんは、お寺や僧侶に求めるものとして、「経済主義ではない寺院」は老病死・障害・無縁といった「異質性」を寛容するハブとなり得るし、死者や残された者たち、エンディング・サポーターへの「伴走者」でいてほしい、といった要望などもあげられました。

さて、池邊さんのお話の後は秋田住職のご登壇でした。住職はまず上町台地(大蓮寺・應典院から南を俯瞰して、彼方にハルカスや通天閣が見える)の上空写真を提示して「無数の墓と、緑豊かな自然林が続く、この寺町のまちなみには、数百年の歴史や文化や死者が込められている」といいながらトークをスタート。

まずは、大蓮寺の生前供養墓「自然(じねん)」などの取り組み(合同供養式、帰敬式、バスツアーなど)によって会員同士がサード・コミュニティを創成する機能をはたしてきたことを紹介。この自然では、入会(会員になる)することで、会員のエンディング活動が始まりますが、専門性の高い各種NPOとも連携しているので、この自然の活動によって「自然>会員>NPO>市民」といった社会的な結縁が広がっていき、また、それが逆方向にフィードバックされることも可能で、「市民>NPO>会員>自然」といった宗教的な結縁にも繋がっていくシステムになっているそうです。

その後、住職自身の「終活」に対する思いの変遷が延べられました。じつは住職は、当初は終活ブームや終活ビジネスそのものに「死を商品サービスにしている」と否定的だったそうです。ところが大蓮寺の関係者にも、孤立化や生活困窮で、大変なご苦労をなさった方がでてきたそうで、これは住職自身も大変なショックを覚えたとか。さらに「じつは大阪は日本全国でワースト1位の孤独死者数が予想されている」といったデータも提示して「もはや終活は、これからの多死社会の社会的課題であり、公共事業である」と住職は捉え直し、そのために「ともいき堂」という新しい寺院建設の話に展開しました。

このともいき堂では、①生前からの関与・関係性、②専門家をつなぐ(中間支援)、③死生観を形成する…といった「おてらの終活」の実践を行っていくそうですが、社会課題に取り組む寺院だからということで、なんとクラウドファンディングで建設費用の一部の資金を募るという挑戦を行ったとか。端から聞いていると「大丈夫かいな?」という無謀な挑戦にも思えますが、さすが大蓮寺、應典院の20年以上に渡る市民協働の実績でしょうか。あっというまに当初目標の150万円を達成し、さらに第2目標の300万円をも達成したそうです。また北海道の方や、まるで大蓮寺や應典院のことなど知らないであろうという方からの浄財などもあったそうで、こうした社会課題に取り組む寺院に、社会側からの支持(浄財)があったということは、個人的には、とても印象的なエピソードでした。
そしてトークの最後に住職は、「人は自分で自分を葬れない」と語り、「私らしい死」を売り物にする終活ビジネスの欺瞞性を、これほど明らかにするフレーズはないですが、そうした言葉で〆られました。

その後、池邊さんと住職の対談が実施されましたが、住職は池邊さんのトークを聞いて、「應典院の長い実践から若いアーティストたちのスピリチュアリティの高さに驚くことが多々あるが、池邊さんにも似たものを感じた」とのことでした。
個人的に面白かったのが、対談終了後の会場からの質問タイムで、「鳥葬を希望した場合はどうなりますか?」といった突拍子のないものから(池邊さん曰く、まだ鳥葬の希望はないそうですが、イスラムの方からの土葬の希望などはあり、リサーチしたことがあるそうです)、介護福祉現場の方からは「介護福祉の現場でも利用者さんの死の問題に直面するが、どうしていいのかわからない」といった質問があり、これには秋田住職が「介護福祉サービスの現場に供養碑を作って供養をすると一気に利用者やスタッフの精神状態が安定する」といった興味深い事例なども紹介され、盛り上がっていました。終活熱の高さのようなものを感じた、あっというまの2時間のプログラムでした。

 

対談プログラムのあとには、「おとむらいシアター」に続きました。詳しくはこちらから

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陸奥賢
(観光家/コモンズ・デザイナー)