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2019/4/20 岡田 祥子:天野光の文楽講座『天野光と文楽へ行こう 第5弾』(應典院寺町倶楽部協力事業)レビュー

去る4月20日に、天野光の文楽講座『天野光と文楽へ行こう 第5弾』(應典院寺町倶楽部協力事業)が開催されました。應典院は国立文楽劇場から歩いて五分の距離であり、その場にふさわしい天野光さんによる文楽講座。豊富な知識と快活なお話しで、文楽の楽しみが倍増する様子が伝わります。今回は、読む人・観る人・書く人の岡田祥子さんにレビューをご執筆いただきました。


 

4月20日、さわやかな土曜の朝、古典芸能案内人天野光さんの「天野光と文楽へ行こう 第5弾」を應典院の一室で受講した。

帽子に和服というお洒落な出で立ちの天野さんだったが、そのスタイル同様、話しぶりも、闊達にして自由自在、面白くて濃密で、文楽に対する限りない愛と情熱に溢れていた。文楽全般の解説から始まり、日本橋の国立文楽劇場で行われている4月文楽公演通し狂言『仮名手本忠臣蔵』の鑑賞のためのあらすじ説明など下準備も兼ねたレクチャーであり、初心者から愛好家まで、まんべんなく理解を行き渡らせ、満足させる充実した内容だった。時間はあっという間に過ぎて、9時30分から1時間、予定通り講義は10時30分に終了、11時からの文楽開演に向けて天野さんに引き連れられて劇場へと向かう受講生さんたちと別れ、私は講座だけで帰路についた。

道々私は沈んでいた。何故か? それは私が元国語科教員で、天野さんの講義と比較して、自分が長年行っていた文楽鑑賞の事前解説の授業レベルの低さがよくわかったからである。「天野さんのように、あんなにも楽しくかろやかに、かつ盛りだくさんにできる可能性があったのに、何と面白くない授業をしてきたのか!怠慢であった!」という後悔である。とにかく、天野さんの講座1時間にかける思いは、執念と呼ぶにふさわしいぐらい凄い。

まず、私は受付で配布された40枚をゆうに超えるレジメと資料の多さに度肝を抜かれた。天野さんによると、今までさまざまな講座を受講されて来たのであるが、ノートを取っている間に聞き逃すことが悔しく、自分が講師となったら、一切ノートを取る必要がない、話すことは全て書いてあるレジメを作ろうと決めたのだそうだ。「私が今日話すことは皆レジメに書いてあります」ときっぱり言いきられたその言葉通り、私は蛍光ペンで色を塗るか読み仮名を書き加えることしかできなかった。この量のプリントは使いきれないのではと心配していたが杞憂に終わった。天野節はテンポ良くスイスイ進むのである。「ここから先は見てのお楽しみです。」「ここから先のお話は【家へ帰って復習編】で読んで下さいね。」がどれだけ出てきたか。久しぶりに、幼い頃見た街頭紙芝居の、続きが楽しみでワクワクした味わいを思い出した。早く家へ帰って読みたくなるような宿題をかつて私は出したことがあっただろうか。続きが楽しみで待たれるような授業をしたことがあっただろうかとふり返れば心が痛い。

しかし「後悔先に立たず」のことわざ通り、退職教師がいまさら何をか言わんやである。

せめては、このささやかなレビューに、古典芸能案内人天野光さんが凄い人物であることを書きとめて、世の中にごまんといる国語科教員の数名なりとも彼女の薫陶を受けに講座に参加してくれんことを願う。彼女のように生き生きとした授業ができる先生が増えれば、自然と文楽好きの子どもたちが育ち、伝統芸能の継承者不足の悩みは解消するに違いない。

 

深みより湧き出る言葉 文楽を天野光は語り止まざり

 

 

プロフィール

岡田 祥子

昭和32年大阪生まれ、大阪在住の女性です。16歳から短歌に熱中、寺山修司の「田園に死す」を愛唱する高校生でした。関西学院大学文学部日本文学科に進学、短歌部に所属しました。当時の若者文化には、前衛の波が押し寄せており、短歌界も前衛一辺倒でした。大学3回生で中古文学のゼミに入り、卒論は「蜻蛉日記-道綱母の散文精神」を書きました。卒業後、大阪市に採用され高校の国語科教員となり、退職までの38年間5校の高校に勤務しました。芝居好きの趣味と実益を兼ねての演劇部顧問歴は20年を越しました。北村想、寺山修司、別役実、チョン・ウィシン、唐十郎、等々、高校生と芝居作りを楽しんだ年月でした。何ものかに所属することから離れ、これからはのんびり、読む人、観る人、書く人になりたいと願っています。